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声に出して読みたいアイドルソング~感情が正しい文章を超える凄み~超ときめき♡宣伝部「すきっ」

みなさん、思いを言葉にしていますか。

誰かにこの感情を伝えたい!
私たちは、心に灯る様々な感情を言葉に変換しています。
どのようにしたら上手に人に伝わるだろうか。
私たちは幼少期から「国語」という科目を必修として習い、正しい文法を使い、正しい文章を書く訓練を受けています。
そして、大人になっても、その悩みが尽きることはなく、書店のビジネス書の棚には、数々の文章の書き方についての本が並んでいます。
正しい文章は、ビジネスを円滑にし、美しい文章は、私たちの生活を豊かにします。

しかし、本当に文章は正しくなくてはならないのでしょうか。
国語を学ぶ前の幼稚園児の文章に心を打たれたことはないでしょうか。
それは、子どもだからなのか。
否、それは、感情がそのまま文章になっているからです。
「ママだいすき」
誰が好きなのか、なぜ好きなのか、ママの何が好きなのか、そんな文章的な不確かさは全く気にならず、胸に迫ってきます。
私たちは、社会で有用な「人材」になるために正しい文章の訓練を受け、「人間」であることから少し離れてしまったのかもしれません。

特に誰かを「好き」という感情。
古の時代から私たちの祖先は、和歌を作り、その「好き」という感情を婉曲化させ、美しい比喩に昇華することを競ってきました。
しかし、それは、ときに例えツッコミのワードセンスを見せるために、ツッコミとしての機能が失われ、漫才が面白くなくなってしまうように、諸刃の剣となることもあります。
逆に言えば、感情のままに言葉が生み出されるとき、尽くされた言葉を超え、さらに感情が言葉を超えてしまう瞬間があるのです。
その素晴らしさに気付かせてくれるのが、この曲です。

君と幼なじみで産まれたい
徒歩2分に住んでてほしい

Aメロでいきなりとんでもないパンチラインです。
例えば、あなたの小学生5年生のお子さんが持ってきた国語の宿題のプリントに次の問題があったとします。
「次のうち、空欄に入る正しい文章はどれでしょう。
1.君と幼なじみで産まれたい。
2.君と幼なじみで産まれたかった。
3.来世は、君と幼なじみで産まれたい。
4.君と幼なじみで産まれた。」
あなたはきっと、こう思うでしょう。
「2~4のどれかで、あとは前後の文脈だな」
いいえ、正解は1です。
今、幼なじみでいたかったという気持ちを表すなら本来は2が正解です。
しかし、今のその気持ちを持っているのは、「今」なのです。
文末の時制の文法なんか気にしている余裕はありません。
ほとばしる感情が言葉に乗り移ったとき、文法なんて二の次でかまわないのです。

実は君が悪の組織と闘う
ヒーローだという秘密があったり
「なんだかんだ独り占めしたいな」

モラルをなくすことこそ、恋の魔法です。
悪の組織と闘うヒーローは、人々のために戦っています。
そんな他己的に献身的な人間を、独り占めしてやろうと、かわいく歌います。
あざとくって何が悪いの?なんて言葉が甘く感じられるほど、「いや、悪いよ」という気持ちが私たちの心に宿ります。
しかも、「なんだかんだ」というところに背筋が凍ります。
独り占めすることが人々にとって悪い影響が及ぼされることを知りながら、「なんだかんだ」独り占めしようとする姿勢。
君が闘っている悪の組織よりも悪の心を持った人が近くにいるかもしれないという教訓を教えてくれます。

すき!すき!すき!すき!すき!
すき!すき!すき!
すき!すき!すき!すき!すき!
すき!

そして、この曲にとってのすごさ。
それは、114回繰り返される「すき」という言葉(最後の「好きです」を含める115回)。
聴いていると気が狂いそうになるほどのリフレイン。
しかし、私たちは誰かを好きなとき、言葉になっていないだけで、ずーっと「すき」という感情がBGMのように生活の中で流れているはずです。
誰が好きなのか、何が好きなのか、なぜ好きなのか。
そんな与太こいてる暇はありません。
狂ったように繰り返される言葉こそ、その感情を正しく表現するのです。

全速力の向こうに
何かがきっと きっと待ってる
曲がり角で君に会えますように

え、出会ってなかったの!?
文のねじれ、モラルのねじれ、説明の欠如、そんなモヤモヤを吹き飛ばす衝撃の結末です。
特定の相手を好きと言っていたわけではなく、概念としての「すき」があふれていたという超人的展開。
私たちが学んできた文章的正しさなんて吹き飛ばす威力です。
とにかく「すき」という感情が溢れたとき、誰かを好きである必要なんてない。
暴走する感情は理解できる文章を超越してしまうという人間の無限の可能性を教えてくれます。

そもそも感情を言葉にすることが必要なのでしょうか。
理路整然とした文章とほとばしる感情は、どうしても相性が悪いのです。
崩れた文法は、あふれる感情の余波の証。
文章は、正しくなければ、正しくないほど、美しいのです。

あと、やっぱりとき宣かわいいです。
そのお話は、また今度。

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