宇田奈緒「写真を撮ること、写真に写ること、写真を見ること(5日目)」
次郎長さんが一人で写っている肖像写真は、明治元年に撮影された一枚しか存在しないという。私たちが伝え聞く「次郎長さん」は、何を元に、誰が語り継いできたものなのだろう。そして、これからの世代にも次郎長さんのことを伝えて行くとしたら、どんな方法がふさわしいのだろう。
今日図書館で見つけた本「写された明治の静岡 徳川慶喜と明治の静岡写真展」の中で、最後の将軍徳川慶喜が写真撮影を愛していたことを知った。清水にもよく足を運んで風景などを撮影したらしい。そんなご本人撮影の風景写真作品と、誰かが撮影したご本人のポートレートが次郎長の船宿「末廣」に飾られていた。船宿再建の際には、風景写真の中に写されていた建物の姿を参考に、どのようなものにするかを判断したのだという。
写真は、撮影したカメラマンが見たものを記録し、後からそれを見る私たちに当時の様子を擬似体験させてくれる。次郎長さんを知る旅も5日目になり、この町の様々なところに影響を与えていることがわかってきた。次郎長さんのポートレートを見る私たちは、次郎長さんのことをどのぐらい理解できているのだろうか。そして、ある時代に存在した誰かのことを語り継ごうとしたり、みんなで忘れずに継承していくことが大事なのだと信じていくために、写真を使うアーティストという立場の私は、一体何ができるのだろう。
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