大木恵理子歌集『コンパスを振る』

歌集は通して読むと作者の年代や職業などが全てわかるものと全くわからないものがありますが、本書は前者です。面識はありませんが、年代や境遇など、私と共通する部分が多いようで、特に労働の歌が身につまされました。好きな歌をいくつか紹介します。→

経費削減に蛍光灯一本抜かれたる食事室にけふもつどひぬ   大木理恵子『コンパスを振る』
蛍光灯の管を入れる本数を間引くのは職場ではよくある節電対策ですが、少しだけ心が薄くなる気がします。食堂ではなく食事室というのも、くつろぎや談笑の要素のない栄養補給のためだけの場という印象です。

辞めゆけるわけは言はざる同僚と夕べ駅まで帰りゆくなり   大木理恵子『コンパスを振る』
駅まで一緒に帰るくらいなので、主体と同僚は不仲ではないけれど、退職理由を話すほど親しくもないのでしょう。主体から聞くような話でもなく「今日は暖かいね」などと無難な話をしながら帰るのでしょうね。

枯れぬ花を生花の中にあまた置き花屋は少し明るみてをり  大木理恵子『コンパスを振る』
いつまでも枯れないというのは、植物としては異形です。「明るみて」とありますが、この歌が「中年」という連作の冒頭にあることを考えると、皮肉な薄っぺらさを明るさと感じたのだと読みました。

掌にだんご虫のせて見せにくるこの頃継父と睦みゐるらし   大木理恵子『コンパスを振る』 継父=おや
小学校の教員になり、低学年を受け持つようになってからの歌。小さな生き物を大事に思い、それを先生にも見せてあげようと思うと言うのは、子どものが精神的に安定しているからなんでしょうね。

電通の若き過労死思ひつつ仕事納めに鶏に餌をやる   大木理恵子『コンパスを振る』
冬休み中、児童の代わりに鶏に餌をあげていた教職員も、年末で仕事納めになったのでしょう。大企業での華やかな仕事ではないけれど、子どもや生き物と触れ合い仕事納めができる自分の生活を思っているのでしょう。


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