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自分では思いもしなかったことが、私の長所なのかもしれない

自分の「長所」が、思いつけない。

就活生の「自己分析」のような話だが、現在33歳の私の思いである。

かくいう私も、もう10年前にもなる就活の際は、エントリー・シートを前に自分の「強み」や「アピールポイント」を捻り出したものだ。
その時は、「協調性に長けている」「他者と円滑にコミュニケーションがとれる」などと、ありがちかつ無難なことを書いた記憶がある。

が、今となってはこれらも怪しいものである。

現在自信を持って友人だといえる人は、一人しかいない。
人付き合い自体が苦手なため、4歳になる娘の保育園行事等は夫と一緒でないと不安である。
当然、飲み会なども心底苦手としており、そのような場に出席せざるを得ない時は、数日前から極度の緊張にかられている。終了後は、一人で大反省会だ。

仕事では、組織に有益なことなど何一つできておらず、余計なことをしたり失敗したりとむしろ周りの足を引っ張りまくっている始末だ。
そんな状況のため、気軽に世間話ができるような同僚もあまりいない(仕事ができないのに明るく振る舞うのは何か違う気がしている)。

運動神経は小学生の頃から壊滅的で、球技もマラソンも水泳も何もできず、体育のある日が恐ろしかった(中学・高校6年間の体育の成績は常に「2」である)。

火の通った安全な食事を作ることはできるが、料理のレパートリーは少なく、手際がよいわけでもなければ特別おいしいというわけでもない。

美人でもなければ、スタイルも良くない。
「若さ」のカードは確実に失いつつある。別に若くなくなるのが嫌なわけではないが、歳だけは食っていくのにその年齢に見合うスキルなり人間性なりが圧倒的に不足しているのが困るのだ。

…そんな折、職場でこんなことがあった。
年度末の人事異動が発表された日のことである。

私の部署に、別の課からとある20代の女性職員Aさんが異動してくることになった。

人事異動の発表後は、この人が異動するとか、あの人が異動してくるとかの話題でもちきりになるのが恒例なのだが(ちなみに私はこの時間が一年の中で最も嫌いである)、周りの職員の会話に私は耳を疑った。

「Aさんの席どうする?マジでみんな通れなくない?」
「ただでさえ狭いのに椅子引けなくなりますよね」

あははは…


確かに、Aさんはどちらかといえば大柄なほうだ。
事務所内が狭いのももっともで、席配置は安全や移動効率を考慮して決めるべきかもしれない。

それに、別にAさんが嫌われているとかいじめられているとかではない。むしろ、明るく愉快な性格の彼女は皆に好かれている。

でも、しかし、大の大人が、公共の場で他人の体型を揶揄するということが、私には信じられなかった。

他人の外見について何かマイナスの発言をするということは、人として絶対にしてはいけないことの一つではないのか。小中学生ならまだしも、みんな良識のあるいい大人のはずだ。

チキンな私はそこで苦言を呈するようなことはできなかったのだが、せめてもの反抗として「真顔で笑わない」ということに徹した。

そこでふと思った。

もしかしたら、これって私の長所なんじゃないか?

子どもの頃から、テレビの芸能人を含め、他人に対して「デブ」や「ブス」などという言葉を口にしたことは、ただの一度たりともない。

中学生の頃、障害をもつ人を揶揄するような言葉が流行ったこともあったが、人としてあまりにもおかしい、信じられない、と内心怒りに燃えていた。(口に出して反対はできなかった)

高校の頃は、笑いを交えて部活仲間の悪口で盛り上がる会話に、どうしてもついていくことができなかった。
当時は、そんな自分のことを、良い子ぶってノリが悪い暗い奴だ、とすら思っていた。

いや、と今になってようやく思う。

それは、きっと私のいいところなんだ。

別に当たり前のことだから何とも思っていなかったけれど、ナチュラルに口に出してしまう人は案外多いのかもしれない。

自分が嫌いで変わりたいとばかり思っていたけれど、こういうところは、これからもずっと変わりたくないな、なんてことを考えた。










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