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下積み時代の話

あれは8年前、いや9年前かな。当時、会社と呼べないような兄弟が切り盛りする家族経営の電気工事会社に勤めていた。社員は最大で9人まで増えた。とにかく朝早くから夜遅くまで必死に働いた。休みもほとんど無かった。社員連中は全員兄弟の友達やその友達。不満を言うやつは居なくて、言えない空気を作るのがうまかったように思う。社会保険に入ってないやつらがほとんどで今となっては、会社として成り立っていたのか不思議なレベルのそんな会社だった。腕がない分、数でなんとかしてるような会社でもちろん給料なんてめちゃくちゃ安くて手取りで14万くらい。最終的には20万くらいまで上がったんだけどそれでも時給にしたら400円くらい。そんなわけでとにかくいつも金が無かった。子供も居たから小遣いは1日1000円。朝に1000円を財布に入れてその中からタバコ代と昼飯、晩酌の発泡酒にときっちり使い切る日々を過ごしていた。自分でもよくやっていたなと思う。会社からは良く小銭が無くなった。電線も実は結構いい値段で売れたりするんだけど、電線もしょっちゅう会社から無くなった。セコムをつけると息巻いて、セコムがついてから最後まで社長の気持ちも虚しく会社からは電線や小銭が無くなった。そんな環境で仕事を続けられた理由がある。

ある時、会社のパチスロ基地の先輩に儲け話があると誘われた。よくよく聞くと幼馴染の店長が居て設定がわかると。取り分は店長と先輩の半々で負けたら補償無し。漫画や噂でしか聞いたことの無い話に胸が踊った。座れなかったらマズイってことで複数台指定台を聞くから、空いた指定台に座ってほしい。6だから勝率高いから一緒に行かないかと。願ってもない話だった。6だとわかって打つパチスロはめちゃくちゃ楽しい。そりゃそうだ、いつも打つ台と挙動がまるで違う。こんな演出で当たんの?の連続で当たり前のように勝てた。問題は軍資金のあるうちに波に乗れるかと他のお客さんにバレないように。一度パチ屋に入れば会話や視線を合わすことは一切なく、朝の並びも帰りのタイミングも別々にした。二人とも狙い台に座れれば毎回行けば5万くらいは平均して勝てていたように思う。

仕事が休みのたびに毎回やるようになった。そもそも休みが無いから月に2回くらい。今思えばそのくらいの頻度だったから良かったのかもしれない。そんな夢のような日々は1年半くらい続いた。

普段金が無いもんだから、あぶく銭が入るとまたパチスロに行きたくなるもんだが、その時は全く行く気にならなかった。平打ちで勝負することが馬鹿らしく感じた。設定6ですら展開や引き負けすれば、負けるもんなのがわかったから。大好きだったパチスロはこの頃から熱が引いていったように思う。

勝った金はその先輩に連れていってもらった夜の街にほぼ全て消えた。スナックやラウンジ、キャバに風俗、ガールズバーにもよく行った。普段我慢してる分、休みが来るのが楽しみで楽しみで。家庭のストレスや職場のストレスは全てそこで発散できた。

そんな夢も長くは続かない。

ある日出勤すると、様子がおかしい。現場の指示書が無く、何をしていいかわからない。昼まで待機したが社長に連絡がつかない。やることもないから掃除ばかりしていた。給料日の2日前の話だった。今日はやることも無いから解散しようという話になった。次の日の朝も社長には連絡がつかなかった。もちろん指示書は無い。流石におかしいと社長の弟が家を見に行った。もぬけの殻だった。

社長は居なくなった。社員全員の2ヶ月分の給料とともに。蓋を開ければ支払いを全てぶっとばしていた。貰えるはずの給料日、取り立て屋がガンガン会社に怒鳴りこんできた。借りちゃいけないとこからも金を借りていたらしい。会社には怖くていられず逃げるようにして家に帰った。家に向かう車中、嫁になんと話をすればいいのか。ただそれだけを考えていた。


さてどうしたものか。手渡しでもらえたはずの給料は一切貰えなかった。午前中には家につき、嫁の帰りを待った。あら、今日はやいねなんて普段通りすぎる嫁に最初はなにも言えず。発泡酒を2杯くらい飲んだくらいにやっと伝えることができた。

