誰かの夜を歩く


 ハッピーバースデー、今日は世界で一番うれしい日。最後に会ったのはいつだっけ、もう顔忘れちゃいそうだよ、でも、誕生日おめでとう。

 電話を取ると、「もしもし、〇〇なの、〇〇なの、戻ってきて」と泣き叫ぶ女性の声がした。誰かを求める声はこんなにも心臓に負担をかけるんだなと思いながら数秒間その声を聞いていた。番号間違えてますよ、と言わずにそのまま切った。さよなら。

 ”最近の若い子たちは「すき」を「すこ」と言うらしい、おばさんには全然分からん”ってインスタのストーリーで呟いてた数か月後にちゃんと「これすこー♡」ってインスタ更新してるあなたのことが愛おしくて愛おしくて仕方ない。こんな風に生きたいなって感情はその時に初めて手に入れた。

 ずっと書き続けてよ、あなたは書けるから大丈夫だよ、の、「大丈夫」の意味は聞かなかった。ずっと書き続けてよって言葉は、絶対に死なないでねって言葉と同じ色してるんだなって知った。あなたのいないところで文を書きたい。あなたのいないところで文を書く。

 デリ呼んだらガマガエルみたいな子がきた、ぽつりと聞こえた空耳に笑っていいのか分からなくて、あは、とちぐはぐな二音になった。ガマガエル、柔らかいし、よく見たら愛嬌ある顔してるもんね、と、フォローなのかなんなのか、口を開けばつまらないことばかり言ってしまう。
 ガマガエルと呼ばれたその人のことを想った。ガマガエルにたとえたくせに、結局恩恵受けてるダサいその人と、それを聞かされているセフレにすらなれない自分。全員くそやろう。全編くそ映画。映画にするのすら勿体無い。あーあ、早く、すっと消えてなくなりたいなって思った瞬間に、その人がまたつぶやく、東京って寂しいのに意外と死ねないよね、ぽつりと夜中に滲んだ空耳に、今度こそ愛想笑いもできなかった。

 よく似てる。似てるからよくわかる。よくわかるから、大嫌い。

 何でもできるのに寂しそうだね、そう言って傷つけたい。ベッドの下から発見された卒業アルバムの寄せ書き欄は空白だった。なんだこれ、綺麗だな。勝手にみるなよって笑ってたから、うん、興味ない、と返してアルバムをベッドの下の奥の方に押しやった。

 その葛藤全部私に頂戴、と言ったら次の日にはいなくなってるんだろうね。いらないけどね、その葛藤全部いらない。私もほしくない。一緒に捨てよ、必要なものだけ残そう。花火の最後の一発が上がる時、アイスのコーンの先っぽを川に放ると恋が叶うっているおまじない、やったことある?広瀬川にはたくさんアイスのコーンの先っぽが浮いていた。キスしなかった、花火大会の夜。

 チョークのね、黄色と緑と白の色の区別がつかない時がある。言ってみたけれど理解されなかった。今でも私はたまに色が全く分からなくなる、そういうバグのことをなんと呼ぶのだろう。

 名前なに、って聞いてくる人には適当な名前を答える。桐野夏生の「ホリニンナ」みたいだ。あっももクロの子と同じ名前じゃん。そうですか。嬉しそうに私を呼ぶその人を見ていると何とも言えない気持ちになった。ちくしょう、そんな嬉しそうな声で呼ばれると好きにならざるを得ない、ニセモノの名前だとしても。

 どんな女の子だったの、聞きたくもないことを聞いてみると、除光液のにおいがした、と言っていた。そういうところが嫌いになれないと思った。その感性だけが本物だと思った。

 夜は続く。




ゆっくりしていってね