下積み時代の話

あれは8年前、いや9年前かな。当時、会社と呼べないような兄弟が切り盛りする家族経営の電気工事会社に勤めていた。社員は最大で9人まで増えた。とにかく朝早くから夜遅くまで必死に働いた。休みもほとんど無かった。社員連中は全員兄弟の友達やその友達。不満を言うやつは居なくて、言えない空気を作るのがうまかったように思う。社会保険に入ってないやつらがほとんどで今となっては、会社として成り立っていたのか不思議なレベルのそんな会社だった。腕がない分、数でなんとかしてるような会社でもちろん給料なんてめちゃくちゃ安くて手取りで14万くらい。最終的には20万くらいまで上がったんだけどそれでも時給にしたら400円くらい。そんなわけでとにかくいつも金が無かった。子供も居たから小遣いは1日1000円。朝に1000円を財布に入れてその中からタバコ代と昼飯、晩酌の発泡酒にときっちり使い切る日々を過ごしていた。自分でもよくやっていたなと思う。会社からは良く小銭が無くなった。電線も実は結構いい値段で売れたりするんだけど、電線もしょっちゅう会社から無くなった。セコムをつけると息巻いて、セコムがついてから最後まで社長の気持ちも虚しく会社からは電線や小銭が無くなった。そんな環境で仕事を続けられた理由がある。

ある時、会社のパチスロ基地の先輩に儲け話があると誘われた。よくよく聞くと幼馴染の店長が居て設定がわかると。取り分は店長と先輩の半々で負けたら補償無し。漫画や噂でしか聞いたことの無い話に胸が踊った。座れなかったらマズイってことで複数台指定台を聞くから、空いた指定台に座ってほしい。6だから勝率高いから一緒に行かないかと。願ってもない話だった。6だとわかって打つパチスロはめちゃくちゃ楽しい。そりゃそうだ、いつも打つ台と挙動がまるで違う。こんな演出で当たんの?の連続で当たり前のように勝てた。問題は軍資金のあるうちに波に乗れるかと他のお客さんにバレないように。一度パチ屋に入れば会話や視線を合わすことは一切なく、朝の並びも帰りのタイミングも別々にした。二人とも狙い台に座れれば毎回行けば5万くらいは平均して勝てていたように思う。

仕事が休みのたびに毎回やるようになった。そもそも休みが無いから月に2回くらい。今思えばそのくらいの頻度だったから良かったのかもしれない。そんな夢のような日々は1年半くらい続いた。

普段金が無いもんだから、あぶく銭が入るとまたパチスロに行きたくなるもんだが、その時は全く行く気にならなかった。平打ちで勝負することが馬鹿らしく感じた。設定6ですら展開や引き負けすれば、負けるもんなのがわかったから。大好きだったパチスロはこの頃から熱が引いていったように思う。

勝った金はその先輩に連れていってもらった夜の街にほぼ全て消えた。スナックやラウンジ、キャバに風俗、ガールズバーにもよく行った。普段我慢してる分、休みが来るのが楽しみで楽しみで。家庭のストレスや職場のストレスは全てそこで発散できた。

そんな夢も長くは続かない。

ある日出勤すると、様子がおかしい。現場の指示書が無く、何をしていいかわからない。昼まで待機したが社長に連絡がつかない。やることもないから掃除ばかりしていた。給料日の2日前の話だった。今日はやることも無いから解散しようという話になった。次の日の朝も社長には連絡がつかなかった。もちろん指示書は無い。流石におかしいと社長の弟が家を見に行った。もぬけの殻だった。

社長は居なくなった。社員全員の2ヶ月分の給料とともに。蓋を開ければ支払いを全てぶっとばしていた。貰えるはずの給料日、取り立て屋がガンガン会社に怒鳴りこんできた。借りちゃいけないとこからも金を借りていたらしい。会社には怖くていられず逃げるようにして家に帰った。家に向かう車中、嫁になんと話をすればいいのか。ただそれだけを考えていた。




次回は会社倒産から個人事業主への話を、読んでくれるかたが一人でも居ればつらつらと書こうと思います。またみてね。



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