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防災力は、組織力

こんばんは。なんか具合悪くて夜ガッツリ寝てしまいこの時間目が冴えて困っているゴリィです。

今回は組織体制がしっかりしている組織は災害が起きたときにも強い、という話です。


東日本大震災

2011年3月11日、東日本大震災の発生時は名古屋でも電話(つまりFAXも)が通じづらくなり、各自携帯のワンセグでNHKの報道映像を見守るしかありませんでした。

翌日から、一気に動き始めました。総務課長(ウチの上司)から、出社前に買い占めない程度で携帯の充電器と電池を買ってきてほしい、お金は寄付として申し訳ないが自己負担で、とのメールが届きました。

緊急支援物資を仙台の関連会社の事務所に届けるということで、買い出し組、物資の積み込み組など差配しました、課長はおそらく心臓の悪い僕を気遣ってか、「東北自動車道が使えない場合に備え一般道の被災情報の収集」を指示しました。

その後も、原発関連で福島から緊急的に名古屋に避難したい社員のバスを手配し、その経路調査と乗降口のすり合わせを僕が担当しました。

当時、「防災マニュアル」があったかどうかは知りませんが、完全に課長が係責任者に指示し、動くという「組織プレー」が成立していました。

あるとき、課長が「俺が責任持つから。叱られたときはそのときはそのとき」と言っていたのを今でも思い出します。


右往左往していた前職の会社

厳密に言うと、「転職」ではなく「転籍」なのですが(笑)、関わりたくない意思を明確にするため「転職」と言い切っています。その前の会社は業務ごと他の社員と一緒に転籍したので引き続き取引があったわけで、何が起きていたかは漏れ伝わってきました。

詳細は、書きませんが当時防災の知識がなかった僕でも「それダメでしょ」というしくじりをいろんな人からの指示で右往左往しながらやっていたようです。

福島からの避難バスは、そこの会社のパート社員も含まれていましたが、1週間以上経って「1人、追加で避難したいという人が出てきた、なんとかしてほしい」と僕に連絡がありました。

新幹線が那須塩原まで動くようになっていたので、ネットで検索しました。

そして、動いていた福島交通飯坂線(電車)のなんちゃら駅をこの時間に出発する電車に乗り、福島でこの時間の高速バスに乗り換え郡山に行き、何時の郡山発那須塩原行のバスに乗り、何時の新幹線で東京に行き、東京からは東海道新幹線を使えますよ、と「Yahoo!乗換案内」並みに丁寧にメールで教えました。

この所要時間30分。もちろん課長へのCC付き。

案の上、課長に呼び出されました。聞いている限りの前の会社の「惨状」を話したとき、

「ところでお前、病院行ったのか?」

「あっ!すっかり忘れてました。」

「バカ野郎!明日休んで病院行ってこい!」

と叱られ、そのあと課長が向こうの会社のトップに抗議メールを送りました。もっと自分たちで何とかしろ、と。その抗議メールの中に、

「後藤(=僕)は自分が病院に行くのを犠牲にしてまで動いていますよ。」

という一文が赤字で書かれていて、それを見た瞬間涙がとめどなくあふれてきたと同時に、僕のこころをせき止めていたと思われる最後の糸が「プチン!」と音を立てて切れました(本当にそういう音がしたように思います)。

「転籍」ではなく「転職」と言い張りたいのは、僕の会社員生活にトドメを刺したのがこの場面。そして、そもそも僕を過労死寸前で身体障害・精神障害に追い込んだのもそこの会社でしたから。


僕がいたときから組織力が弱かった

僕の恨みつらみを書きたいのではなく、その前の会社は、僕がいたときからとにかく組織力が弱い。

社員全員が足並みを揃えて、という責任者がとにかくいなかった。トップが「A」と決めたことに対して「現場が反対してます」という社員がいたりその下の部門責任者がまったく無関係なことをしてみたり。

システム関係の責任者やや月謝関係の責任者をしていた僕は、本来管理部門の責任者の管轄者なのですが、そこをすっ飛ばして「新しい業務の業務設計を考えてほしい」と依頼がきたり、しまいには他の部門がやろうとしていることの反対を訴えたくて僕が呼び出され出張に出たりと、当時からカオスでした。

なので、自分が管理部門の管轄になったときはとにかく全体を監視下に置いて、依頼のあった案件は全部報告させるようにし、伺うべきはトップに伺いを立てました。

労務部門はもともと責任者が押さえていましたが、管理部門をようやく抑えられるようになったところで、合理化でこの2部門を業務と人員ごと転籍させよう、ということになってしまい、カオスな部門だけがのこってしまったのが「組織力のなさ」の正体でそれが「防災対応力のなさ」となって露呈したのです。


まとめ

災害発生時は、トップがリーダーシップを取り的確な指示を出し、それを動かす部門責任者が細かい指示を出し、所属社員が的確に動くことで対応がスムーズになります。

この「的確な指示」をあらかじめ決めておくのが「防災マニュアル」です。

しかし、防災マニュアルが仮になくても普段の業務からトップのリーダーシップのもと部門責任者が的確な指示を出し、所属社員が定められたものを完成させる、という組織体制になっていれば、災害発生時でもじゅうぶんに通用するのです。

「東日本大震災」でそれが露骨に現れました。

実は、「防災マニュアル」より大切なのは、組織体制を明文化した「業務マニュアル」のほうなのかな、とここ最近思っています。

そして、「メンタルヘルス」のコンセプトが「僕の二の轍を踏まないでください」ならば、「会社組織の適正化(組織力強化)」も「僕の二の轍を踏まないでください」になるのかな、と思っていたりもします。

でも、そうなるともはや「防災」でも「メンタルヘルス」でもないんだよね(笑)。


今回も最後までご覧くださいましてありがとうございました。

轟RADIO「トドろき防災」

https://gory.jp/todobou



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