小田島渚句集『羽化の街』

小田島渚さんは、私も参加している仙台の超結社句会「仙臺俳句会」の代表を務める方で、何度も句座でご一緒しましたが、伝統的なものでも現代詩のようなものでもきっちり決める印象です。吟行や袋回しでの即詠でも得意で、短時間で一定水準以上の句を量産できる才能には脱帽です。
小田島渚さんは、以前は短歌も詠まれていて評が的確なので、私は未発表の短歌や俳句の連作を推敲する際には、小田島さんに読んでもらって意見をいただいておりました。一方、私は現代俳句は詠むのは勿論、読むのも下手なので的外れなことを書くかもしれませんが、好きな句をいくつか紹介します。

みなかみに逝きし獣の骨芽吹く  小田島渚『羽化の街』
山奥の川辺に野生動物の死骸があり、骨に腐敗した肉片が残っていて、肉片の栄養と川の水分で植物が生えたのでしょう。「骨芽吹く」が凄まじいですね。

臨月のごとき砂丘や秋の蝶   小田島渚『羽化の街』
今にも子どもが産まれそうなふっくらした砂丘だったのでしょう。冬には死ぬであろう秋の蝶との対比が効いていると思いました。

冬の森われを異物のやうに吐く   小田島渚『羽化の街』
マタギのように自然と同化した存在でなければ、冬の森に長くいるのは厳しいでしょう。「吐く」は、冬の森が人間の上の存在として意思を持って我を排除したアニミズム表現と読みました。

紙ふぶき作るしじまのあたたかし  小田島渚『羽化の街』
お祝いの準備だと読みました。春の暖かな静寂の中、誰かのために黙々と紙を切っているというのが、愛に溢れた光景だと思いました。

ハロウィンの南瓜の笑ふ口に闇   小田島渚『羽化の街』
大きなかぼちゃにナイフで切り込みを入れて笑顔を作ったのでしょうけれど、その口元に闇を見たというのが、南瓜が自我を持ってしまったようで、ハロウィンにふさわしいと思いました。

遠足のひとりは誰も知らない子   小田島渚『羽化の街』
遠足の子というとどうしても可愛い方に行きがちですが、遠足というものの持つ異世界と隣り合わせの怖さを端的に言い当てたところに惹かれました。

大海に向く家々や餅配   小田島渚『羽化の街』
多分、網元か何かの大きな家で、毎年、親族総出で庭でたくさんの餅を搗き、年末のご挨拶として近隣の漁師達に配るのだろう、というドラマが見えますね。

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