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声に出して読みたいアイドルソング~「人間とは、考えない猫である。」疲れている心にはかわいい女の子とかわいい歌詞が必要だ//ネコプラ//『干支えとせとら』

みなさん、疲れてますか?

私は、疲れてます。
職場でずっと頭をかきむしりながら、無理難題に答え続け、日に日に白髪が増えていき、肩を落としながら終電に乗る毎日を過ごしていたら、先日急に心が折れて、午後だけ有給をとって、スマホの電源を落として翌朝まで寝るくらいには疲れてます。

誰かの正義と誰かの正義の間に入り、調整ばかりの毎日で「正しいことを言うなよ!」という倒錯した感情に陥っています。
文部科学省は、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」なんて無責任な言葉を道徳として広めないでほしいです。
「みんなちがって、みんなだめ」もしくは「みんなおなじで、みんなだめ」のどちらかにしてほしいです。
自分がだめなのかもしれない、という心を持つことが、人にやさしく接することの必須条件だと思うのです。
自己肯定感を高めることが、生きるうえで重要なことはわかっているのですが、散々心理学の本も読んで、認知行動療法にも取り組んで、マインドフルネスにも取り組んだけど、やっぱりうまく生きていけない自分はもう死ぬしかないのでしょうか。

否、疲れているだけなのです。
そんな疲れている心に必要なのは、励ましや心配ではありません。
かわいい女の子とかわいい歌詞です。
「かわいい」ってなんでしょうか。
それは「脳みそが溶けるような感覚」です。
合理性とか文脈とか、そんなものは必要ありません、むしろ悪です。
訳はわからなければわからないほど脳みそは溶けていきます。

ここでご紹介したい曲は、//ネコプラ//(読みは「ネコプラパラレル」)の『干支えとせとら』です。

歌詞に入る前に曲名の「干支えとせとら」というタイトルにシビレます。
「エトセトラ」の意味は、「〜など」。
確かに歌詞では干支をモチーフにしながら、結局干支にいない猫の鳴き声を鳴かせようとするアクロバティックな展開に突入するのですが、それを「など」でくくる投げやりな感じが、意味ではなく言葉遊びに重きを置いていて素敵です。

ぐるぐる回り続けてる
おんなじお尻だけ追い回してる
たまにゃSTOPして景色を楽しめよ

そんなこの曲は、いきなり干支にダメ出しをするところから始まります。
ただし、ご指摘を踏まえてストップして景色を楽しんでも、干支の順番は変わらないので、同じお尻を追い回すことには変わりありません。

マジお腹すいて(グー)
髪もすいて(チョキ)
ピーチク(パー!)でピーチク(ピー!)でみんなであいこで(しょ!)
なんだか気のせいかも あんたが気のせいかも サンタは気のせいなの?

この部分が私の読解力の問題ではあるのですが、何度も読み返しても全く意味がわかりません。
1つ1つの言葉の意味はわかるのに、並べると一切の意味を感じられない文章になっています。
多分じゃんけんさせたいんだと思うのですが、そのじゃんけんですら、文脈がなく放り込まれていて、そうでありながら、曲として聴くとまとまりがあるように聴こえるイリュージョンな歌詞です。

さあ、いくぞ
ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
関係ないね誰でも どうぶつってやつは
ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
何回まわりゃ気がすむ? ティータイムも大事さ

幼い頃アルファベットを覚えるために歌っていたABCの歌を彷彿とさせる直球の干支の羅列。
その割に何回まわれば気が済むのかという言いがかりをつけてるところが魅力です。
人間サイドで十二支を勝手に設定しておきながら、動物サイドに責任をなすりつけてる感じが理不尽でたまりません。

タッターリラ タッタッタタラリラ タッターリラ
あーでも まぁ、とりあえず100回まわってニャンと鳴け(ニャン)

そしてついに、タッタータラ〜の部分では、もはや意味のある言葉をあてがうことすら放棄します。
そして唐突にニャンと鳴かせます。
もう干支は関係ありません。
「エトセトラ」というタイトルのざっくりさを回収しています。

ちょちょちょ待ってよ リスがいない? 自分勝手
モルモットもいない? 意味不明(boo!)
ハムスターめっちゃ撫でたい ネコちゃん可愛すぎだ(yeah!)
いつまでたっても3時のおやつは ぐるぐる回ってローリンローリン
どんなに待っても終わりは来ない ぐるぐる回ってローリン(jump!)
いつかは笑って地球も転がせ ぐるぐる回ってローリンローリン
最後はみんなで宇宙を転がせ ぐるぐる回ってローリン(jump!)

リス、モルモットが干支にないことに抗議し、他にも入るべき動物がいることを表明するのかと思いきや、「ハムスター撫でたい」「ネコちゃんかわいすぎだ」という急激な動物愛護思想を見せつけます。
そして、地球は丸いので転がすという言葉でよいのですが、宇宙は今のところ丸いという情報がない中で転がせと鼓舞するかなりチャレンジングな発言が飛び出します。

そして、最後にこの曲は期待を裏切らない支離滅裂さで終演します。

あーでも まぁ、とりあえず100回まわってニャンと鳴け
「せーの」でニャンと鳴け(ニャン)

100回まわってニャンと鳴けと言った直後という絶対100回まわることのできないタイミングでニャンと鳴くことを求めます。
でも、私たちは本能的に迷うことなく求められればニャンと鳴くことができます。
そう、私たちは政治家ではないので、楽しければ朝令暮改でいいのです。
前に発言した言葉に縛られることがいかに無意味か教えてくれます。

「人間とは、考える葦である」とパスカルは言いました。
その真意は、人間は自然の中ではか弱い存在であるが、考えることができるという人間の特別な能力を礼賛するものでした。
しかし、私たちは、考えすぎて自然の中でも、社会の中でもか弱い存在になってしまいます。
そんなときは、何も考えずに「ニャン」と鳴いて、人間であることを放棄しましょう。

「人間とは、考えない猫である。」
干支えとせとらは、優しく私たちに教えてくれるのです。

あと、やっぱりネコプラかわいいです。
そのお話は、また今度。

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