夜にしがみついて、朝で溶かしてライナーノーツ#2

6.しょうもな
うまく言葉にできなかったけどこの歌は今の私の歌な気がしてならなかった。
歌い始めの「馬鹿だなってよく使うけど それもう古いって知ってた」は尾崎世界観に尾崎世界観が言ってる歌詞だと本人が話していた。だからか、私はよく、それをやっているからだと気付いた。
「自分はコレがやりたい」
「でも実力もないし努力してどうにかなるとも限らない、現実的じゃないよ」
「うん、わかってる。でもやりたいんだ」
みたいなことを脳内で常にしている。そのせいで、常に2人の自分(本来の自分?と「世間の目」的な位置にいる自分)がいて言い合ったり慰めたり意思を確かめたりしている。正直疲れる。でもこれでなんとか保っているのかもしれない。
クリープハイプが主題歌だからという理由で見始めたドラマが凄く面白くて、野球のルールなどあまりよく知らない私でも、野球に例えられながら登場人物の悩みを解決していく様子が勉強になったし痛快で気持ちよかった。会社を辞める決意を伝えてから退職まで1年以上かかった私は、「一体いつ辞められるんだ」という何にも代えがたい葛藤と怒りの捌け口を見つけられずにいた中で、このドラマがあって、この音楽があって本当に良かったと思う。悩みとは切っても切れなくて湧き水のようにどんどん出てくる。だからこのドラマにもクリープハイプにも惹かれてしまうのだと思う。
いや、それにしても遊びに遊んでいる、凄すぎる。私の好きなクリープハイプが詰まりすぎている。「糸にほど遠いそれはただの線」はこの短い中に詰めすぎてもう、はじけてしまう。「あたしは世間じゃなくてお前にお前だけに用があるんだよ」を象徴している感じがして、むふふとなっている。

7.一生に一度愛してるよ
アルバムの7曲目。
ドラマタイアップしながら「お前に用がある」と歌った「しょうもな」の次にこの曲が来るという順番にこだわりというか、意味を感じる。曲の後半に初期のフレーズを散りばめているところも。そして少し変化しているところも。だからアルバムは通して聴くのがたまらない。初期の楽曲の伏線みたいになってるのが完全に尾崎さんの手の上で転がされている。6曲目と7曲目もそうだし、ファーストと最新アルバムもそうだし。しょっぱいもの→甘いもの→しょっぱいもの→甘いものの無限ループみたいな。(例えヘタクソ)
人は変わっていくものなのに、本当に変わりたい部分は変われないと思っているけど、誰かから見れば私も変わっているんだろうか。あと最近、「自分は他人からこう見られていると思っていたけど実は全然違ったイメージを持たれていたんじゃないか」と急に思い始めて、怖くて怖くてたまらなくなった。別に同窓会だとか偶然ばったりとか、そんな確認するような場面に立ち合わせたわけでもないのに、ほんとに急に。(なんの話)

8.ニガツノナミダ
バレンタインデー付近に流れたCMタイアップ曲にこれでもか!というほど曲調も歌詞も歩みに歩み寄ってるかわいらしい曲。かと思いきや、CM部分が終わると急に剥き出しの牙を向けてくるような、油断してるとやられる。

社会人1年目の頃、何も知らない私は「自分の意見を持つこと、自分なりに考えることは大事だ!」と思っており(はりきってた)先輩社員に同行しながら「自分だったらこうするかなぁ」などと思ったことを社内のだれにでも見られてしまう仕事終わりに書く所感に書いていた。するとある日から部長に「お前はひねくれてるよな」と言われ始めた。それが原因でひねくれてると言われ始めたのか、答え合わせする前に辞めてしまったので正直分からないのだがそれ以外思い当たらない。無意識に何かしていたのかもしれないけ
ど。それから、「周りからどう見られてるかも意識しろ」等私にとってそれはそれは窮屈な社会人としての在り方(会社のルール?)をご教示いただいた。その節は大変お世話になりました。
社会人ってクッソ面倒だなぁと思いつつ、次第に染まっていく。なるべく誰とも何ともぶつからずに生きていく方が楽だから。でもほんのちょっとだけ「らしさ」みたいなことをどうにか表現しようとしている時もあって、『「しばられるな」にしばられてる』のかもしれなかった。でも結局他人から評価されるのは嬉しいしそれが給料に直結してくるので切っても切れないのだと思った。そして今、私がやろうとしているお笑いなんてまさにそれで、とにかく今は他人からの評価が欲しい。あぁ、自分で書いてて情けなくなってきた。なんて矛盾しているんだ。
でも尾崎さんが「それはそれで悪くないから ここはここ」言ってるし、もう今夜はクリープハイプに抱き締められて尾崎さんにくるまって寝ることにする。とか言ってるだけだから

9.ナイトオンザプラネット
アイツのせいで出来なくなってしまったライブの日に作られた曲。私もその後中止になった幕張に行く予定だったから、あの会場にクリープハイプだけを見に来る人だけで埋まるなんて、なんて幸せな空間だったんだろうと何度も妄想したし、せめてどの席だったのか知りたかったな。チケット代は帰ってきたけどもう一度同じ金額を支払ったって、もう二度とあの日あるはずだった時間は訪れないんだなと思うと苦しい。でもあの日がなければこの曲は生まれなかったかもしれないので、矛盾する気持ちで感謝します。でもアイツには言わないからね。尾崎さん、ありがとうございます。
こういう、悔しさや怒りを曲にできる尾崎さんに私は心掴まれたし尊敬しているし憧れていて、こうやって文章を書いているし表現していきたいと思いました。
明日が怖くてこのままずっと朝が来てほしくないと祈る日もいっぱいあったなぁとこの曲を聴いてそんな日々を思い出した。あ、でもそういえば数年前の尾崎世界館に奇跡的に当たった時は、この時間がもう少し続いてほしいという想いで、まだ夜のままであってほしいと思っていたことを思い出した。「夜にしがみついて、朝で溶かして」って言葉が好きです。

10.しらす
料理から始まりこんなに悲しいのに腹が鳴るで終わるこのアルバムに「しらす」とはたまたまなのか、狙ってなのか。
ほんとにたまーに、ごく稀に、食事している時に、例えば豚肉を食べながら生きていた時の豚を想像してしまう、みたいなことがあって、脳と口の中がぐちゃぐちゃになって変な気持ちなることがある。でも結局それは美味しくて、残酷だけどお腹は満たされてしまう。
これからしらすを食べるとき、毎回これを思い出してしまいそうだな(笑)
この前カオナシさんのインスタライブ中に、尾崎さんとの電話で「売れたいっすねぇ」という会話部分だけはっきり聞こえて、それがなんか凄くよかったです。カオナシさんの見た目ではわからない部分が曲からも、そうじゃない部分からも伝わってきてグッときました。




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