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※夢日記「眠れないときのラジオ」

とある夜、午前四時。
何度目かの寝返りをうち、諦め顔で時計を見た。
特に予定があるわけでもないけど、できれば変な時間には寝たくない。
明日を台無しにしないために早く眠りたい。
電気を消し、もうほとんどだれも書き込まなくなったSNSを閉じて、やさしい布団の温もりに身をゆだねても頭が冴えて仕方がない。
おかしい、眠るってどうするんだっけ?
瞼を閉じていても、目の前の暗闇の向こうに何かが見える気がしてしまって余計に頭が冴える。
脳みそに考えたくもない言葉が次々に浮かび、それを止めようとする度に心がザワつく。
闇の中に星のような渦が回転して少しずつ心がドキドキして、脳は何かの信号を送り続ける。
こんな夜がわたしにはたまにやってくる。

あともう少しで世界に太陽が昇るだろう。
この時間はいちばん静かで、時間なんて関係なく人間も動物も空気も街も何もかもが、不思議なくらい音を立てなくなる。
あとすこしで光が戻る。
この不思議な時間。
眠れないわたしは、もうどうにでもなれと諦め、新鮮な空気がすいたくて外へ出ることにした。
近くのコンビニへ少しだけ散歩して、気分転換したら寝れるかもしれない。
街は示し合わせて黙り込んだように静かで、自分の息づかいや心臓の音すら騒音のようだ。
まるで、世界にわたしだけが取り残されたみたいだった。

突然、音がした。
自宅のマンションを出て数百メートルの狭い路地を曲がると、人が住んでいるのかどうかすら怪しい朽ちた木造アパートがある。
目隠しのためのブロック塀はひび割れ、住居を雑草が覆い、ほとんどの窓には木製の雨戸が閉まったまま。
窓ガラスが剥き出しの部屋も、その向こうはさらに深い闇が広がるばかりで人の気配はうかがえない。
その一室からハッキリと人の声が聞こえた。
不意打ちに心臓が大きく跳ね、動きを止めて耳をすませた。
声は少し違和感がある、スピーカーを通したような声質、話し方もハキハキしていて話し声というより不特定多数に語りかけるようだ。
これはラジオだ。
誰かがこの暗闇で窓を開け放したまま、ラジオを付けっぱなしにしているんだろう。
わたしは少し胸をなで下ろした。

ちょうどその番組では悩み相談コーナーのようなことをやっていた。
相談者は女性、おそらく電話で話しているのだろう。
たしかにこの時間に似つかわしい、誰にも話せないような重い育児の話題だった。

「子供が親を選んで生まれてくるという感動話が絵本なんかでありますよね?あれはきっと嘘だけど、でもそれで喜べるお母さんはきっと幸せですよ。」
相談者の女は少し声を荒らげていた。
「わたしだって一生に一度の気持ちで産んだのに、子供を選びたかった。なんでこの子なんだろう?もっといい子を選びたかったのに…母親は子供を選べないなんて!不公平」
途中でパーソナリティが「それ以上言ってはだめです」と彼女の声を遮った。
彼女の声はまるでこの時間の夜のように優しく冷静で、不思議なほど鋭く心に刺さった。
わたしには女性の声に聴こえたが「彼」かもしれない。
それくらい中性的で芯が通っており、ゆっくりと静かなのに闇を切り裂いて通るようなそんな声だった。
相談者の女は突然打ちひしがれた様子で涙声になった。
「ほんとうは分かってるんです。わたしは酷いことを言ってる…全部実母に自分が言われたことなんです」
そう言って彼女は少しのあいだ嗚咽を漏らした。
「あまりにも酷いことを言ってしまった。自分が一番その酷さを分かっているんです。どれだけ恐ろしいかを、取り返しがつかないかも」
ラジオのパーソナリティは何も言わない。
「…もう生きることはできない、わたしが死んでしまうのが一番でしょう。娘も、母にとっても、わたしにとっても」
そう言って相談者の声は消えた。
電話が切れてしまったのかもしれない。
一呼吸してパーソナリティの静かな声がまたした。
その声には朝方の夜のような優しさの中に鋭い厳しさが混じっていた。
「あなたが死んだとしても、あなたの家族はあなたの言葉やした事を覚えいます。ときにあなたの存在に動かされ、これからも生きるでしょう。」
「あなたが死んだとしても、この世界はあなたの生まれた世界としてこれからも続いていくのです」

わたしはその声についつい聞き入ってしまっていた。
街に朝の気配が濃くなってきた。
建物がなければ、地平線が白く光るのが見えたかもしれない。
二度とこない夜が終わり誰も知らない朝がくる。
1日の終わりと始まりを告げる合図のように、パーソナリティは厳かに言った。

「人間には本当の死、などないのです」

街に光が生まれた。
太陽が顔を出したのだ。
その時はじめて今日の空が青いのだと気がついた。
朝が来た途端、ラジオは嘘のようにプツリと終わった。
夜とはまた違う静寂が広がる。
変わってしまったのだなぁ、と思った。
あれは夜が明ける前までのラジオなのだ。
まるで何もなかったかのように、いつもの生活がはじまる。
さっきの相談者はもしかして死んでしまったのだろうか、それともまたいつも通りの人生を続けるのだろうか。
立ち止まっていた足を動かしコンビニへ向かう道すがら、早起きのお年寄りや朝帰りの若者とすれ違った。
太陽のある時間の世界には夜明け前のことなんて嘘みたいに思わせる力がある。
眠れない夜に考えるようなことはお荷物で、見えている今日を生きなきゃいけない。

だけど、それじゃきっと心にいつか影が溢れてしまう。
そんなとき、わたしたちには眠れない夜が来る。
影が影じゃなくなる時間。
優しくも厳しい夜明け前を求めて。
あのラジオは、今日も光の中に疲れた誰かの耳に聴こえているのだろうか。
闇と光が繋がる時間、この時間の優しさが必要なとき、わたしはきっとまた夜更かしをする。
あの眠れない時のラジオをまたいつか聴ける日があるだろうか。

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