らげたけと泥棒のおはなし
それは、らげたけがおうちに居たころのおはなしでした。
やり手の泥棒が今回狙っていたのは、ちょうどらげたけのおうちでした。
らげたけのおうちは見るからにらげたけだけがセキュリティのようなご様子で、それはそれは狙いやすそうに見えました。
しかし、中にはパソコンや仕組みのよく分からぬヘルメットや受信機やイボイボ付きの膝あてなどの他には肉くらいしかモノはなく、非常に実入りの少なさそうな様子に見えました。
中のモノを取ってもあまり嬉しい結果ではなさそうです。泥棒は少し考え、変装を始めました。
泥棒はいかにも親切そうな押し売りセールスマンのフリをしてらげたけのおうちを訪問しました。
何も知らないらげたけが出てくると、泥棒は早速、いかにもセールスに来たのですという風にお世辞とおべんちゃらをまくし立てながら閉められる扉に足をねじ込み、まあまあまあまあと、まあまあまあまあと、10回くらい繰り返しながら玄関にどっかりと居座ると、どうにもセールスしか目的ではありませんとばかりに重たそうな四角いカバンを開き、商品説明を始めました。
泥棒が取り出した商品はボイスレコーダーでした。
作戦は、こうです。
言葉巧みに誘導し、用意したボイスレコーダーに録音をするという名目を作るのです。
「性能をお見せしたいので、その美しい声をとらせてください」と訊いて『とる』了承を得られれば、「では、『盗』らせていただきます」と早速声を盗みます。
声さえ盗んでしまえば、後はお手の物。その人の声でアレをあげるコレをあげる全てをあげると言ってしまえば、それは全て泥棒のものです。
最後に「今盗られている声も、あげます」と言ってしまえばなにもかもが泥棒のものです。
今までも何度も成功している方法ですし、ついこの前は俳優志望相手にコレが上手くいったので、今や演技力も彼の物、もはや向かうところ敵なしです。
さてしかし、実際に声を頂こうとしてみましたがらげたけは何ももの申しません。
これでは了承を得て声を盗るどころか、普通に録音することすらできません。
一体どうしたことか、このらげたけというものはそもそも喋らないタイプのいきものなのでしょうか。
不思議に思った泥棒がらげたけをひっくり返したりほじくり回したりして見てみると、喉奥に『声、借用中 いっしきさん』とあるではありませんか。
どうやららげたけの声は借りられているらしいのです。今ここにないものを盗ることは出来ません。まだ泥棒にはそこまでの技量はないのです。
泥棒は急いでいっしきさんのところに向かうことにしました。
彼自身が怒りに震えていた部分もありますが、好き放題されてたらげたけの機嫌が非常に悪くなり、留まるに堪えられない状況になっていたからという部分もまた、あったからです。
らげたけの機嫌は本当に悪くなっていました。
泥棒は急いで、とにかく急いでその場を離れ、いっしきさんのところに向かうことにしました。
泥棒がいっしきさんの在処を突き止め、見つけたそれを見たところ、いっしきさんは別段つよそうではありませんでした。
むしろ貧弱の類から数えた方が近そうで、これなら変な小細工なしでも簡単に全てを奪えそうです。
そうと分かれば、善は急げ。さっそく泥棒はいっしきさんに襲い掛かり、使えそうなものを軒並み盗んでいきました。
らげたけの声も盗んでいきたいところでしたが、いっしきさんはらげたけの声をどこへやったのやら、うめき声ですら出さなかったのでそれは叶いませんでした。
しかし、いっしきさんの記憶を辿れば分かるはずです。
泥棒は当初要らないと思っていたいっしきさんの記憶までも、えいやと盗み、覗き込みました。
いっしきさんの記憶の中には泥棒がいました。いや、そんな筈はありません。今日が初対面です。
いっしきさんの記憶は彼に向けて声なき声を送りました。
「残念ながら。残念ながらいっしきさんは。自分の物というものを持ち合わせていないのです」
「いっしきさんは中身もガワも、全てが借り物。発言や思想、創作物に至るまで、何もかも誰かの借用の混ぜ合わせ」
「ゆえに、いっしきさんのものというのはないのです。そして、ね」
「人の物を盗むのは悪いこととはいえども、まあ順当。でも、他人が貸しているものを本人の与り知らぬ貸した先で盗むのは」
「これは到底許されることではありません」
「人の貸出品を盗んだ者の定めは……」
いっしきさんの、いっしきさんのものではない記憶から分厚い六法全書が出てきて、ページがパラパラとめくれていきます。
「これですね、今まで盗んだ全ての物は元の持ち主に返され、永遠の牢獄に繋がれ、皆の不要なものを終わりなく与えられ続ける、とあります」
「やってしまったことについては仕方ないと思いますが、定めは定め。受けるべきは受けねばならないです」
「いっしきさんがどうこう出来るものではないですね。然るべき世の理みたいなものですし」
「まあ救いがないわけでもないです。いずれ時が経てば、無限の贖罪のそれ自体が救いに感じるようになるかもしれません」
「なにはともあれ、まあ、ご達者で。いっしきさんも達者にしておきます」
ふっと世界が暗転すると、泥棒はどことも知れぬ中にありました。
その先、彼がどうなったのかは知りません。
さて、らげたけが怒り心頭でいっしきさんのところに向かうと、いっしきさんは借りたもの全てを返されている状態でした。
いっしきさんはらげたけを見ると「おこってないよ」と、らげたけの声で言いました。
らげたけはそれを聞くと、紛れもなく自分の声がおこってないと言っているのご分かりましたので、意識してか無意識にかそのような声が出たということは実は怒ってなかったのだと、そう理解が出来ました。
いっしきさんは昼食の準備を始めていたので、らげたけもお昼を摂ることにしました。
いっしきさんは肉を焦がし過ぎるきらいがあるのです。らげたけは焼く役を引き受けて、ちょうどいい塩梅に火を通し、たのしいランチタイムが始まりました。
気づけば怒りはどこかに消えていました。不要だったので誰かが引き受けてくれたのかもしれません。
平和ばかりが、ただただそこに続いてありました。
めでたし、めでたし。
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