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コミュニケーションを阻んでいたのは自分だった、という話

追い詰められた状況で視野狭窄になっていると当たり前のことができなくなるんだなあ、と感じたので同じことを繰り返さないためにこの経験を書き残そうと思います。

話の前提

今関わっている開発プロジェクトで発言の影響度が強い人がいて、こちらが進めようとしていることが阻害されて進捗が止まっているような状態が続いていました。
開発チームも影響度の強い人との接触を避けるようになってしまった中でなんとかプロジェクトを進行させるべくコミュニケーションを繋ぐ役割をしたり、情報のコントロールをしている状況です。

気づきのきっかけ

なんとか画面設計が進み始めたところに開発チームから設計の見直しをしたいという相談があり、見直し後のほうが問題が解決されてシンプルな実装になると感じた。
その後すぐに上司に設計見直しの話をした際に当時の自分が想定外だった言葉が返された。

「申し訳ないけど今聞いた限りでは見直しがいいという判断はできなかった。強く言い切れるだけの理由がなければ誰も納得しないよ。」

そこで上司も話を聞いてくれないのか、とはならなかった。目の覚めるような感覚が自分を襲った。
プロジェクトを進めるために都合のいいように話を聞き、都合のいいように人を丸め込もうとしていたのかもしれない。

そこから先は無我夢中だった。
自分の中で感じた根拠を言語化して、現状の設計の問題点と設計見直しでどう解決するかを簡単な資料を作って関係者(開発チームはいなかったが)と真剣に議論した。いや、思い返すとあれは対話だった。お互いの意見を受け入れ、余計な感情は入らず「つくるもの」に対して真っ直ぐに言葉を交わす。おかげで見直し後の設計にかなり近い形で全員が納得し、これでいこうということでまとまった。開発チームにもいい返事ができそうだ。

何が問題だったか

プロジェクトの進捗が悪く、とにかく前へ進めようと躍起になっていたこと、うまくいかないことへのストレスが主な要因のように思う。
プロジェクト進行を阻害する人への敵対心もある(これは今でも少なからず残っている)。相手に敵意はなく、相手の問いに答えることができない自分たちに問題がある。そのことから目をそらしていたんだ。
それに気づかせてくれた上司は本当に感謝しかない。

Twitterですごくいいツイートを見かけたので最後に貼っておく。


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