安田茜歌集『結晶質』

口語で短歌を詠むと、どうしても文語と比べて一首の中に「切れ」を入れるのが難しくて韻律がのっぺりしがちですが、口語という制約の中で、かなり意識的に韻律を変化に富んだものにしているという印象を受けました。
安田茜さんの『結晶質』は、実生活と心象風景が渾然一体として、主体の中でも区別されていないように感じました。そのせいか、主体と世界のつながり方が不安定で、他者の登場が少なくて実体があるのか観念上の人間なのか判然としない描かれ方をしていることが多く、その孤独さが印象的でした。

血は垂れる 金のりんごを身体からひと月ごとにそこなうように   安田茜『結晶質』
月経は卵子が受精しないまま体外へ排出されたことを意味します。本来は子どもを授かるための尊いものを失っているという思いが「金のりんご」に象徴され、生々しく直截的な初句の痛々しさを増しています。


寝返りをうつほどシーツのしわたちはきみのからだに集約されて   安田茜『結晶質』
一首だと後朝に読めますが、一連で読むと、深夜に「きみ」が眠っているところを主体だけが目を覚まして見つめているようです。シーツにしわが集まるという「きみ」の重量感や実態感を快く思っているのだと読みました。

ギャラリーはあちら、と声の指すほうへむかったはずが海に出会った   安田茜安田茜『結晶質』
日常生活の中でお互いに意図せずに異空間へ至ったという喜びか、求めている結果とはまったく違うものに至った喪失感か、私は両方あると読みました。現実と薄い膜を隔てているような距離感に惹かれました。

かいがらのような女性がおじぎして送ってくれたゆうさりのカフェ   安田茜『結晶質』
礼儀正しくで清潔感で、でも決して他者を必要以上には近づけない女性。海辺のカフェという場所もあり、現実と異世界の境界に立つ番人のような印象を受けました。「ゆうさり」という逢魔時な時間設定も効果的です。

今日は雨 すでに興味を失ったものが灯りになるときもある   安田茜『結晶質』
「すでに興味を失ったもの」は逆に言えば、過去には自分が心を寄せていたもの。現在は興味がなくなっているからこそ、現在の自分が心をかき乱されることはなく、思い出として苦しい現状の中に灯るのだろうと思いました。

ゆうづつがこころになだれこむ前に食後のくすり食前にのむ   安田茜『結晶質』
宵の明星が上がった頃なので、丁度、夕飯の前あたりで、どうやら主体はこのくらいの時間帯が苦しいみたいです。食後を待たずに薬を飲んでしまうあたり、精神的に切迫していることがうかがわれます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?