佐藤通雅歌集『岸辺』

二〇一七年から二〇二一年までの作品が収録された第十二歌集ですが、この間に五十年以上続けた個人編集誌「路上」を終刊し、がん治療を受けているせいか、友人・知人を続々と亡くしているせいか、死をとても近くに感じている歌が多いという印象を受けました。
佐藤通雅さんは宮城県仙台市在住の歌人ということで、東日本大震災関連の短歌も多く収録されていますが、かなり口に出しづらい部分にまで踏み込んでいるので、迂闊にコメントできない作品が多いです。歌集『岸辺』の中でも感想を書きやすい作品をいくつか紹介します。

期間限定安売り墓地の広告を二日とりおき三日目に捨つ   佐藤通雅『岸辺』
当然、自分が死後に納骨されるための墓地です。「期間限定の安売り」という身も蓋もなさと、二日目から三日目への心境の変化をあえて説明しないそっけなさに惹かれました。

病とはつひにひとりのものだから雪のことばに耳を傾く   佐藤通雅『岸辺』 家族でも親友でも決して分かち合えないものはあり、病気もその一つです。雪のことばが聞くためには、まず孤独であることが必須条件なのでしょう。

やがて入試問題となるだらう「イラククルシイ」と覚えるだらう   佐藤通雅『岸辺』
詞書に「一九九一(平成3)年 イラク戦争。ソ連邦崩壊。」とあります。歴史的な出来事を目の当たりにしつつ、作者はそれが記号化された未来を見ています。

べくべからすずかけ通り去り行きし鼓笛隊はや戻ることなし  佐藤通雅『岸辺』
詞書に「二〇〇〇(平成12)年 永井陽子自裁。」とあります。「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊 永井陽子」

なぜ死の側に選ばれなかつたのだらうか 不眠のまぶたに広がる茜  佐藤通雅『岸辺』
詞書に「二〇一一(平成23)年 東日本大震災。『強霜』刊行。」とあります。当時、宮城県にいた人の多くが、同じような思いで眠れぬ夜を過ごし、明け方の茜色の空を見たのではないでしょうか。

ラ・フランス一顆掌にして帰らむに雨雲裂けてそこよりの光   佐藤通雅『岸辺』
洋梨を手に持って帰っていたら雨が晴れてきたというだけの内容ですが、映像にするとまるで宗教画のような荘厳さがあると思いました。

死者五十、こちらは二万といふときの少し誇れる思ひを叱る   佐藤通雅『岸辺』
「二万」は東日本大震災の死者数なので「死者五十」は熊本地震の死者数(関連死を除く)だと思います。「少し誇れる」と「思ひを叱る」が宮城県民の屈折した感情をうまく言い当てていると思いました。

では、お先に といふ感じにて同輩の罷れば花もはや用意せず   佐藤通雅『岸辺』
「では、お先に」という台詞から、死者は死を恐れていなかったこと、作者は自分の死を遠くに感じていないことが窺われ、「もはや用意せず」という日常感になるのでしょう。

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