嫁はただただ泣いていた。涙も枯れた頃怒りの矛先は俺に向かってきた。今でも後悔しているが、そのとき人生で初めて女性に手をあげてしまった。軽い平手打ち。言い返す言葉が無かったのと今までの全てを否定する言い方に腹がたち、どこまでも蔑む言い方に我慢の限界だった。

その瞬間にフラッシュバックした。

ガキの頃親父が母親に手をあげているのをみた時に、殺してやりたくなるほど憎んだ親父と同じ事をした。一番みたくない親父の姿。酔って大声を出しテーブルをひっくり返す、ただただ妹と部屋の隅で小さくなりわんわん泣いたあの幼少期。

嫁は子供達を連れて家をでた。3歳だった長女は家を出る時、パパまたねと笑顔で手を振った。うん、またねと笑ってかえし、誰もいなくなった部屋でわんわん泣いた。

明日から何をどうすればいいのか。同僚や先輩に片っ端から連絡し、とりあえず明日の朝みんなで集まって今後どうするか決めようという話になった。会社に集まるのは取り立て屋がいるからと近くの公園に集まった。給料未払いの時点で社員のうち二人は見切りをつけ社員全員は集まらなかった。噂は広まるのが早い、俺にもうちにこないかと連絡があった。きっと来なかった二人はそうゆうことだろうなと思った。他の社員には、その事は言わなかった。

3時間近く話あっただろうか、社長のつぎに偉い弟が涙しながら解散しようと。給料がもしかしたら貰えるのかと淡い期待はあったが、最悪の結果となった。弟に殴りかかろうとするやつや、裁判で訴えてやると騒ぎだすやつもいた。公園はその日異常な雰囲気だった。

結局、会社は解散。給料は未払いのまんま。会社に残った工具や部材は持っていってくれとの話に収まった。誰よりも先に会社に向かい、取り立て屋が居ないことを確認してから会社のまだ使えそうな工事や金になりそうな部材を取りにいった。会社の中はぐちゃぐちゃに荒らされていた。あったはずのコピー機やパソコンは無く、部材や工具もほとんど残っていなかった。それでもまだ使える錆た工事がいくつか残っていた。そこでも争いがあった。みんな考えることは同じで良いものから取り合いになる。会社の中で特に仲の悪かった二人が喧嘩をしだし、あろうことか工具でやり合い救急車まで呼ぶ羽目になった。

争いの中で、工具や部材をみんなが探してる間俺一人が受注書を探していた。受注先がわかれば、営業に行ける。話を聞いてもらえさえすれば一件二件くらいなら大変だったねと温情で現場が貰えると思ったからだ。ぐちゃぐちゃになった会社の中で必死に探した。10社分集まったタイミングで救急車が来る前に会社を出た。俺がいるべき場所じゃない。とにかく気持ちの悪いあの空間から逃げ出したかった。

家に向かう途中、何度も嫁に電話をかけた。出なかった。まだ怒ってるのか、そりゃそうか。その時はまだそのくらいにしか思っていなかった。



帰宅してすぐにぐちゃぐちゃになった受注書から知ってる会社を探した。どこがいいか、時間は無い。出来るだけはやく結果が欲しい。デカすぎる会社じゃ相手にしてくれないと思った。その中に社長さんに一度現場で顔を合わせたことがある会社の受注書をみつけた。ここから連絡してみようと思った。会社に電話をすると、すぐに社長さんに繋いでくれてすぐにおいでと言ってくれた。なんとかなるかもしれない。すぐにおいでと言われたものの流石に作業服では行けない。営業時代に使っていたスーツがあるはずだ。家の中を探すものの全く見つからない。恥ずかしい話、家事は風呂洗いとゴミ出し程度しかした事がない。家の事は任せきりだったから。スーツがどこにあるか嫁に電話しようかと思ったが諦めて一番綺麗な作業服で社長さんの所へ向かった。

