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宇田奈緒「再び清水から清水へ(7日目)」

日本の清水での1週間の滞在を終え、私は明日、台湾の清水へ戻る。この1週間を通じて、この町では、いつでも富士山がすぐそこにあって、人の生活があって、毎日が続いて来たのだと感じた。三保の松原で見た海も、時代が変わってもずっと前からそこにあって、移り変わっていく人類の様子を何代も何代も見続けてきたのだろう。

三保の松原の海

私たちより前に生きていた人々が町を作り、苦労したり工夫を重ねたりして、今の形があるのだと知った。時代の変化とともに、町の大きさや役割も変化していき、同じ形のままでは残せないこともあるのだろう。それでも、町が弱まったり変化していく時には、必ず「これまでの記憶を受け継いでいかなくてはならない」と思う人たちが出てくるという。

私は変化を恐れがちな人間だ。アーティストとしての活動を通じて、失われていく記憶や、消えていく古い景色をどうやって保存したらいいのだろうかと考えてきた。受け継ぐこと、語り継いでいくために、アートを使ったらどんなことができるかに一番興味がある。しかし、変化することは良くないことなのだろうか。

今回の滞在で、昔と同じまま保存するという方法の他にも、これからも続けていける方法で保存するという可能性があるのだと知った。そして、そのためには、一人ではなく、みんなの力を合わせてやってみるというところに強さがあるのだと知った。

清水に暮らす人たちだけではなく、清水を訪れた私たちや世界各地の人たちの思い出の中にも清水が生きていて、その姿はこれからもずっと受け継がれていくのだと思う。そのために私は、一体どんな方法でどんな風にこの経験を語り継ぐことができるのか、もう一つの清水の家に帰ってゆっくり考えたいと思う。

帰り道の新幹線から見た富士山の姿


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