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ウポポイ訪問をきっかけに、やっと学びの入り口に立てた感覚。アイヌのこと、これからもっと知っていきたい。

少し前に、ウポポイ行ってきた。(水曜日のカンパネラの歌でCMやってるの、みたことある方もいるんじゃないでしょうか。)

新しいミュージアムができたこの機会に、そろそろちゃんとアイヌのことを学ぼうと思ってのこと。現地に行く、というのは自分の学び方としてはすごくいい。その土地に身を置くと、その土地に関することを学ぶ力が湧いてくるような気がする。その土地に身を置くからこそ、感じることがある。

ウポポイ(民族共生象徴空間)とは?

ウポポイは、民族共生象徴空間と称され、アイヌの歴史や文化・世界観に触れられるミュージアムと、文化に触れる体験・活動ができるエリアから成る。あるのは、ポロト湖という湖のほとり。アイヌの人たちがコタン(村・集落)を形成し、生活をしてきた土地だ。ちなみに、ポロトとは、大きい湖という意味。近くにはポント湖があり、こちらは小さい湖の意味。狩りに行った男が帰ってこず、毎夜丘に登って涙した妻と子が、それぞれ流した涙でできた湖という伝承があるそうだ。

ここにウポポイができたのは、その前身の白老アイヌ民族博物館 / ポロトコタンの取り組みがあってのこと。ポロトコタンは、ウポポイオープンに伴って、その歴史に幕を閉じたが、その最後の1日が、貴重なことに映像として残っている。本当に美しく、思いが詰まった素晴らしい映像なので、ぜひ見てほしい。そして、この動画を見ると、ここで自分たちの手で民族博物館をつくり育ててきた人たちの、閉館への複雑な思いが感じとれると思う。

アイヌの世界と出会うきっかけの場所、としての意義

 博物館は、意外にも1フロアのみ。文化的な面の展示は、私はとてもよくできている...と思った。カムイとアイヌ(人間)の関係、カムイと共に暮らしてきた生活の様式、カムイとつながる儀式や祭祀のこと。詳しい方からすれば、得られる情報は基礎的なことに限られるのかもしれないが、今の私にとっては非常に勉強になったし、「もっと知りたい」「面白い」「美しい」「全然知らなかった・・・」という思いで、かなりじっくりと見て回った。

少し前に、渋谷のユーロスペースで見た「アイヌモシリ」の映画の理解もかなり深まった。実際の、阿寒湖コタンの人々が出演している(でも、脚本がある)映画である。

「あの、死者の世界とつながっている穴って、そういうことだったのか」「主人公のカントという名前は、そういう意味だったのか(天、という意味なのは映画の中でも分かったが、それがアイヌの世界観の中で何を意味するのかは分かっていなかった)」など、この展示を見たことによって、映画の要素について、遅ればせながら理解できたことが多かった。

この映画では、アイヌにとって非常に重要でありながら、長らく行われていない熊送りの儀礼・イオマンテを人知れず復活されるという話が出てくるのだが、「今の時代にそれは理解されないだろう」「いやでも・・・」と、コタンの人々の間でも、意見が割れる。その時に、登場人物であるデボさんが言っていた、「アイヌとして、イオマンテをやらないというのは、なんか違うと思うんだよ」という台詞の意味が、すごくわかった。これは、特に私にとっては意味のあることだった。そして、わかって尚更、映画を見たときにエンドロールの中でひっかかっていた「この撮影において動物が傷つけられたことは一切ありません」という注釈に、複雑な感情が湧いてくる。

誰よりも自然とともに生きてきた人たちの世界観が、近代的な動物愛護の価値観のもと、否定されてしまう。イオマンテを今の時代の中で、どう考えればいいのか、私に持ち合わせている答えはないけれど・・・悶々とした思いになる。このニュースも同じように、胸が苦しくなりながら、見る。

和人が、差別の歴史に向き合わなくていい場所(かも)