会社にお邪魔するのは初めてだった。現場で顔を合わせてコーヒー飲んだときは小さな会社だよって言ってたのに普通に立派な会社だった。工務店て書いてあったから、町の小さな工務店だと思い込んでいた。失敗したと思った。こんな大きな会社じゃ相手にしてくれないだろう。せっかく来たからと腹を決め受付の女性に話をすると社長室へ通された。社長室は広く、パリッとしたスーツ姿の社長に圧倒されてしまった。大変だったね、なんとなく話は聞いてるよ。そういってニッコリ笑う社長は現場で会ったあの社長だった。彼もキミのように最初は飛び込みでウチに営業にきてね、なかなか筋のある男で好きだったんだがなあ、そうかそうかと。思い出に浸る社長に、詳しい現状を早口で必死に伝え、時間がない事も伝えた。たぶん5分くらいだっただろうか。話終わるとただ一言わかったとだけ言い、内線で誰かを呼んでくれた。その人が来る前に社長は言った。

ウチにくるなら歓迎するが、そのつもりで来たんじゃないんだろ?現場をひとつ任せるから必死になってやり遂げてみなさい。キミはまだまだ若い、人生はこれからだ。家庭もあるんだろ?頑張れ、応援する。

暖かすぎる言葉の連続に涙が止まらなかった。ありがとうございますも涙のせいでうまく言えなかった。

こちらへどうぞと呼ばれ、さっそく担当さんと現場の話になった。何件か候補があるから好きなのを選んでいいと、図面をくれた。だめだ、デカすぎる。とてもじゃないが今の状況で叩ける規模の現場じゃない。声を掛ければ手伝ってくれる同僚もいるとは思っていたが、寝ないでやっても終わらないレベルだった。図面をみて固まる俺に担当さんがまだありますよと追加で図面を持ってきてくれた。その中でも一番規模の小さい現場の図面に目がとまる。これならギリギリいけるか。詳しく聞くともう現場は動いていてすぐにでもやって欲しいとのこと。担当さんには後で連絡しますといい、会社を出るときに最後に社長さんにしっかり挨拶をした。

時間がない。車に乗ってすぐ近くのコンビニにいき、なけなしの金で図面をコピーした。すぐに材料を拾って積算する。ざっくり材料だけで30万くらいだった。4人でやれば10日間くらい。40人区もあれば叩けるだろうと。話に乗りそうな同僚に電話をかけ、なんとか二人確保した。問題は材料代だった。そんな大金どこにもない。現場が仕上がるまで金は入らないから材料代は全て先出ししないといけない。初めて消費者金融に金を借りにいった。躊躇は無かった。その日のうちに審査がおりて満額の30万借りた。金が出来たと同時に担当さんへ連絡をした。じゃあ早速明日から現場で打ち合わせしましょうと、とんとん拍子に話が進んだ。

誰もいない家に帰る。長い1日だった。歓迎のおかえりはない。いつもはうるさく感じる子供達の笑い声はない。こんなに静かなのか。静寂に耐えきれなくTVをみつめる。味のしないビールを流し込む。もうやるしかない、あとには引けない。不安とやる気が混ざって寝れなかった。長い夜だった。


現場には予定より30分も早く着いた。まだ誰もいない。結局酒で自分をごまかして寝ようとしたがほとんど眠れず、下手に寝ると最悪寝過ごしそうだから早くに家を出た。しばらく待つと大工さんが来る。大工さんは朝が早い。がっちりした体格で昔は相当やんちゃだったんだろうなと見ただけでわかる風貌。電気屋は大工さんを敵に回すと色々やりにくい。仲良くなったほうが都合がよい。ニコニコ挨拶をして機嫌をとった。随分と若い電気屋だが大丈夫なのかと不安な目でみられたが、元気と笑顔で乗り切って担当さんと仲間の到着を待つ。結局仲間は時間ギリギリにきて、開口一番、いくら貰えるのかと金の話しかしない。そりゃそうだ、みんな必死だ。安い金額だったらこのまま帰ると足元見られて、そこはまあまあこれから打ち合わせするから待ってくれと担当さんがくるまでなんとか繋ぎとめた。担当さんは結局待ち合わせ時間を過ぎてから現場にきた。図面をみながら詳細を詰める。大工さんは電気の工程が遅れていることにイライラしていた。本来ならもうとっくに電気の工程が進んでいないといけない状況だった。打ち合わせが終わる。なんとかいけると思った。あとは労務でいくら貰えるのかだった。あまり安いと仲間が帰ってしまう。部材はもう金まで借りて注文してる、どう話を切り出していいかめちゃくちゃ迷った。担当さんが帰る間際に、労務の話をした。4人で10日はかかる積算だった。寝ないでやれば10日はかからないだろう。60万貰えれば、仲間も帰らずにとりあえず今の危機的状況を乗り切れる算段だった。見積もりは部材30、労務60で提出していた。担当さんにズバリで金額を言った。

