からくりサーカスを読んだんですよ。


今さら。

何かを楽しむことに今さらなんてことはないけれども。

電子書籍って便利ですよね


1997年に連載開始された作品であり、ネタバレ配慮もなにもないのでそこらへんは気にせずに感想とかを吐き出すよ。

いやぁ、それにしてもいい作品でしたねぇ!(デカい声)



・雑な感想まとめ

「こいつ、19歳です」「これで未成年!?」
「なるほど、中国武術は特効」
「中国武術のことなんだと思っているんだ」
「中国武術すげぇ!」

「こいつが庇護枠か」
「成長が早い」
「人間としての完成度が上がり過ぎでは?」
「お前のような小学生がいていいのか……?」
「中身は色々と入っているので……」

世界を巻き込んだ傍迷惑な兄弟喧嘩

「ラスボスによる盛大なBSS
「3連続BSSはもはや芸術」
「3回目に至っては光源氏よりきしょい」
「決まり手、BSSに対する理解
「そんなことある?」「そんなことある」


・「これBSSじゃねーか!!!!」

BSS(読み方:ぼくがさきに好きだったのに)
※負け犬の遠吠え。
※あるいはリングにすら上がれなかった情けない者の怨嗟。
※そこまで言わんでも……。

BSSはとても稚拙な感情であり生馴れな理屈だ。

とはいえ、好きになった女性を横から掻っ攫われ、それが心底から敬愛する兄によって行われたという最初のときのやつは少しばかり同情を禁じ得ない。

白金のそれは、まだ成熟する前に異国の地に足を踏み入れ、一つの学問に傾倒したが故に取り零してしまった感情との向き合い方によるモノだった。

正論では納得できない。
相手の気持ちなんて知ったこっちゃない。

——好きなモノを手に入れる。

自分を納得させるにはそれしかなかった。

でも、自身と様々なものを共有したはずの少年が、この考えを否定して、その上で理屈を肯定した。

それを肯定されては、なにも言い返せない。
だって、それは誰よりも白金自身がわかって欲しかった理屈だから。

だから、もう、それでよくなって、どうでもよくなって、憑き物が落ちたかのように、気まぐれを起こした。

最後の最後、フェイスレスがマサルに手を貸した理由はそういうことなのかなぁと、そう思った。

初恋を奪われ、尊敬する兄を憎しみ切ることすら叶わなかったひどく哀れな男の盛大な癇癪だったということなのだろう。

いや、うん、だからって人に迷惑を掛けるなよ。

とは思う。情状酌量の余地、なし!

・読み始めるきっかけ。

ネットによく転がっている画像が気になって。
こんなセリフの↓シーン

からくりサーカス/加藤鳴海

「そうさ… みんな仲良しなんだぜ…」
 ナルミ… ここは地獄なのさ

からくりサーカス/加藤鳴海

目元を苦悶に歪めながらも口元はにっこりと笑い、滂沱し震える。口では仲良しであることを示しつつも、此処は地獄だと噛み締める。

どんな状況だよ。と、思いつつも読み始める。

読んでみたら思った以上に地獄だった。


・作風と好きなシーン、感想

びっくりするぐらい王道。王道というよりかは前向き。
鳴海や鳴海の薫陶を受けたマサルの突き進む姿はもちろんのこと、あらゆる人々にそれぞれの生き方があり、それぞれの信念があるというお話。

好きなシーンはどうしても後半になりがち。積み重ねでブン殴ってくるからね、仕方ないね。

最初、しろがねとマサルにとって鳴海は光だった。
2人は鳴海にたくさんのものを貰った。

そんな鳴海がマサルを庇って死んだ。
※死んでいませんでした。

鳴海と別れたマサルはその意志を継いだ。

鳴海なら、鳴海兄ちゃんなら、そう思い、そう考えながら前を向き進んで行く。その姿に感化された人々が彼を追う。マサルもまた、1人の人間として出来上がっていく。

艱難辛苦を乗り越えた彼自身の魂が眩いほどに光を放つ。


からくりサーカス/才賀勝

「ぼくは、幸せになれなかった人達を、いっぱい知ってる……」
「だから、だから 小さい声で言わないよ」
「ぼくは、ぼくの近くで泣いてるヒトを、もう見たくない」

からくりサーカス/才賀勝

泣いてばかりいた少年が。
非力であることを嘆いた子供が。
立ち上がり、決意を改め、芯に定めし信念を告げる。

小学生がしていい眼光ではない。
このシーン本当に好き。

“しろがね”となっても、鳴海は鳴海のままだった。
けれど、世界がそれを許さなかった。

鳴海はこの世の地獄を見た。神様仏様がいるのならどうして目の前の子供たちは冷たくなっていく? その答えを天は教えてくれない。潰える幸福。固まる幼子。それでも笑うしかない。ここは地獄だ。このままではこの世が地獄になってしまう。

1人の少年と独りの少女を助けた青年。
彼は今、助けられない多くを見て慟哭する。

涙はとうに枯れた。
濡れた拳を血が滲むほどに握る。
地獄の元凶を憎む。憎悪を募らせる。

あれほどまでに「笑え」と言っていた青年が笑みを絶やした。

マサルが鳴海の背を追い続けて魂を輝かせていくというのに、鳴海は色々なものを失いながら深く暗いところに沈み行く姿の対比。

各々が明確な目的を持って進み、成長し、そして迎えた機械仕掛けの神編の最後。スペースシャトル防衛の攻防。敵に囲まれ、四方から攻撃される鳴海。

子供を——人々を救うために、自らを抛ち続けたそんな鳴海の背を“誰か”の背が支える。

泣き虫の少年が辿り着けた背中合わせの共闘。

全てはその瞬間のための物語だった。

そして伝える。最後は任せろと。

けれど、その役目は譲れないと、止まることを忘れた鳴海は言う。

だから、言伝を告げる。

からくりサーカス/フランスの女教師

「今度はあなたがきっと助かって」

からくりサーカス/フランスの女教師

助けた人からの、救われてほしいという願い。

それでも、鳴海はそれでも頑なに拒否する。
それは自らの役目だと。

多くの不幸を見た。
多くの人が犠牲になった。
多くの仲間が自身に託した。

そうして紡がれた命の果てにある己もまた、そうならなければならないと鳴海は言う。そうして歩み続けた足をここで止めて、幸福に手を伸ばしてはいけないと言う。

その言葉を“えんとつそうじ”は否定する。
叱咤する。

幸福になれと願う。
激励する。

誰もが幸せになるために頑張っている。
その幸せを掴むために生きている。
その幸せを掴むべき時に、それを手放すのは違う。

人は、幸福にできる人がいて、その人を幸福にすることよって自らが幸福になれるのであれば、そうするべきなのだ。

人は間違う。人は失う。人は過つ。

人はどうしようもないほどに不出来で、それ故にありとあらゆる不幸に陥る。そうした過去の積み重ねの上に今がある。その過去から目を逸らしてはいけない。でも、そうするとその理屈では誰も幸せになれない。

大事なのは今なのだ。

過去はある。でも、その過去に囚われてはいけない。
見るべきは過去ではない。振り返ることはあっても、過去を見続けてはいけない。

人は今を生きている。今を見ろ。
今、目の前にある幸福に手を伸ばし続けろ。

からくりサーカスはそういうお話でした。

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