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北浦和


 私が小学生高学年に差し掛かる頃、それまで住んでいた東京は江戸川区の南の端から川を越えて少し北の千葉県は松戸市の馬橋への転居があった。だが転校することは無く、そのまま同じ小学校に通うこととなった。引越しによる変化は通学の道のりに大きく現れた。常磐線各駅停車で十数分、金町から小岩へ、そして今井方面にバスを乗り継ぐ。90分超の所要時間だったが、元来乗り物好きな子供だったので、全く苦にはならなかった。
 物心というか、自分の記憶が朧げながら残っている三~四歳から江戸川を挟んだこの辺りでなんども引越しをしているので、松戸に住む以前のその土地土地の空気感は幼心だが共通性を感じ、馴染んでいた。なかでも小岩という街の存在が大きかった。南小岩に住んでいる頃は、時折縁日に連れられたりし、下町風情は日常にあった。小学校入学前で友達は近所の子に限られたが、週に一回は誰かしらがドブに落ちるようなところに住んでいた。ちなみに私がその頃にいた南小岩の木造アパートは今でも残っていて、外階段を二階に上って右側の部屋だったことはよく覚えている。そしてドブはもう塞がれている。
 しばらく経って、バス通学の頃の朝、地蔵通り前の停留所で待っていると酒臭い輩が何人も通り過ぎていった。当時の私にとっても小岩は最も身近な街だったが、年に数回親に連れられていった日本橋や銀座や浅草とは明らかに違う東京だった。中学も小岩周辺だったのだが、川向こうの市川の方が落ち着いて洗練された街に思えた。
 映画『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(リリー出演の2作目)には当時の小岩駅北口の様子がよく写っている。まさに私が毎日小岩駅を通学で通過していた頃だ。

 松戸に引っ越したばかりの頃には自転車であちこちうろついてみたが、長閑だった。西に進み流山街道を超えると江戸川の土手になる。私が通った小学校もこの川の下流沿いだったが、そこは河原はおろか緑も全く無くコンクリートで固められた大きなドブだった。少しだけ上流のこの辺りはそれとは全く違う趣の誰もが想像に容易い河原の広がる川で夕焼けが綺麗だった。
 それから一年経つか経たないかの頃、馬橋の隣に新駅が出来た。武蔵野線開業と同時の新松戸駅設立だった。自転車で数分も行けば、まだ何もないあたりなので武蔵野線高架と新松戸駅は見えてくる。更に近づくと、流山線の幸谷駅がある。当時は今とは少し違う位置にあったようだが、新しくできた新松戸駅の近代さ加減とは全く正反対の土を盛っただけの忘れ去られるような無人駅だった。そのホームから眺める武蔵野線高架には奇妙な興奮も覚えたが、もしかしたら無くなってしまうのではないか、というこの時の幸谷駅の佇まいの方が今となっては印象が強い。昭和、幸谷駅、等で検索するといくつか昔の写真も見ることができる。その後、駅は少し新松戸駅寄りになり、今でも存在している。
 だが、武蔵野線を普通に利用することになるのは、それから5年くらいは経っての高校生の頃になる。松戸、柏市内の友人宅や金町、青砥の映画館には自転車で行くことが多かったが、浦和や北千住となるとそうもいかない。とりわけ南浦和にいたWは音楽仲間でもあり、よく遊びに行ったのだ。最初に行くときにWに「南浦和だからな。」と念を押された。まだ武蔵浦和駅は開業していなかったが、すでに東西南北に浦和の名が入る駅があったのだ。

 それから四十年が経ったここ数年、北浦和に行く機会が増えた。まずはクークーバードという店があった。頻繁ではなかったが、そこそこ定期的にライヴをやるようになった。NRQの牧野琢磨さんとのデュオが多かったが、他のブッキングもいくつかあったはずだ。広くはないが、とても居心地の良い店だった。ライヴは満員になることはほとんどなかったが、ここでしか会うことのない方が足を運んでくれ、終演後はいつも酒が進んだ。だがかなり馴染んだ頃、クークーバードは閉店してしまった。たしか店主が実家の家業を継ぐことになったのが理由だと記憶する。残念に思っていたのだが、しばらくして居酒屋ちどりという名前で居抜きで営業を始めたと聞く。そしてライヴも再開とのことで、牧野桜井デュオもホームグラウンドが戻ってきたということになる。鳥つながりでちどりという名前になったのかと思っていたら、新店主のお名前がちどりさんだったのだ。北浦和駅までの帰路でちどり足になったことはないが、美味い酒とつまみと良い音楽が普通にいつものちょっとした延長にあり、いつでも良い気持ちで帰ることが出来た。店内から開いたドアの外に見える走り去る自動車や点滅する歩行者信号や夜の静かな住宅の佇まいなど、なんてことのない日常の風景に些細な喜びを感じるほどの空間だった。

 ところがその居酒屋ちどりもこの5月連休いっぱいで閉店することとなった。店主から閉店の前に一度ライヴをお願いしたい旨の連絡があったが、それとほぼ同時に牧野から連絡があり、牧野桜井デュオとNRQに私が参加するライヴが組まれた。何か自分からもブッキングしたいとは思っていたのだが、また程なくして、高岡大祐さんから、潮田雄一さんと私とのトリオで、との依頼があった。そして私は最近ちどりに初めて出演した浮さんを誘ってデュオで出演することにする。結果この4月は4回この居酒屋ちどりに出演することとなった。
 ライブはいつも大盛況で良い夜を過ごした。中には松戸市馬橋から来られた方もいて、同郷というわけではないのだが、そんなこともあり冒頭に馬橋のことを書きとめた次第でもある。
 それから、この店は案外若い方のお客さんも多く、私の知る限りだが、皆、静かながらも心底楽しく酒を飲んでいるのだ。このような店はそうそうあるものではない。

 インスタグラムにはいくつかライヴ動画も上がっているので、ページがあるうちはまだ観られることだろう。ただこの店の雰囲気は写真の方が良い。いくつか挙げておこう。

ちどり入り口より
ちどり入り口より
左から潮田雄一、立ち飲み風情で談笑する桜井と高岡大祐
左から潮田 (g)、高岡(tuba)、桜井 (g)

 それからここではよく中古レコードや古本をよく買った。この4月はCharles Lloyd / Dream Weaver が500円、山田詠美の文庫本が10円だった。

ちどりカウンター

 最後は、ちどりさん、浮さんとだが、遊びにきた姪っ子との記念撮影のようになってしまっているではないか。

 ここには牧野とよくいた所為だったのか、終演後に初期のロイ・ブキャナンがかかっていることが多かった。これを聴くとちどりを思い出すことになるだろう。ギターもさることながら、アルバムとしてとても良い流れで酒場にマッチする。あまり歌の披露がないブキャナンだが、ここでは二曲、しかも一曲は弾き語りに近く、痺れながらもグッと落ち着きを引き寄せる。言わずもがなのテレキャスターのトーンは彼のアルバムの中でも最上の瞬間を捉えたものだろう。終曲のカントリーナンバーがこれまた極上の響きで一杯のお代わりを促してくれるのだ。

 ところが、最新情報ではこの居酒屋ちどりを継ぐ方が現れたとのこと。まだ詳細はわからないが、この酒場が残ることを嬉しく思う。そして新しい店名として、私は「ニューちどり」を推しておいた。 

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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