大森静佳歌集『ヘクタール』

散文と同じように読むと大半は理解できません。名詞や動詞をひとつひとつ突き詰めて意味を追求する読み方もありますが、意味でガチガチに糊付けすると魅力が半減する気がします。背筋が冷たくなったり、内臓が熱くなる感覚をそのまま楽しむことをお勧めします。
フェリーニ『道』や『女殺油地獄』等、元ネタがはっきりしている作品などには一読してすんなり分かる作品もあります。通常、私は平明でシンプルな短歌を好むのですが、大森静佳さんの歌集に限って言えば、平明でもなくかと言って難解でもないあたりの作品にひかれました。
歌集の全収録作品を理解したとは言い難いのですが、どの歌も全身がぶわっとする迫力がありました。とは言え、歌集一冊読んで感想が「全身ぶわっとしました」で終わるのも何なので、大森静佳さんの歌集『ヘクタール』から好きな歌を紹介します。

はなびらは光の領土とおもいつつ奪いたし目を閉じれば奪う   大森静佳『ヘクタール』
地面に咲いている花ではなく桜のように頭上から降りしきる花だと読みました。目を閉じて花びらだけを眼裏に焼き付ければ、空の光から奪うことができます。

時間ってこんなにも赤い樹だったかそのひと枝をかかげて逢えり   大森静佳『ヘクタール』
時間が樹木であるというのはわりと一般的な感覚かと思いますが、それを赤いと感じるのは逢いたい人がいるからだろうと思いました。

わたしはもう夕焼けだから、きみの血が世界へ流れ出たって平気   大森静佳『ヘクタール』
源氏物語へのオマージュの一連、女三の宮の歌と紫の上の歌の間にありますが、きみの血が流れる世界に対する関心の薄さ、自分は夕焼けだという虚無感は女三の宮でしょうね。

この枝に枝垂れるミモザ ごめんって言われたらもう咲かすしかない   大森静佳『ヘクタール』
源氏物語へのオマージュの一連で、浮舟の歌の後に置かれた歌。匂の宮目線とも読めますが、ひたすら消えたがっているように見える浮舟の深層心理と読みたいです。

釘のようにわたしはきみに突き刺さる錆びたらもっと気持ちいいのに   大森静佳『ヘクタール』
釘のように突き刺さるだけでも充分痛いし深く傷つくでしょうけれど、錆びていたら細菌で化膿して熱出したりしそうで、生涯忘れられないでしょうね。

赦されぬことが葉となり花となりわたしはいっぽんの木のままでいる   大森静佳『ヘクタール』
主体は自らに罪があることを認めていますが、赦しを乞うことなく、一本の木として立ち続けることでそこから育つ葉や花を受容しているのだと思いました。

ためらいをふくむ言葉のうつくしさドーナツの輪をちぎりつつ聴く   大森静佳『ヘクタール』
ドーナツの輪という均衡を手で引き裂きながら聴いているあたりに「ためらいをふくむ言葉」に対して主体は一歩引いた態度で、あくまで「うつくしさ」を鑑賞しているような印象を受けました。

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