澄田広枝歌集『ゆふさり』

心象風景の歌が多いという印象です。私は、作者の人間像が見えないと、どこをとっかかりに読んでいいのか分からなくなるタイプですが、この歌集は、作者が実生活で抱いた強い感情や皮膚感覚を心象風景に落とし込んで詩歌に昇華しているという印象を受けました。
私は、心象風景の歌を読むと「光とか風とか情緒的な言葉にもたれて実は何も言っていないんじゃないか」と疑いがちですが、澄田広枝さんの『ゆふさり』における心象風景は、リアルな悪夢のような生々しさを五感で感じているという印象を受けました。好きな作品をいくつか紹介します。

手術室のやうに庫内はあかるくてどこに置かうかチーズの欠片  手術=オペ  澄田広枝『ゆふさり』
冷蔵庫の庫内灯のほっとする温かみ皆無の明るさが「手術室」に表れていると思います。人工的な明るさのなか、チーズを置く場所に迷うというのは、かなり精神的に追い詰められていると感じました。

寒いのかあたたかいのかわからないあなたが春と言ふから春だ  澄田広枝『ゆふさり』
気温を判断できないというのは、かなり弱っていて心身と現実が乖離しているせいでしょうか。春だと言ってくれる「あなた」だけが心の拠り所という印象を受けました。

身めぐりに消臭剤を吹きつけて断ちたきもののひとつか母は   澄田広枝さん『ゆふさり』
お母様の介護の一連から。一人では排泄も難しかったようです。こうした介護現場で悪臭がつくことは容易に予想されますが、それを消臭剤で消し去ることに、お母様を否定しているような罪悪感を覚えています。

雨よふれいつもただしいことを言ふあなたをしばしとほざけながら    澄田広枝さん『ゆふさり』
いつも正しいことを言う人は、過ちや弱さや愚かしさを許容してくれないので、一緒にいると気が休まらないのでしょう。雨というイレギュラーな正しくなさが救いなのだと思います。

性欲のやうに夜汽車はとほりすぎ熱をおびたる線路が残る   澄田広枝『ゆふさり』
夜汽車を性欲に例えていますが、実際は夜汽車が通り過ぎた後、熱を帯びている線路という心象風景を通して、既に自分を通り過ぎてしまった、それでも僅かに熱が残るという主体の性愛を詠んでいるのだと思いました。 

横顔の向かうの海のことを言ひ先のことなど言はぬ窓の辺   澄田広枝『ゆふさり』
主体と相手が向かい合って座っていて、相手は窓の方に顔を向けて海を見ていると読みました。本当は将来のことを話し合わなければならないけれど、互いにその話題に触れることを警戒し、海の話をしているのでしょう。

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