田村穂隆歌集『湖とファルセット』

田村さんが現代短歌社賞次席になるよりずっと前から、田村さん推しだったので歌集上梓は嬉しい限りです。実際の著者の個人情報は知りませんが、作中主体は、実父から暴力を受けて育ち、自分の男性性が受け入れ難い成人男性として描かれています。
私は、本来、強い言葉や派手な比喩を駆使した短歌はあまり好きではないのですが、田村穂隆さんの『湖(海)とファルセット』は、連作の中で、自分の加害性や男性性に苦しむ主体像が描かれているので、そこに強い言葉や派手な比喩を使うだけの必然性があるのだと感じました。

祖父は父を父はわたしをわたしはわたしを殴って許されてきた 田村穂隆『海とファルセット』
祖父から父への「虐待の連鎖」の末、主体はその暴力を他者ではなく自分に向けています。自分を攻撃することでしか自分を許すことができないのでしょう。

三羽ともメスで何にも孵らない卵を産んで弱っていった 田村穂隆『海とファルセット』
自分の体が大人の男性になることに対する強烈な嫌悪や恐怖を感じさせる一連の中の一首。主体は、無精卵しか産まないまま少しずつ弱って死んでいった鳥と自分自身を重ねているのでしょうか。

治らない傷などないと後輩に説かれて二十二時半の雲 田村穂隆『海とファルセット』
この歌の次の歌で主体は休職します。二十二時半に後輩から正論で追い詰められたらキツイでしょうね。結句で自分の感情を出さずに、夜空の曖昧な雲に転換したところに惹かれました。

咆哮のようにモビプレップを嘔吐してまだ人間に戻りきれない 田村穂隆『海とファルセット』
モビプレップは大腸検査の前に飲む下剤。「咆哮」から自分を化け物のように感じていると推察されます。大人の男の体になることを気持ち悪いをと感じる自分が、普通の人間ではないかのように思っているのでしょうか。

無傷って言うときひとつめの傷ができる気がする 僕は無傷です 田村穂隆『海とファルセット』
無傷だと偽ることで、辛うじて保っていた精神が傷ついたのでしょう。結句の言葉を主体が発したとき、ざっくり大きな傷がついているはずです。

対岸が霧に切り落とされた湖 欲しがれば欲しがるほど遠い 田村穂隆『海とファルセット』
相聞の章が続いた後の一連。心象風景の中の湖には霧がかかっていますが、対岸を「切り落とされた」と断言しているので、どんなに欲しがっても届かないのでしょう。

霧は樹々に切り刻まれてそのようにわたしも抱きたかったよ君を 田村穂隆『海とファルセット』
霧が樹々に切り刻まれながらもその樹々を抱いているので「わたし」も君に切り刻まれながら君を抱きたかったのでしょう。過去形なので「わたし」はもう君を抱くことはできないのだと読みました。

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