数年ぶりに好きだったアイドルの魅力に触れたオタク


 わたしはeighterだった。勝手に、もう過去のように必死に応援できない自分にはその名前を名乗る資格がないのでは、と思い、過去形で表現することにした。

 隠さず言うが、わたしは4年前からFCの更新をやめてしまった。もう、好きでいることがつらかったのだ。きっと、多くのファンが苦しかった数年間を、わたしも同じように過ごした。わたしはその中で、耐えられず挫折してしまった。
 いわゆる「推し」と言う言葉を使うなら、わたしは丸山隆平さんを推していた。彼の言動全てが可愛いと思うし、ベースを弾く姿は何よりかっこいい。永遠にわたしのアイドルであることに変わりはない。だが、わたしは「関ジャニ∞」というグループそのものが大好きだった。
 詳細は省くけれど、人生のどん底だと思うほど当時のわたしにはつらい出来事の連続で、心が疲弊しきっていた中学3年のときに出会ったのが関ジャニ∞だった。
 それまでのわたしは関ジャニ∞を面白い人たち、くらいの認識しかなかった。過去に聴いた「LIFE~目の前の向こうへ~」はずっと記憶に残っていたが、それを彼らが歌っていることは知らなかったほど。何かのタイミングで「愛でした」や「ER」を聴いた時(ぶっちゃけERの歌唱の時なんでこんな意味わからない衣装着てるんだ?とすら思ったが)、面白い人たちとしか認識していなかった彼らのイメージが180度変わった。めちゃくちゃかっこいい人たちじゃないか!当然ながらメインで歌う渋谷すばるの声に、歌に、釘付けになった。
 そういうわけで、わたしは見事にeighterの仲間入りを果たした。それはそれは楽しい日々だった。沢山、とは言えないが同じように彼らを好きな友達が出来、僅かばかりのバイトで稼いだお金は8割は関ジャニ∞に貢いだ。つらいこと、しんどいこと、色々あったけれど彼らを見ているだけで幸せだったし、生き甲斐だった。

 しかし、そう、あの日がやってきた。「重要なお知らせ」その言葉に気が気じゃなかった。バイトがある日だったがその日の仕事はうわの空。そしてみんなより一足遅れて休憩中にそのお知らせを見た。瞬間、とっくに気付いていたけれど、それでも涙が止まらなかった。泣き過ぎてその後も仕事だったが帰った。マジで。泣きながら電車に乗って帰るわたしを、何も知らない人たちは怪訝そうに見ていた。そりゃそうだ。若い女が泣きながら電車に乗っているのだ。なんとか家に帰りつき、泣いてるわたしに何事かと言う家族に、「渋谷さんが…」と言葉を詰まらせながらまた泣いた。来る日も来る日も泣き続けた。
 だって、七人の関ジャニ∞が好きだったんだ。後にも先にもこんなに夢中になれたものはない。というか、あまりにも楽しく輝かしい記憶のせいで、関ジャニ∞はわたしの中で特別な存在になってしまっていた。
 あまりにも受け入れたくない事実に、わたしは未だにあの日の記者会見を見ていない。彼らの口から何を語られたのか、知る勇気がないまま数年経ってしまった。多分、この先も見ることはないかもしれない。それはわたしの弱い心を守るために必要なことだった。ファンとしては失格かもしれないが。

 それでも、ファンだから、こんな時だからこそ応援しなければ、と最初の一年間は必死だった。とはいえ六人の音源を聴く勇気がなく、GR8ESTのライブは放心状態で参戦したせいで記憶がない。こんなことではダメだと自分を奮い立たせて行った翌年の十五祭。オープニングで号泣した。包み隠さず今までの関ジャニ∞を語り、そしてこれからを見据えた彼らに勇気をもらった。
 今までとは違う。けれど、わたしが好きになった関ジャニ∞に変わりはない。そう、確かに思ったから、買えずにいたCrystalのCDもやっと買った。十五祭の福岡公演の後に。
 だからこそ、身勝手だが完全に心を折られた。
 渋谷すばるが関ジャニ∞を脱退した後、なんとか飲み込んで頑張れたのは、錦戸亮がいたからだ。わたしは、渋谷さんの最後の関ジャムのとき、錦戸亮が泣いてくれたから、それに救われたんだ。あぁ、悲しいのはわたしたちだけではないのだと、そう確かに思わせてくれたから。そして、自分が引っ張っていくと渋谷さんに言ってくれた錦戸さんが、とても心強かった。
 そんな、錦戸亮も、関ジャニ∞をやめてしまう。流石に二年連続は心折れるて。本当に我が儘な意見だが、やっとやっと前を向けたのにふざけんなって思ったりもした。でも、わたしたちに止める術はない。ただ受け入れるしかなかった。