見積もり通りでやれるとふんだんですが、現場の状況をみるに追加の工事もあります。日程的にかなり厳しそうなので追加分含めて税抜で100万程度みてくださいと。

担当さんは間髪入れずに大丈夫ですと言った。気が抜けた。詳しく聞くと今回は社長さんが幾らでもいいからやらせてやれと話をしてくれていたらしい。安堵の気持ちともっとふかして言えば良かった気持ちとで複雑な気持ちだった。とにかく道は見えた。あとはとにかくやるだけ。仲間に金額を伝えた。10日で20万。お前マジかよ、そんなに貰っていいのか?給料が20万しか貰えてないんだから、そりゃみんな嬉しい。今回の現場は、こんな状況でも来てくれた仲間だ。きっちり分配したい。そうすればまた次がある時に助けてくれる。とにかくみんなでなんとか頑張ろうと自分と仲間を鼓舞した。すぐに部材を取りにいき、作業を進めた。

最初は順調だった。3日目の朝に、一人来なくなった。連絡をしたが繋がらない。思い当たる節はあった。初日から大工さんと馬があわず、休憩のたびに愚痴をこぼしていた。会社に居た時からそれが普通のやつで、悪気があるわけじゃないんだが、どこの現場に行っても他業種さんとうまく馴染めないやつ。無口で寡黙で丁寧に仕事をする姿を見てたから俺は一番信頼していた。悪い癖でわざと聞こえるように現場で愚痴をこぼすのが球に傷だった。あれこれ考えてる暇は無かった。とにかく現場を少しでも叩かないと。残った仲間と二人。愚痴も言わずにがむしゃらにやった。あいつなんでこないんだろうな。何度も思ったが口には出さなかった。深夜まで、黙々と作業をして、その日の帰り際、残ってくれてる仲間に話をした。このまま二人だとかなり厳しい。最後までやり遂げたいし、金も欲しい。最後までやれば充分な金も手に入るし、次も現場が貰えるかもしれない。本来なら居酒屋でも行って疲れを労いながら、夢を語って話をしたかったが、金も体力も残ってない。とにかく自分の思いを伝えて帰宅した。

現場はきっちり、10日で完成した。4日目からは二人で朝から深夜まで作業をした。終わったときには、本当に嬉しくて、汚い格好のまま二人でハイタッチして喜んだ。検査が終わると同時に居酒屋でお疲れ会をした。部材30でみていたところをケチっておいて正解だった。たった二人で最後までやりきれたこと、めちゃくちゃな重圧から解放されたこと、お互いの夢を語り、わけがわからないくらい酔っぱらった。最高の時間だった。

次の日、完成させた充実感を胸に工務店に向かった。入金はまだまだ先だったが、とにかく社長にお礼と完成の報告をしたかった。良い点数をとったテストを親にみせるあの感覚に近いものがあった。応接間をノックする。社長は報告をするといつもの笑顔で自分のことのように喜んでくれた。ちょっと待ってろと席をたつ。出されたコーヒーを飲んで待つ。5分くらい待っただろうか、社長が封筒をくれた。

これは餞別だ。とっときなさい。今回は厳しい現場を収めてくれたと報告を受けた。ウチにとっても有り難かった。これからもよろしく頼むよ。

そういってゴツゴツの手と握手をした。なんだかその場で封筒の中身をみるのが悪い事のような気がして、車に戻ってから封筒の中身をみた。120万入っていた。何度も数えた。120枚ある。会社の駐車場から会社に電話をする。社長に繋いでもらった。間違えてないですかと聞く俺にいいからとっときなさいと言ってくれた。また泣いた。すぐに仲間に連絡をした。最初は寝ぼけていたがめちゃくちゃ喜んでくれた。お前マジですげえな、次もあるならやるからいつでも言ってくれよ。すげえすげえと連呼する仲間に本当に嬉しく、なんとかなったんだと達成感と安堵感でいっぱいだった。

