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『昨夜のカレー、明日のパン』/木皿泉 みどりの読書 #1

主人公のテツコの決断が、わたしの心にも力強く触れました。心が疲れて「もうわたし頑張って生きたくない。」って思った時に寄り添ってくれた物語です。(midori)

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『昨日のカレー、明日のパン』

『昨日のカレー、明日のパン』は、日常の延長にある「死」との向き合い方を描く群像劇だ。

2014年にNHK BSプレミアムで仲里依紗さんと鹿賀 丈史さん主演でドラマ化もされているので気になる方はドラマも是非チェックして欲しい。

作者の木皿泉先生は、和泉務さん、妻鹿年季子さんによる夫婦脚本家。数々のテレビドラマの脚本を手掛けてきた。代表作には『すいか』『野ブタ。をプロデュース』『セクシーボイスアンドロボ』『Q10』『富士ファミリー』などがある。

本書は先生の小説処女作。第27回山本周五郎賞候補作、第11回本屋大賞で2位にランクインした話題作だ。

仕事に悩み、心を少し病んでしまった時期にフォロワーさんから教わった1冊だった。本作で感じたのは「死」という作品のテーマの扱い方がとても魅力的だったこと。そして、日常の愛しい部分をゆっくりリハビリのように見せてくれる心地よさがあったこと。

疲れている時に、日常ってこんなに素晴らしいよ!!という文章を読んでも疲れてしまうけれど、ゆっくり時を刻むように愛しい日常を思い出させてくれるテンポだったのでそれがとてもありがたかった。

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「死」のかきかた

主人公のテツコは、ギフと2人暮らしだ。亡くなった夫・カズキの遺骨を年季の入ったキャンディーのカンカンに入れて、外出時など肌身離さず持ち歩いている。

死んでしまったカズキを中心に、カズキを取り巻く人々が「死」に対してどう向き合うか、を中心に日常が描かれる。

様々な人の視点から「死」が、日常の延長にある当たり前の出来事として描かれるのが印象的だ。例えば、故人が死んだことで周囲が泣き叫ぶ場面や、その死に耐え切れずに心が張り裂ける切実な描写などは一切排除されている。

それでも、残された人々や死に直面する当人たちから、「死」に対する静かな覚悟を読み取ることも出来る。

淡々と進む日常の描写が、物語のど真ん中に鎮座しながらも直接触れられない「死」というテーマを色濃く表現している。そんな不思議な文章。

きっと読む人によって2人の生き方に感じることは様々だろう。カズキの死から逃げている、逃避していると感じる人もいるかもしれないし、必死に受け入れていると感じる人もいるかもしれない。

不思議な文章の魅力に2人の悲しみを感じつつ、でもそれが凄く自然なことのように思える。人気の医療ドラマや刑事ドラマ、アニメやマンガでは毎週のように人が死に、劇的な「死」が描かれ演出される。それがフィクションだと分かりながらもそんな劇的な「死」に慣れている自分に気づいた。

「そうだよな、現実の死って、その人の死を受け入れていくって、本当はこういう自然な文脈の中のできごとかもしれない。」

受け入れるには時間もかかる。とっても長い時間がかかる。振り返りたくもなる。後ろ髪をひかれて、でも進まなければいけないとも思う。

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幸運なことにわたしは、両親や配偶者が健在で親しい友人の死も経験したことが無く、テツコやギフの悲しみを推し量ることは出来ない。けれど最愛の夫の遺骨を肌身離さず持ち歩くテツコの気持ちやその思考は、痛いほど理解できる。

数年前、幼いころから兄弟同然のように育ってきた愛猫を亡くした。一人っ子だったので、あの子を失った時は本当に身が引きちぎれるような悲しさと寂しさに襲われた。どうにもならない強烈な寂しさと喪失感から、"かれ"の遺骨を少量持ち帰った。

魂とか、宗教的な意味とか、そんなスピリチュアルなことより何より、ただただ寂しくって、その寂しさに耐えられない。と思っての行動だった。テツコにの寂しさに心から共感した。

この寂しさとどう向き合うか

しかし最近になって実は、遺骨を手元に置いていることに「このままでいいのだろうか」という感情が生まれていた。

緩やかに死を受け入れていくにつれ、遺骨の入った小瓶を見ると自分の気持ちが慰められると共に、納骨した場所に全て返してあげた方が良いのではないか。そんなふわっとした気持ちに苛まれていたのだ。

とても言語化しがたいこの感情に落ち込むことさえある。

しかし、2人の歩みが何だか少しヒントをくれているような気がした。寂しさに耐えられないことは悪くないよ、とテツコとギフが背中に手を当ててくれているような。

正解はない、誰にも責められるべき事でもない、誰かに指図されて自分の心持ちを納得させる必要もない。緩やかに、愛しい姿を思い浮かべながらもう少し「死」と対話してみたいと思った。そうして少しづつ寂しさを解き放って小さな小瓶の中身をあの子に返せるようになりたいと。

毎日の何気ない瞬間を見つめたい時に

・明日のパン

本作のタイトルを聞いて皆さんはどんな物語を想像するだろうか。わたしは「明日のパン」というフレーズがかなり気に入っている。

子供の頃、母の夕方の買い物に付き合うと決まって「明日のパン、買っとこか。」と母はわたしに語りかけてくれた。そんな幼いころのさりげない記憶がよみがえってくる。

なんてことない記憶だけど、そんな何気ない瞬間が疲れた心を温めてくれた気がする。『昨夜のカレー、明日のパン』を開くと、そんな瞬間が沢山ちりばめられていて、読者の心をじんわり温めてくれる。

例えば、作中でテツコとギフの日常が結構細かく描写される。朝のバタバタした情景、晩酌に餃子で一杯、嫁ぎ先の新しい家での情景。忙しいと見逃してしまう事ばかりだった。

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・匂いと記憶

記憶は匂いと強く結びつく。そんな話をどこかで聞いたことがある。

どこからともなく漂ってくる煮物の匂いに実家の台所を思い出してみたり、風に乗って香る金木犀の匂いに、あの頃の青春がよみがえってきたり。コーヒーの香ばしい匂いに彼と過ごすリラックスした昼下がりを思い出したり。

そういった経験が皆さんにもあると思うが、作中でも匂いに関する主人公2人の記憶が描かれる場面がある。特にわたしのお気に入りのシーンでもあるので是非読んでみて欲しい。

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本作は、短編のお話が連作になっている。電車の待ち時間や家事な合間などにも開きやすく読みやすい。「ちょっと最近疲れ気味だな。」っていうときには是非、手に取ってみてはいかがだろうか。


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