家に帰る(O街・大通り)

   ***

 友達のやっちゃんが言っていました。恋は人を強くするんだって。
 友達のゆっしーが言っていました。恋は人を弱くもするんだって。
 なんだか難儀な話だなぁと思うのです。第一、普通に矛盾してるじゃないですか。強くなったり弱くなったり、RPGじゃないんですからそんな簡単にステータス変化したりしませんて。まったく、これだからゲーム脳っていうやつは……ぶつぶつ……。
 だから、わたしは思うのです。
 恋は人を強くも弱くもしない。
 何もくれないし、何も取ったりしない。害でもなければ得でもない。
 結局、恋をしたって、何も変わりはしないのですよ。ただ、恋をするだけです。それ以上でも、以下でもないんです。
 そんなもんですよ。恋なんてものは。

   ***

 わたしはまだ、こどもなんでしょうか。

   ***

 藍くんと二人で歩くこと数十分、わたしたちはO街大通りへとたどり着きました。とにかく車が多い! どうも国道とつながっているらしく、地元の人でなくてもここを通り抜けることがよくあるみたいです。
 そんな理由があってか、大通りの両端にはたくさんのお店が建っています。まーさすがにH街やA街と比べると大したことありませんけど。それでも結構賑わってる方なんじゃないかなーと思ったりしてます。
「藍くん、見て見て! 歩道橋、ちょっと新しくなったんだよ」
「おっ、ほんとだ。色が変わってる」
「若干ボロくなってたから、その修復だってさ。ついでに塗装も剥がれかけてたから直したんだって。あれはあれで良かったんだけどなー」
「そうだなぁ。ま、いいんじゃないか。これはこれで」
「そーだねぇ……」
 なんだか老夫婦の片方のおばあちゃんのようにしみじみするわたし。まだそんな歳じゃないやい。……自分から振っといて何言ってんだこいつって感じですねこれ。すいません。めんご。
「ね、せっかくだから登ってみない? 久しぶりに!」
 わたしがそう提案すると、藍くんは「うーん」と唸ります。
「別にいいんだけどな。なんとなく気恥ずかしいっつーか」
「昔のこと」
「……それもある」
 藍くんが顔を背けます。照れておるなぁこやつめ。ひっひっひ、からかい甲斐があるでござんすよ。ただしからかうモチベがないので計画は破綻です。
 歩道橋の階段をゆっくりと登りながら、わたしは自分の記憶の中をじわじわと探っていました。
 けっこう昔のこと。何を考えたのか藍くんは、この歩道橋から飛び降りたのです。
「結局さあ、アレってなんだったの? 事故とか?」
「いや、自分から」
「まさか死ぬつもりだったの……!?」
「小学生にして自殺志願はヤバすぎだろ……」
 でも今の時代ありえない話でもないですぜぇ、と密かに思ったわたしなのでした。
「いろいろあったんだよ。若気の至りってとこだ」
「あーわかるわー、わたしも一回高いとこから飛び降りてみたくなるもん」
「目的と手段が同じなのかよ」
「あのひゅんっ、ってなる感じがたまんないよねぇー」
「たまるわ」たまりますか。ですよね。
 なんて話しているあいだに、わたしたちは歩道橋の上へとたどり着きました。ここから見える大通りの景色は、観光名所ランキング的なのに入ってもいいんじゃないかな~ってくらいの綺麗な景色です! うん、地元愛だろうね。わかってら。
 昼間の太陽が、コンクリートをじわじわと熱しています。視界のぜんぶが、眩しくてぼやけて見えてしまうくらいに。
「昔の方が、よかった」
 隣で、藍くんがぼそっとそう言いました。
「あの頃の方が、今よりもずっと、よかった。そう思う」
 なんとなく、寂しげな声に聞こえました。
「……ね、藍くん?」
 わたしが呼びかけても返事はありません。でも、ちゃんと聞いてくれています。
「わたしね、思うんだ。人生って『コップ』みたいなものなんだって」
「コップ? コップって、あの?」
「そう、あのコップ。特別に大きいやつ。それでね、時間は『水』なんだ。人が生まれてから死ぬまでのあいだ、コップの中にはゆっくりゆっくり水がたまっていくの。これがわたしの考える人生のモデルってやつ」
 わたしがいきなり奇妙なことを言い出してびっくりしているのか、それとも特にリアクションするまでもないと思ったのか、藍くんは黙ったままです。
「それでね、コップに注がれる水には味が付いてるわけ。普段はなんでもない普通の水の味なんだけど、何か良いことがあったときには、甘い味に変わる。逆に辛いこととか、悲しいことがあったときには……」
「苦くなる?」
「そう。良いことがあったら、人生って楽しい! 最高! って気持ちになるし、辛いこともその逆、同じだよね。それはその時々によって水の味が変わることで、コップ全体の味まで変わっちゃうからなんだ。でも――」
 大通りを駆け抜けていく車の群れ。信号をわたる親子連れ。
 風に吹かれるわたしたち。ゆっくりと、時間は過ぎていって。
「ずっとずっと、長い時間が経てば。あんなに甘かった水も、いつか薄まって、普通の味になる。何の変哲もない、水に変わっちゃうんだ」
 藍くんは、何も言いません。
 わたしは続けます。
「だからね。それでいいと思うんだ、わたし」
 甘い味も。苦い味も。
「いつか元に戻っちゃう。時間がぜんぶ、解決してくれる」
 風が止みました。空は変わらず、晴れたままです。
「だから、いいんだよ。何年も経ったら戻るんだ。あれもこれも、ぜんぶ元通りに! ……だからね、やっぱりすごいんだよ、時間って。藍くんもそう思うでしょ?」
 雑なまとめ方。支離滅裂。わたしからの、一方的な押し付けです。同意してほしいって、そういう気持ちの表れです。
 けれど。藍くんもそれを知っているから、わたしもわがままでいられるのです。
「なあ、朱里」
 藍くんの声だけ、わたしの耳に届きます。
「どんなに時間が経っても、どんなに味が薄まっても。それでも変わらない物も、どっかにあるんじゃないのか」
 …………。
 今度はわたしが黙る番です。
「俺は、そういうものを信じてる。今でもそうだ。あの頃だって……だから、ここから飛び降りた。そうすればわかるって思ってた。わかってくれるって思ってた。だから、そうしたんだ」
 わたしの知らない、いつもと違う藍くんの声。
「お前にもわかるだろ。朱里」
 …………。
「お前が持ってるのも、そういうのなんだろ」
 …………。
 はたして、どうなんでしょうね。
 本当に、なんにも変わってないんでしょうか。
 ただ単純に、変えたくないって、変わってほしくないって思ってるから、そういう風に見えてるだけなのかも。
 わたしにはよくわかりません。
 変わっちゃいけないから、変わらないのか。
 変わる必要がないから、変わらなくて済んでるのか。
 変わってほしくないと思うから、変わらないでいてくれるのか。
 それとも――変わってしまったら、ぜんぶ消えてしまうからなのか。
「……そろそろ行こう、朱里。もう少し、日陰がいい」
 藍くんの誘いに乗って、わたしは歩道橋の端っこから離れました。思ったより、時間は経っていませんでした。もうじき夕方がやってくる頃です。わたしは息を吸って、肺の中とか、頭の中とか、まるごとリフレッシュしてしまおうと――いや、してしまえればどんなに楽かなぁと、そんなことを考えつつ、ゆっくりと藍くんの手を握りました。
 小さいわたしの手。子供みたいに、綺麗なままです。


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