すぐに支払いを全て済ます、それでも40万近くは手元に残った。未払いだった給料2ヶ月分。わずか10日で手に入った。これならやれる。自信もついた。社長さんの所の他にまだ連絡してない受注先もある。光がみえた気がした。

家族に報告したい。実家に居るのはわかっていた。子供に会いたい、あの日の事を嫁に謝らないと。仕事でいつまでも誤魔化しているわけにいかない。

いくら電話をしても出ない嫁の実家に向かった。


嫁の実家に向かう車中。嫁のお母さんになんて話を切り出そうか、そればかり考えていた。親父さんは俺たちが付き合って半年、交際の挨拶をしにいったのを最後に死んだ。末期癌だった。まだ歳も若かったはず50前半だったと記憶している。親父さんが亡くなったときもお母さんは凛としていて、泣き崩れるような姿を見せる事はなかった。余命宣告もあったから覚悟はできていたのかもしれない。あんまり笑うことも少なくて少し苦手だった。親父さんが亡くなった後にお母さんに結婚の挨拶をした。娘さんを下さい、幸せにします。ドラマでよくみるベタな挨拶をしたのを覚えている。守れなかった約束。なんと言われるのか。その時はそればかり考えて、今までの結婚生活の思い出がぐるぐる頭を駆け巡った。

夜の8時くらいだっただろうか、他の家庭なら晩御飯を食べて家族と過ごしている時間。俺は何度もきた嫁の実家の家の前で複雑な心境でいた。やっぱり嫁の車はある。カメラ付きインターホンを押す。1回、2回。灯りは付いているのに反応がない。3回目。お母さんがでて一言。はい。とだけ言った。〇〇は居ますか?電話が繋がらなくて。インターホンに顔を近づけながら早口ぎみに伝える。少し間があいて、会いたくないと言ってます。とだけ言われた。とにかく話をさせてくれと伝えても、その日インターホン越しに嫁が出てくる事は無かった。後ろで聞こえてくる子供達の声が聞こえて、虚しくやるせなかった。

結局何も話せぬまま、ポストに20万だけ入った封筒を入れて家に帰った。会えないとは思ってなかった。こんなことになるなら手紙のひとつくらい書いてきたら良かったと後悔した。家に帰る途中、嫁にラインをする。既読がつくことは無かった。いつになったら戻ってきてくれるんだろうか、その時ですらまだ事の重大さに気づいてなかった。

仕事は順調だった。とにかく必死に何でもやった。工務店の社長は全面的にバックアップしてくれた。当面は金も無いだろうと、部材も売り掛けで買える電材屋さんを紹介してくれて現場の労務費も出来高で払ってくれた。最初は本当にギリギリでやりくりしていたから助かった。工務店の担当さんとも仲良くなり、見積もりの作り方や請求書の出し方、ハンコを安く作れるサイトや、屋号を出して事業者登録をするやり方。工事保険の担当さんまで紹介してくれた。まさに手取り足取り教えてもらった。歳が近かったからウマもあった。お酒の好きな担当さんで、現場が完成するたびに社長から予算預かってきてますんでと言いながら居酒屋に連れていってくれた。今でも仲良くさせてもらっていて、お互いに立場も変わったが、酔ってくると必ず初めて会った日の必死だった俺の真似をしてちゃかしてくる。仕上がりや現場の作業についても、ダメなものはダメとはっきり言ってくれた。本当に周りには支えてもらったしラッキーだったと思う。工務店だけでなく、あの日持ち出してきた受注書の会社さんは一度は現場を任せてくれた。工具を取り合ったあの日、仲間と同じように一緒に争っていたら今の俺はいない。ムキになっていたらきっと救急車に乗っていたのは自分だったかもしれない。あらためて思うがあのときは本当に冴えていた。みんながパニックになっている中でどうすれば解決できるのか冷静に考えれていたから。仲間内で連絡をとりあっていたからか次第に仲間が増えていった。人数も増えて、ある程度でかい現場がきても収めていけるし、現場が被っても対応できるようになった。売り上げはみんなで仲良く分けよう。口癖のようにみんなを鼓舞して率先して作業も打ち合わせもした。仕事で忙しいほうが余計なことを考えなくて楽だった。

