麻雀いろいろはじめて

はじめて「麻雀」というものを知った日
あれは確か小学校5年生の時だったと思う。
当時入っていたボーイスカウトのスキー合宿の時に、仲間がふざけて何度も訳の分からない言葉を発していた。
多分、テレビでタレントさんが口にしたのをギャグと捉えていたのだろう。
全然意味が理解できなかったのだが、その言葉の響きに独特の面白さがありすぐ覚えてしまった。
その言葉が麻雀用語であることに気付いたのは何年かが過ぎた後だった。
その言葉、それがこれだった。
「メンタンピンドラドラバンバン!!」

はじめて麻雀を打った日

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時は流れて中学3年生の頃。私は塾帰りにゲームセンターに立ち寄るのが楽しみだった。
夜、10時頃から1時間くらい色々なゲームにハマった。
今だったら条例で中学生はその時間にゲーセンにいられないな。
ある日、いつものようにゲームセンターに行ったが、お気に入りの台が塞がっていて、取りあえず座ったのが麻雀ゲームだった。
今の麻雀格闘倶楽部のような通信対戦どころか、4人打ちの麻雀ゲームも当時はなくて、CPUとの二人対戦だった。
ルールも全く知らないくせによくこれをやろうと思ったと思う。
結局、一度も上がれずに『なんだつまんない』と二度とそのゲームをやることはなかった。
そう言えば、私が行きつけのゲームセンターはパチンコ屋の二階にあり、同じ階には雀荘があった。
何度か両替を頼みに雀荘にも入ったが、雀荘でセットで初めて打つまでに7年。フリーで打つまでにはあとなんと35年もの時間が掛かった。
余談だが、初めてパチンコを打ったのもこの1階のホールで自分に随分と縁のある場所だが、残念ながらこの建物自体がすでに無い。

はじめて牌を使って麻雀を打った日
高3の春休みの事だった。
放送部だった私は、新入生が入る直前の春休みに伊勢で合宿をした。
その時に泊まったのが、父が務める職場が持っていた保養所だった。
部屋の備品に麻雀セットを見つけた一人が「ルールを教えるからやろう!」という事になった。
ただ、点数どころか、親とかドラとかもなく本当に適当に打っていた。
ただ一つ、「役がないと上がれない」という事はその経験者に叩き込まれて、鳴かずにメンゼンで上がるか、役牌を三枚そろえるかの二択でのみ競っていた。それでも楽しく打っていた覚えがある。

はじめて雀荘でセットを打った日
大学二回だった。今でも付き合いのある当時同じ学部だった同級生に「競馬やるんやったら麻雀も打てんねやろ?」とメンツ合わせに誘われた。
自分の打ち方や上がれたか?などは全く覚えてないが、一緒に誘われたもう一人の同級生がテンパイで手を空けて「ジュンチャンか綺麗やな。」って言われてたのをうらやましく思った。
その日同じ雀荘に講義を受けている教授が学生たちと卓を囲んでおられた。
「ろぉん~(↑)!」と普段の講義とはまったく違うテンションの教授に笑うのをこらえるのに必死だった。

はじめての徹マン
社会人になって2か月くらい経った頃か。会社の独身寮に住んでおられる先輩に金曜日の夜の徹夜マージャンに誘われた。
この時はじめて入門書を買って少し勉強をした覚えがある。
この職場には、親会社への出向になるまでの二年間働いたが、4、5回はやったと記憶している。
その内の1回で国士無双が出た。西待ち。他家間の横移動。
上がった人が、週明けの職場で「西さんで上がれたよー」って自慢気に西という苗字の女子社員に話していたのを覚えている。
その女子社員は私の同期で、今の奥さんである。

はじめての麻雀格闘倶楽部
部署にギャンブルを嗜む女子新入社員が入ってきた。
「麻雀打たれるなら是非やってもらいたいゲームがあるんですよ。」と勧められて麻雀格闘倶楽部を始めたのが2003年の夏。
当時は麻雀格闘倶楽部2だった。
やるときは毎週打ちに行くが、ちょっと間が空くと2か月くらい打たない緩いペースで、2年で827戦目。ようやく黄龍召喚を果たした時には麻雀格闘倶楽部4になっていた。
当時はまだ対戦以外だと大会入賞くらいしかオーブが増えないシステムで今の格闘倶楽部みたいに「黄龍でなければ人でなし」みたいなこともなく段位プレーヤーも普通に多かった。もちろん真龍システムなんか影も形もなかった時代。
この時のカードは、その後海外移住とかもあり期限切れで消滅。今のカードは2代目である。

はじめてのフリー雀荘
シンガポールに移住して会社の同僚を中心に麻雀サークルを立ち上げた。月に1回のペースで集まって打って年間成績を争ったりしていた。
2015/16シーズンは絶好調であった。年間チャンピオンのトップに立って、更に自身のレベルアップの為に様々なアプリで打つ回数を増やした。
そんな2015年の年末。年末年始の一時帰国をした時に思い切ってフリーデビューを果たした。
まったく面識のない初対面の人と麻雀を打つ。ただ、手ごろなお店を選んだせいもあってびびってしまうようなことはなかった。
確かちょい勝ちのフリーデビューであったと記憶している。

はじめてのゲストプロ雀士との同卓
フリーデビューの翌年だったか、夏に一時帰国をして行ってみたら「ゲストプロ来店」のお知らせを見つけた。
もうこの瞬間から『プロと打ってみたい』という気持ちに。
その記念すべきはじめてのお相手は日本プロ麻雀協会所属の水瀬千尋プロだった。

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水瀬プロは「姉妹プロ」で有名で、この日も妹の夏美プロも一緒にゲストだったのだが、お店のスタッフさんに「どちらと同卓希望されますか?」と聞かれて「では、お姉さんで。」と指名した。
対局の結果は確か3着で千尋プロがオーラスに跳満を上がってトップを捲り「さすがプロ!」と言う所を見せて下さった。
ちなみに、プロ同卓二回目は今の推しの夏目翠プロでついこの間のこと。その間5年ほど開いていたことになる。