なんとなく

 僕の興味の大半は人間という生き物の普遍的な生活や性質に基づいている。なので、時間経過と共に色褪せたり生成変化することはなく、伝え方が上手くなったり様々になったりするばかりで基本的なテーマは変わらない。例えば物事の上達の仕方とか信仰心とか、人間心理だとか哲学だとか。だから、最近のニュースとか有名人のあれこれなどの話はまるで分からない。僕は常々疑問なのだけれど、有名人の不倫騒動とかで騒ぐ人たちの気持ちが全く分からない。僕はあくまで自分の生活の延長線上の事柄(ここには思想も含める)にしか興味がなく、誰それが不倫したとか全く別世界の話で正味どうでもよい。過去の偉人達を考えても色恋沙汰で苦汁を舐めたり、恋愛への極度の内圧が作品意欲へと昇華している場合もある。ただ、道徳的に不倫や浮気は良くないものであり、僕もそれには大いに賛成するばかりである。また、敢えてこれらに触れるとすれば、作品と人物を分離して考えたほうが良いと思っているだけである。声優や俳優が演じたキャラクターや配役は、スキャンダルがあったとしても別で分けて評価されるべきで、発売禁止とかくだらないことはしないのが良い。素晴らしいものは素晴らしい、良い作品は良いと言えるのが表現の自由だと思っている。
 話を変えよう。閑話休題という表現は皆が使っていて手垢にまみれているので使いたくないという謎の反発心。これが逆張りだろうか?元々の僕の性質なのだけれど、気に入ったものを何回も反芻して繰り返し繰り返し味わう癖がある。好きな本を十回二十回と読んだり、お気に入りの曲を一日中聴いていたり。そうかと思えばギターを最近全く触っていなかったり、読みかけの本が溢れていたり気まぐれというかその時々によって全く趣味が変わる。良く言えば色々な物事に関心を持てるとでも言おうか、悪く言えば継続する力がないのかもしれない。このような性質は現代社会においてネガティブに作用すると言わざるを得ない。これによって会社の人間関係も不安定にならざるを得ないし、生活基盤そのものですら綱渡りをするような不安定さを持ち、少しでも強い風が吹けば頻繁に昼夜逆転、気分の落ち込みが発生する。
結論。社会で生きていくのは難しい。足が速い子もいれば遅い子もいるように社会で生きるのが得意な人もいれば不得意な人もいる。得意かどうかを決める要素の多少はあれど、構造としては向き不向きの域を出ないと思う。かけっこにおいては足が速いという要素のみを持っていれば良いが、社会においてはコミュニケーション能力やストレス耐性、要領の良さなど要素は多岐にわたる。そして、職業選択によっては必要な要素が変わるであろう。なんか色々書きたいことがあるけど、今日は疲れたのでここまで。

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