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私が髪の毛を黒で描かない理由(わけ)

私の絵を良く知っている人には
わかると思うけれど

私の描く人の髪の毛の色は
99%ではない!

残りの1%は?と言うと
これはモノクロ(墨など)で描くか
ご依頼人から色の指定があった場合
くらいだと思う。

さて。
なぜ私がこんな色使いになったのか?
という原点の話をしようと思う。

そこには7歳(小学校1年)の私と
ある洋画家さんとの出逢いがある!

私の家系は
母方の父(私からすると祖父)が画家で
それも母が子供の頃に亡くなっている為
私はもちろん全く面識はない

母は「画家の娘なのに絵が下手」と言われ
そのコンプレックスから未だに人前で
絵を描く事はない程だ。

それでも自分の子供には
やはり絵を学ばせたかったのだろう。
兄が通っていた画塾に
私も小学校1年生で入る事になった!
私は子供の頃から絵は嫌いではなかったと思う。

ところが何故か兄と同じ画塾に
私は入る事が出来なかったのだ!
(定員一杯だったのか?まだ幼すぎたのか?)

そんな話を聞いた私の幼稚園の先生が
自分がデッサンに通っている画塾に
児童部があるから!と紹介してくれて
私は兄と離れそこに通う事となった。

コレは当時私がスケッチブックや
クレヨンや絵の具を入れていたレッスンバックです
私の母の手作り

懐かしすぎて捨てられず(笑)
その後「布小物作家さん」にお願いして
リメイクしてもらったのがコレ



話は戻り
画塾で私を待っていたのは
赤いベレー帽をかぶり赤い服を着た
私から見たらオジイチャンくらいの歳の
元気な先生だった。

画塾の壁には先生が描いた油絵が
たくさん飾られていて
その色は空がピンクだったり
人物の髪の毛がグリーンや紫だったり。
「棟方志功」や「片岡珠子」の
色使いに似ているというとわかりやすい。
大人になってから知った事だが
先生が師事していた画家は「里見勝蔵」だった。

画塾で私が描く絵の髪の毛が黒以外だったのか?
そこまでは記憶にないが
多分好きな色を使っていた気がする!

そして子供ながらに先生の色彩は
強烈に私の中に刻まれていったのだ!

気がつけば私は無意識に
こんな色彩感覚となっていた。
やはり子供の頃に見たモノ。
感じたモノ。受け取ったモノは
未来の自分に大きく影響してくるのだ!

あの時もし私がすんなりと
兄と同じ画塾に入れていたら
今どんな絵を描いていただろう?

いや。ここまで
絵を描いていたかどうかもわからない。
そう思えば今は先生との出逢いに
感謝しかないと思えるのです。

これは私の運命をも変えた
素敵な画家と7歳の私とのお話でした。


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