仕事が忙しいと理由をつけ、お母さんにも会いづらくあの日以来嫁の実家には行ってなかった。封筒を入れて帰ってきたあの日から1ヶ月、またお金を渡しに嫁の実家へ向かう。今回は30万あった。給料を渡す大義名分があればまだ会いやすい。金額も増えてるしほとぼりも冷めて一緒に家に帰ってくれるかも。楽観的に考えていた。タイミングが悪かったのか灯りはついていなく、車も無かった。その日はお金だけ入れて家に帰った。

ある日、仕事を終え家に帰ると封筒が届いていた。弁護士事務所からだった。中を開けると離婚調停のお知らせだった。目の前が真っ暗になる。中には以後連絡は弁護士を通して連絡してくるようにと書いてある。すぐに電話をしたがその日は時間が遅かったのか繋がらなかった。順調な仕事とは裏腹に家庭のほうは最悪な方向へと進んでいた。


悪いことは続く。弁護士からの手紙がきた次の朝、何度も朝から弁護士に電話をする。7時、8時、9時。全く繋がらない。10時の一服の時にやっと電話がつながる。とにかくイライラしていた。口調も自然と強くなった。一方的なことに全く同意できずに、事務的に何度も同じ返答をする弁護士に腹が立った。何を聞いても同じ返答。聞き方を変えても同じ返答。政治家のような話口調で毎回こういう。

調停で全てお話いたします。

お前に何がわかるんだと怒鳴って電話を切る。仲間がみんな俺をみる。普通の状態じゃなかった。もちろん眠れなかったし、常にイライラしていた。何かきっかけがあれば爆発する。自分でもわかっていた。普段なら周りの状況をみて指示も出せるし、足りないとこを補う動きも出来る。その日は違った。何をしてもうまくいかない。うまくいかないと腹が立つ。周りが思ったように動いてくれない。工程通りに進まないイライラで他業種さんともやりあった。わかっていた。こんなんじゃダメだ。普段ならコーヒーでも買ってきて早めに一本つけようかなんて声を掛けるのに。

昼飯を食う前に電話が鳴る。手を止められてイライラしながら携帯をみる。前の会社の社長の弟からだった。解散を言われて以来全く会ってもいない。いまさらなんの用だと未払いの給料が頭をチラついてさらにイライラさせた。

はいっ?

イライラしながら電話に出る。おー、と強めの口調で相手が答える。次の言葉を待たずに、なんすか?給料貰えるんすか?口にしたあと言い過ぎたと思った。

携帯を耳につけれないほどの爆音で相手が怒鳴っている。もはや何を怒っているのかさっぱり理解出来なかった。よくよく聞くとどうやらウチの会社の顔使って商売しやがってと怒っているようだった。冷静になって話をする。そもそも会社は解散で給料は2ヶ月分貰っていない。解散した後に誰が何をしようと関係ないはずだ。公園で兄貴は自殺したかもしれないと涙ながらに話をしていたが、仲間から逃げた社長が市内のパチ屋で見たわと目撃情報も聞いていた。色々言いたいこともあったが、いうても元上司。とりあえず何がしたくて電話をしてきたのか聞くことにした。弟の言い分は、ウチの社員を使って元請けを奪ったと。だから賠償金を払えという電話だった。流石に呆れて言い返す気にもならなかった。ひとしきり話を聞いたあとに落ち着いて答えた。

好きにしてくださいよ、忙しいんで切りますよ

一方的に切ったあとしつこく電話が鳴るもんだから着信拒否をして作業の続きをした。その日は全く捗らなかった。職人はその日の気分や体調で進み具合がガラッと変わる。ダメな日の典型だった、良いはずが無い。ダラダラやってもしょうがないから今日はもう帰ろうか。みんなに声を掛けて17時でまだ明るかったがその日はあがることにした。

まだイライラしていた。仕事にイライラしていたんじゃない、朝から毎回オウムのように調停で全てお話しますと言っていた弁護士。信号で止まるたびに弁護士の言葉が頭の中でこだまする。納得できないことばかりで頭がどうにかなりそうだった。家に帰ってもその事ばかり考えて何も手につかない。飲みに行くことにした。どうにかこの気持ちをリセットしないと次の日を迎えられない。とにかくストレスを発散しよう。

