愚痴

 別段書きたいこともないのだけれど、書く他にしようがないので煙草を吸いながら眉間に皺を寄せて絞り出すようにこの文章を書いている。特に面白いことも書かないので、読者諸賢はブラウザバックすることをお勧めする。また、このような理由から通知も出さないつもりである。

 鳥は空を飛ぶために翼を持つ。魚は泳ぐためにヒレを持つ。それと同じように、僕は書くためだけの心を一部分として持つ。書かなければ空を飛ばぬ鳥、泳がぬ魚。その心は死ぬのである。そういう訳で、僕は嫌で嫌で仕方がないのだけれど、キーボードを叩いている。もちろん、小説を書きたいときもあれば、何かについて語りたいときもある、しかし、今は何も書きたくないのである。けれども、その心が「書け」と僕に命じるのである。今までこの心が命ずるままに、どれだけの駄文を書いてきただろうか。考えただけでも自分の愚かさに閉口し、赤面、混乱する。何かを伝えたい人間だけが文章を書けば良い。何か伝えられるもの、伝えたいものを持たぬ者の書く文章は文学と言わない。子供のおままごとです。ただの言葉遊びの域を出ない。そうして詩人気取り、耳障りの良い言葉ばかりを並べ、如何にも真剣で重大な表情で作品などと言って発表する。フォロワーが増えたら密かに喜び、人気の作品などを固定ツイートにする。小説家と名乗れるほどの作品も書かない、小説家と名乗るのはハードルが高いので詩人なんて便利な言葉で誤魔化していやがる。誰の真似事だい。その精神の下劣さ、自己顕示欲、僕は辟易としている。よくもまあ世の中の人間は酒も飲まずにポエムなんてものをツイッターに書けるなと不思議に思う。あの人達は繊細な気持ちも持たなければ、伝えられる内容も持っていやしない。あるのは虚栄である。他人から良く見られたい、賢く見られたい、持て囃されたいだけである。多くの人に読んで欲しい。嘘をつけ。多くの人に自分を認めて欲しいのだ。そういうハリボテの綺麗な詩もどきを読むくらいなら、僕は何も読みたくない。そして、何も書きたくない。僕は本質的な何かを書きたい。正直に書きたい。欺瞞や自己弁護などは書きたくない。それができないなら何も書きたくない。

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