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それはわたしが決めたことだった

 彼女の記憶のスタートはある年の12月24日だった。

 それは得体の知れない『不安』という感情に包まれた記憶だった。
 その夜、スープの冷めない距離に住む彼女の祖母が、珍しいことにケーキを持ってきてくれた。それもホールケーキをふたつ。ひとつは彼女の母親の妹、つまり叔母さんからのものだった。そしてそのケーキをテーブルに置くと、「これ食べておりこうにしていてね」と言い、家を出て行った。

 後に残されたのは、彼女と彼女の姉二人きり。その時彼女は言い知れぬ不安を感じたのだった。

「なんでお父さんもお母さんもいないの?」

 これが記憶というものの始まりで、まだ幼稚園に上がる前の12月24日のことだった。

 慢性的ないくつもの要因が重なり、幼少期に暗い影を纏ってしまった人というのは、想像以上に多い。心的外傷を負う人は山のようにいる。彼女もその『多数いる人のひとり』で、後に破綻の淵に立つのだが、その内容はこれも『良く聞く話』なので、それを記述することもあるまい。

 それでも敢えていうならば、彼女は『お母さんのお母さんをやるようになっていた』ということに他ならない。そしてそれは誰かに強要されたことでは無く、言ってみれば自分で決めたこと。回復のためにはその認知がとても大切だった。そういう環境だったから云々を差し置いて絶対に必要なことだった。

 このことに彼女が気付いたのは『母子連鎖』があったからだった。彼女の大切な子供のひとりに『お母さんのお母さんをやる』と決めさせてしまい、結果その子が同じ道を進んでしまったからだ。そして特別な要因が重なって(部活での激しい罰則付きのダイエット命令)結局難病と言われるメンタル疾患を患ってしまった。

 過去の現象は変えられない。けれど、捉え方は変えられる。そしてそれをやるのは、他ならぬ自分自身だと彼女は痛感している。

 まずは母の娘になることだった。娘になり、更に娘として精神的自立を果たすこと。最低限。それはとても大事で、そして難しい。けれど彼女の娘に、安心して娘になってもらうには、まずは自分だ。母子連鎖を断つのは彼女の娘の側。委ねなければならない。
 時代や環境、言い訳はいくらでもできる。けれど良い悪いではなく、単純に自分でそうしてしまったことは、自分で越えなければならない。時々の愚痴は良い。けれど悪態は言うまいと彼女は常にそう感じている。それで解決できることなど微塵もないことを知っているからだ。(彼女の場合は)

 そんな思いを込めて、彼女は一本の動画を作って母の誕生日にプレゼントした。「父へそして母へ」という動画は、折れそうになった時に繰り返し観ることにしている。そしてこの動画を作っていた時に「あ!」と思った。
 記憶の最初の12月24日に何があったのか、その後の記憶を手繰ると理解できたのだ。なぜあんなに不安だったのか…… 締め付けられるような記憶に繋がる何があったのか。

 その日、本来であれば彼女の妹か弟になるはずだったひとつの命が、儚くも散ってしまった。確かめてはいないが、彼女はそう確信している。

 彼女は祈る。12月24日は、その命に思いを馳せる日だと感じている。そして繰り返し思う。彼女の娘は、大切な『娘』だということを。

彼女は内観と客観視を繰り返し、これからも降ってきたものや湧き上がってきたものを言葉に、そして文章にするでしょう。

たったひとりでいい、誰かに届けと。そしてその届けたいと願った先の一番後ろには、間違いなく彼女自身がいることでしょう。同時に、大切な家族に残したいと願いながら書いていくのだと思います。


よろしければ動画はこちらです

この動画に出てくる女の子は『彼女』ではなく『彼女の姉』です(勝手なことを!)(-_-メ)

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