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寂しさ

できること、できないこと

情報の入力や出力を休んでみて、とにかくホッとしている。

つい「やる」と決めた時の馬力も記憶に色濃いから、チャレンジしてみたくなるのだけど、ここしばらくの自分を見ていたら、「こりゃ無理だ」ってお手上げになった。


今の等身大の自分が、できること、できないこと。
ちゃんと自分で見てあげるってとっても大事。

心身がとにかく過敏な状態になっていると痛感したから、わざわざ辛いことに飛び込んで傷口を広げるようなことは、自分を傷つけてしまう。

だから、一旦休む。

そして、たくさんのことを一気にはできないから
「自分をとにかく大切にする」これだけをやろうと思った。

それでも、それの難しいこと難しいこと。

そりゃ、外への表現なんてやりながら、同時にできることじゃなかったな。
少なくとも、今の私には。


「寂しい」があった


情報の入出力を休んだら、
ぽっかりと、ずーーーんと、「寂しい」という感覚がここにあったことに気づく。

チャレンジしてオロオロしたり、評価に怯えたり、それ自体はキツイ体感なのだけれど、それでもそうしている限り、それらでごまかせてしまうんだよな。

寂しい。

寂しい。

そして、時に、「寂しい」と言っている自分の内側と話していると
腑が煮え繰り返るような怒りが出てくる。

ノートに、出てくるままにその思いを書いて、わー!と破って、
その破った残骸を目にして、「こんなに怒ってるんだな」と
しばらく、残骸も心も、ただただ眺めていたりする。

寂しい。

ぽつんと、自分がどこにもいなくて
消えてしまうそうな、そんな感覚にもなるのだけど

でも、外向きにオロオロしているのとは
確かに何か違うのだ。


決める勇気

去年の秋頃に、同じように「自分のために生きるということ」を読んで、夫婦でそれぞれ、「自分で自分を満たす」という日々を送ることになった。

全体でも1ヶ月半くらいかな。
本を読み、お互いに「共依存」の自覚をして、もうそれ(共依存)をやめたいんだと踏み出した。

旦那さんとは、寝食も別にして、会話も最低限にすることに。
(ちょうどその頃、前コミュニティの中心の人が体調を崩して、それらの連絡や情報も途絶えているタイミングに乗じた)

心を埋めていたもの、なんとかそれがあったから保てていたもの。
それを、断つ状況になった。

でも私は、決めきれていないままだったように思う。
(どちらかというと、旦那さんが先にぐっと決意してはじめたいと言ったから)

当初は、寂しさの爆発的なフラストレーションに身体が追いつかなくて、ガタガタ震えたり、絶叫してしまうくらいで、1人で自分に向き合うなんて到底できないようなことが最初の数週間続いた。

外と内を行き来する。内に行こうとしても、あまりのフラストレーションに耐えきれずに外へのアプローチを始めてしまう。そうやって行き来している数週間は本当に辛かった。

でもそんなことを続けていたある日、ぐっと肚に落ちた日があった。
外に向いていた意識が、自分に向き始めた。

そんな感覚があったことを覚えている。

今回も、外へのアプローチ、自分の力での足掻きをやるだけやってみて、どうにもならないことを痛感してようやく「自分で自分を満たすんだ」と思い始められているように思う。


寂しいことは、寂しいと

「寂しい」をどこかで埋めようとしても、埋まるものじゃない。

例え今は内側の声が聞こえにくくても、少しずつでも「自分で自分の声を聴くんだ」と、そんな時を過ごしている。

寂しいという気持ちを、消す必要なんてないのだ、という感覚にもなる。
寂しさと闘う必要もない。ただ寂しい、のだと。


そんなことを感じていた昨日
旦那さんが「新しいことに飛び込んでみる」と話してきた。

「自分を満たすことと、人と何か共に創り上げること」
その同時にあることが一見難しそうなものを、一緒に研究しませんか?という知り合いの呼びかけに、ちょっと参加してみようと思ったということだった。

前なら、何か意味のわからないような、かといって正当性のあるっぽい理由をつけて怒ったり、制限したり、そんなことをしていただろうなと、ふと思った。

でも、昨日私の心に出てきたのは

寂しい。だった。
ただただ、寂しかった。

でもその寂しさは、相手にどうこうできるものではないのだと、深いところで今は知っているから、ただ「寂しい」を感じていた。


私ができること

「私も、誰かとそんな 『自分を満たしながら、創造』したい」

でも、今の自分は、自分の声さえ聴こえにくい状態だから
今は、ただただ自分の声を聴いて、満たしてあげたいんだ。

旦那さんは、自分を満たすことをしばらくやっていて、そうやって道が開いている。先を歩いているんだな。

寂しいな。
でも、私は、今は時じゃないな。

ただ、そうなだけだな。って。
今の自分を批判する声はなくて、シンプルな事実が自分の中を駆け抜けていった。

そして、ただただ「寂しい」という気持ちと
自分の内側の子が「無理をさせない」選択に、
「自分いじめをしないこと」にホッとしているように感じた。


「私も、誰かとそんな 『自分を満たしながら、創造』したい」

そんな思いが、情熱が自分の中にあることも知れた。

今すぐじゃなくても、自分を大切にした先に
自分に深く潜っていった先に
きっといつかそういう時は訪れると、今は信じている。

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