馴染みの居酒屋で大将に愚痴をこぼす、スナックで死ぬほどビールを飲み声が枯れるほど歌をうたう、連絡が来たからとその後ガールズバーへ行く。へべれけに酔っ払い、まともに歩けずタクシーに乗り込みやっとの思いで家につく、3時過ぎくらいだっただろうか。ストレス発散というのか、頭がぐるぐる回り何も考えれない。布団に飛び込みそのまま死ぬように眠った。

次の朝、家を出ると車の鍵が開いていた。二日酔いでよくわからずにエンジンをかける。現場の住所のナビを入れて気づく。後ろのドアが開いている。いやいやまさかよと思い、車を降りて確認する。車に積んでいた材料と工具は全て無くなっていた。綺麗に空っぽ、レンタカーでも借りたかというくらい何にも無かった。車上荒らしだった。すぐに仲間に合流が遅れる連絡をして、警察を呼んだ。警察の兄ちゃんと被害額の話をした。ざっと40万くらいだった。鍵の修理費を含めたらもっとだ。犯人はすぐに目星がついた。心あたりはありますかと聞かれたが何も言わなかった。1時間ほど指紋をとって結果を待つ形となった。二日酔いで頭がよく回らなかった。空っぽの車で何が出来るのか。鍵のかからない車でとにかく現場に向かった。

調停の日は一週間後に迫っていた。


読んでいる方の中に離婚調停をしたことがある人は何人くらいいるんだろうか。ある日、ポストに届いた離婚調停の呼び出しの中身は、甲だの乙だの難しい言葉であることないこと嫁に都合の良いことばかり書いてあって到底納得できるものではなかった。婚姻費用に慰謝料、子供達の養育費に財産分与。中身は金の話ばかり。今思えば、きっかけがあっただけでとっくに家庭は崩壊していた。日々子供達を育てる為に必死だった。結婚当初に持っていた気持ちは徐々に薄まっていく。離婚なんてテレビの中だけで起こるような話で自分には関係ない話だと思っていた。なんだってそうだ、自分は大丈夫。わけのわからない自信があったりする。ブラックアウトした地震の時だってそうだったし、爺ちゃん婆ちゃんが死んだときの親戚との骨肉の遺産争いだってそう。自分の身に起きるまでは他人事のように感じるがそれは当たり前に自分に起こる。起きてしまってからでは遅い。取り返しのつく事とつかない事がある。今回の離婚については後者だった。離婚をするしないの話は初回の調停のさわりくらいで、2回目以降は終始金の話。揉めに揉めた。裁判を決行して徹底的に争うことも出来たが日に日に大きくなる子供達の事を考えるとそれはしたくなかった。振り返れば2年間の長い期間調停をした。最終的には全て相手の意向で決着がついた。結婚生活9年間が終わりを告げた。

車上荒らしの犯人は結局わからず、指紋も出てこなかった。うまくいけば足を引っ張ってくる人間は沢山いる。嫉妬なのか恨みなのか、2回目の車上荒らしにあった時に事務所に防犯カメラをふたつ付けた。カメラを付けてからは被害に遭うことは無くなった。仕事は順調だった。仕上がりの早さとフットワークの軽さで取引先も沢山増えていった。仲間も増えた。嫌々やる仕事と違いみんなが活き活きと作業していた。団結力もあったし、現場の空気も良い。やればやるだけ成果が目にみえる。腕があがると効率も良くなる。収入も増えた。良いものが出来た時には満足感もある。天職だった。きっと死ぬまでこの仕事は続けていくと思う。独立したタイミングも今思えば良かったのかもしれない。あのままズルズル先のみえない会社に居て安月給で使われていたらとゾッとする。もし今の境遇に迷っている人がいるならやってみるべきだと思う。ガキの頃に教わった。努力は報われる。必ず誰かが見てくれている。無駄にはならない。嫌々やっていた営業マン生活の5年間やセールスしていた2年間もそう、全てが今に繋がっていて結果として形になっている。

人生は苦難の連続で壁は次々と出てくる。これからもきっと出てくる。どうせ越えるんなら楽しく越えたい。まだまだこれから。周りへの感謝の気持ちを持って今日も現場へ向かう。



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