ただ、こちらの記事でも指摘されているように、なぜアイヌ語やアイヌ文化が失われる憂き目にさらされたのか、ということへの言及はかなり薄い印象だ。もちろん、コシャマインの戦い、シャクシャインの戦い、旧土人保護法のことなど、差別を受け苦しい生活を強いられてきたこととそれへのレジスタンスがあったこと、北海道アイヌ協会の活動や、先住民の国際連帯への参加などについても言及はあるのだが、一言ずつ、という程度。人類館事件にいたっては、あの書き方じゃ、知らない人は差別事象だとは思わないだろう。
「アイヌ文化っておもしろいね」と興味を持つキッカケには大いになると思うが、これだと、私を含めた和人が、自分に矢印を向けて、アイヌと(ひいては自分自身のルーツと)向き合うことにはなりにくいと思う。
 
ウポポイの展示は終始「私たちは」と、アイヌの人が一人称として語る構成になっている。それ自体は、とても大事なことだと思う。マイノリティだからこそ、「語られる(客体化される)」のでも、「語らせられる(強制される)」のではなく、主体として「(自ら)語る」ことの意味は大きい。でも、そうであればこそ、和人の侵略を明確に批判する語りがあってもよかったのではないかと感じる。ただ同時に、それはアイヌの人たちに背負わせることではないなとも思う。だから、そこは、和人の立場から、和人の一人称で、アイヌに対して行った加害が(反省を持って)語られるポイントが、この展示室にあってしかるべきではないかな・・・というのが感じたこと。民族共生象徴空間、というのであれば。

まあでも、書いてて思ったけど、ウポポイがどうあれ、向き合うかどうかは一人ひとりの私たちの問題ではあるな。うん。

自然と一緒に生きること

「ウポポイに行く」がきっかけになった今回の旅では、「アイヌのことを学ぶ」がテーマになった。なので、ウポポイ滞在中だけではなく、いろんなところで、アンテナを立てて過ごしてみた。

ポロトの森は本当に美しい。冬枯れの森ですら、こうも美しいのだから、緑豊かな春や夏はどんなにかと思う。

この森で、一晩キャンプをしたのだが、夜は真っ暗闇。完全なる闇。
「え、足音みたいな音しなかった...?」「熊か?....出たらどうしよう...」などと恐怖を感じながら、なかなか寝付けなかった。。(ポロトの森のキャンプ場は、去年ヒグマの目撃情報があり一時閉鎖された)
翌日は登別に行ったが、地獄谷に立ち上る湯気、熱湯が湧き出る湖など、自然の力強さにに圧倒された。

人間は、自然を制御しすぎたのではないかなぁと思えてならない。自然への畏敬の念を育てる、ということが道徳教育のねらいの1つになっているが、自然にどっぷり浸ることなく、そんなものが育まれるのか、なんだかとても疑問である・・・。

アイヌの人たちは、植物や動物、道具や、自然から得られるすべてを、魂が宿っているカムイだと考え、儀礼などを通して、カムイとつながりながら暮らしてきた。北海道の自然に触れ、その偉大さを感じながら、ここで育まれた文化と世界観なのだなぁということに深く納得する。

世界の先住民族の多くは、「土地を私有する」という概念を持たない。誰かのもの、という発想がない。自然とともに生きているからこその感覚だと思う。そこに近代的な土地制度が付け入るかたちで、誰のものでもなかったと土地が、侵略する側によって私有化されていく。世界中で起きたことだが、アイヌに和人がしたことも、まさしくそういうことだ。勝手に官有地化し、民間に払い下げた。自然とともに生きてきた人たちが、山林や、川や海を奪われるということは、生活できなくなるということに他ならない。

北海道で長年教師をしてきた石川晋さんが、昨今話題の「Society5.0」について「狩猟・採集が1.0だとか言っている歴史観の薄っぺらさよ・・・」と憤っていた。「僕の教室にいたアイヌの子の前で言ってみろと思う」と。本当に、そうだよなあと思う。

教育と、子どものアイデンティティの話

いいか悪いかは別にして、「学校で習うこと / 授業で扱われること」には、ある種の「正統性」が付与される面があると思う。学校で扱われていることは、正しいことであり、本当のことであり・・・というような。

日本の学校で学ぶのは、大和民族の歴史だ。たとえ、クラスに朝鮮半島ルーツの子どもや、アメリカルーツの子どもがいたとしても、多くの場合、太平洋戦争は、大和民族の立場から習うことになだろう。アイヌの子どもたちは、自分たちの民族のルーツと歴史について、学ばない。征夷大将軍がヒーロー的に扱われる教科書で歴史を学ぶ。そのことが、マイノリティ側の子どもたちに与える負の影響は大きい。だから、歴史の授業の中で、少なくとも「この授業の外側に置かれている存在」について、言及すべきだと思う。