 それからは、あんなに大好きだった関ジャニ∞の曲をまともに聴けなくなった。バラエティも一切見るのをやめた。五人しかいないスタジオは、とても広く見えて悲しかったから。FCの更新もそれきり、やめてしまった。
 数年経ってようやく、時折思い出したように、七人の頃の曲を聴き、ライブの円盤を見ては、もう見ることのできないこの光景に涙を流した。


 そんなわたしも、関ジャムだけはずっと録画までして見ていた。これは単にわたしが音楽が好きだったからで、好きなジャンルや興味のある内容の時は熱心に見ていたが、あの頃のように関ジャニ∞のメンバーを注視して熱心に見ることは、もうほとんどなかった。

 そうして過ぎたこの数年だったが、つい先日、本当に偶然少年倶楽部に出演している関ジャニ∞を見た。久しぶりに関ジャム以外の、今の関ジャニ∞を見た。
 心が躍った。彼らの話を聞くうちに自然と笑っていた。わたしが好きだった彼らがそこにいた。誰かがふざけて、他のみんなが手を叩いて笑う。それは同じグループのメンバーというより、昔からの友達のような光景。そんな彼らの楽しそうな空気が、見ているこちらにまで伝播してきて、わたしたちも楽しくなる。彼らを見ていると、気付いたら笑顔になってしまう。まるで魔法のようだ。やっぱり関ジャニ∞っていいなあ、と純粋にそう思えた。
 最近の楽曲も、初めて聴いたけれどとてもかっこよかった。がむしゃらで、ひたむきな曲。たまたま久しぶりに聴いた曲が、わたしの好きなタイプの曲であることに、陳腐な表現だが運命のようなものを感じた。あと何より、丸山さんがわたしの一番好きなMUSIC MANのスティングレイを使っていた。ねえこれ過去のオタクを引き戻しに来てるよね???わたしこれめちゃくちゃ釣られてない????と、バカみたいなことを脳内でベラベラ喋りながら聴いてた。つまるところ、あ〜わたしって今でも関ジャニ∞が好きだなあと実感した。
 そして、鮮明に記憶に刻まれた割に誰の発言かはうろ覚えで申し訳ないが(おそらくヒナちゃんが言った)「今が一番楽しい!」という言葉に、思いがけず涙が出そうになった。泣く寸前の、喉がきゅっとなって、目頭が熱くなるのを感じた。2018年からずっと、わたしはいつまでも後ろばかりを振り返ってしまっているのに、この人たちは前だけを見て、いつだって今を一生懸命に生きていた。
 好きな人たちが、今を楽しいと言って笑ってくれている。それ以上の幸福があるだろうか。

 わたしは今一度、関ジャニ∞のファンになりたいと思った。
 彼らが頑張っている時に、ファンでいられなかった、頑張れなかったわたしが、また彼らのファンに、eighterになってもいいのだろうか。次こそ、頑張れるだろうか。そんなことを少し思ったりするけれど、きっと彼らは笑ってその輪の中に混ぜてくれる、そんな気がする。
 3年間というブランクはかなり大きいが、わたしは今、五人の関ジャニ∞の新たなファンとなったのだ。これからまた、少しずつ五人の関ジャニ∞を知っていけばいい。
 正直、あの頃共に歓喜したeighterの友だちのほとんどは既に違うコンテンツに移ってしまっているが、わたしは一人で趣味を楽しむのは得意だ。これからは静かに自分の中で噛み締めながら彼らを応援していこうと思う。

 ひとまず、アルバム8beatを今更何度もリピートしながら聴いているところだ。


 最後に、わたしが関ジャニ∞から離れている間に、気付けば横山裕さんがギターを始めていた。これには驚いた。彼の努力を、心から尊敬する。

 ところでいつからギター始めたの?


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