私は、今回、旧土人保護法のもとで、「アイヌ学校」なるものがあったのを初めて知った。実は、ニュージーランドの先住民族であるマオリの学校に行ったことがあり、アイヌの学校、という発想は、「おお」と一瞬思った。マオリ学校は、マオリ語で教え、マオリの歴史を学び、マオリの子どもたちに肯定的なアイデンティティを育む場所だったのだ。しかし、このアイヌ学校は日本語を教えて同化させ、かつ教育内容は和人の子どもたちと比べて薄い内容のものだったそうだ。(差別的な法律のもとで作られた制度なのだから、そりゃそうなのだが、一瞬ちがうものをイメージしてしまった...)

逆に、今、アイヌ学校があってもいいのではないかなぁ。マオリ学校のような。フルスクールじゃなくても、例えば、週2回はアイヌ学校の方に通う、というような選択ができたら、それってすごく豊かなことではないのかなぁと思う。

(これは、アイヌの立場から書かれた歴史教科書。PDFで読めます。)https://www.ff-ainu.or.jp/web/learn/culture/history/files/cyuugakusei.pdf

私は、マイノリティ当事者の子どもや若者が、どう自身のアイデンティティに向き合っていくのかに、ものすごく興味がある。なかでも、自分も被差別部落で生まれ育ったからだと思うが、そのコミュニティの中で、世代を超えて伝わっていく"何か"に、並々ならぬ興味がある。心動かされる。ウポポイで一番良かったのも、「若い子たちが活躍しててどうやら楽しそうにやってること」だった。

被差別部落の家族を撮ったドキュメンタリー映画「ある精肉店の話」をみた時も、家族経営でやっていた解体所(屠場)を閉めるシーンで、おばあちゃんの手を支えて歩く孫(小学生ぐらいの男の子)に釘付けだった。この子は、何を今受け取っているんだろう、とそればかり気になった。

コミュニティのないところのアイヌの子どもたちはどうしてるのだろうか。自分のルーツについて知らされているのだろうか。「知ってはいる」という子たちは、どう捉えているのだろうか。(部落でいえば、もはや自分に被差別のルーツがあることを知らない子も増えているし、知っているとしても、捉え方は本当に様々だ)

今回、この旅をきっかけにいろいろ調べて学び始めてみて、感じるのは、やっぱり、アイヌとしてのアイデンティティを引き継いでる若者たちの多くが、活動家の子どもであること。家庭での教育と、コミュニティの有無が、当事者の子どものアイデンティティ形成に大きく関わっている点は、部落の現状とよく似ているのだと思う。(いいとか悪いとかではなく)

若い人たちの思いに触れられる映像を、いかにいくつか紹介しておきたい。特に、「AINU MY VOICE」は、主人公であるりえさんの思いが伝わるものとしても、映像作品としてもとても素晴らしいと思う。最後にりえさんが歌うアイヌの即興歌・ヤイサマが本当に美しい。

まだ、学びの入り口に立ったばかり

今回の旅で自分なりには、いろいろな情報や場や自然に触れて、考えたが、大きなこととして、アイヌの人と出会うことが欠けていたと思う。ウポポイには、アイヌルーツの職員さんもたくさん働いていて、話しかければ結構いろんな話を聞かせてもらえるはずなのだが、実は人見知りである私は(と言っても誰も信じてくれないのだが。苦笑)、話しかけるということができなかった。だから、これから人と出会っていけるといいなと思う。

次は二風谷にも行ってみたい。上の映像「AINU MY VOICE」のりえさんご夫婦がやっているゲストハウスがあるそうだ。そこに泊まりたいなと思う。萱野茂博物館も行きたい。あと、千葉にカムイミンタラという場所があるそうで、ここも行ってみたい。

旅の最終日。ポロト湖のほとりのベンチで、触れたものや感じたことを振り返りながらコーヒーを飲んでいたら、ブワワッと強い風が吹いた。20秒ぐらいだったか。「まだまだなーんにも分かってないぞ」と言われたような気がして、また来よう、と思った。

【2020.11.24午後、ポロト湖畔にて。奥に見える建物がウポポイ。】

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