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関口彩「吉田町|滞在まとめ」

アートワーケーションが終了し、静岡を発って数日が経ちました。通常モードに戻りつつある中で、吉田町での出来事をまとめようと思います。

その前に
「アートワーケーション」という言葉、一般の方は耳障りのない言葉と思いますが、私たちアーティストにしてもそうでした。アーティストインレジデンス(AIR)じゃないのね…。

※AIRとは。美術手帖より引用

ネットで検索してもヒットは少なく、アーツカウンシルしずおか独自の企画のようです。アーティスト等のクリエイティブ人材がその土地に滞在し、地域住民と出会い交流し、お互いにインスピレーションを得たり、プロジェクトが生まれたらいいね!という、なんともボンヤリとした数字に表すことの難しい事業は、公共事業ではなかなかできないことでしょう。

そこに応募し選ばれた、背景や目的も様々な総勢37名のクリエイティブ人材の私たち。
私においては、画家を職業にして約10年が経ったところで、次の目標が徐々にアートの場づくりや、アーティストサポートなどのアートマネジメントになってきたタイミングでした。アーツカウンシルという組織は私がやりたいことに近いけど、地元にはないから偵察に行ってみよう!というのが応募の動機です。
(ここで、「アーツカウンシルとはなんぞや?」の分かりやすいサイトがあったので引用します。)


しかし、当然のことながらクリエイティブ人材って多岐に渡り、絵描きや音楽家、舞踏家、文筆家、デザイナーなど様々で、動機も様々なわけです。AIRではないけど、AIRのように1週間を過ごす人もいたようですし、自分の好きなアーティストの聖地巡礼に来ているような人もいて「そんなんでいいんや笑」と目からウロコ。

前置きが長くなりましたが、そういったわけで、アーツカウンシルと街の人との関わり方を知ることができれば、私としては滞在先は「海の近く」ということ以外はどこでもよかった。私の地元が海街なので、その違いを見たかったことだけが、私が作家として求めた唯一のことです。


滞在先の吉田町は「何もないところ」
最初から地元の方に言われていました。何もないことはないでしょーよ!と数日色々と回りましたが、これは確かにないわ…。ないというのは、分かりやすい観光地や見所がないという意味なんですが、細部まで入り込もうとするとちょっとハードルが高い。そんな吉田町。

例えば私が、AIRのように作品を作るために滞在しているのならば、ひたすら毎日海に行って、波の様子を見たり漂着物を拾ったりするだけでも楽しかったんです。吉田町を含む静岡県中部地方は、家ごとに小さな祠を置く風習があるそうで、そういった土着の宗教観にも興味があるから、写真を撮り回る旅でもよかった。そこに意識が「今は」向かなかったのは、私が作家として活動することから心が離れつつあることを自己内観するきっかけにもなりました。

旅の後半になると、地域のお助けマンが登場し、会社を経営するなどの町の名士をご紹介してくださいました。「吉田は人が良いよ」と言われ、何が良いのか?と考えると、繋がりが太いということのように感じました。コンパクトな町だからこそ手を取り助け合い、お祭りの盛んな町だから、協力体制ができているんだなぁ。

ただ、人の良さを知る前段階で終わってしまったのが残念なこと。これは私が地域とアーティストを繋げる側に立った場合の気付きになりましたが、心を開いて吉田の人と対話したというよりは、会社紹介で終始してしまった印象で、町の人にとって「アーティストって何してるの?」「アーツカウンシルって何?」「私たち何してあげたらいいん?」というところの、すり合わせの少なさだったのかもしれません。

気付きは、吉田町に同じく派遣された旅人の、早渕仁美さんからもいただきました。
私は美術とは全く関係ない会社員時代を10数年経てからアーティストとして独立しました。一方、早渕さんは美大進学から大学教員を経て、今はギャラリー運営などを行う美術畑で知識と経験を積み上げて来られた方です。彼女と過ごした時間は、考えを共有できる喜びだったし、それぞれのバックグラウンドから生まれる「見ている世界の違い」を知る大きな機会でもありました。

私は、アカデミックな世界を知らないけど、画家として過ごした時間もあるし、一般的な社会人として過ごした時間もあり、その双方を上手く繋げる役割になりたいということを吉田町の滞在を通して強く感じることになりました。


突然ですが、アートとサイエンスは似ています。
共通点は、何かに感動したことを、突き詰めること。これが文中私が「ひたすら海に行くだけでも楽しい」と書いた理由です。ひたすら、自分の興味に向かって突き進む、それを絵にしたり音楽にしたり文にする。感動の表現は様々なので、数字に表せることではないのですが、感動を可視化させて他者に見せるということが、私たちアーティストのミッションのひとつでもあります。
サイエンスは、感動したことを研究し、ひとつの答えを導く作業。冒頭、「数字に表すことの難しい事業は、公共事業ではなかなかできないこと」と書きました。公共事業はサイエンス的な解を求めるのかもしれませんが、アート的探求ももっと一般的に受け入れられたら、双方の豊かさが得られるだろうにと個人的には思うところ。


答えはたくさんあって良い
「この町に何しに来たの?」と聞かれると、「ええっと、知らないことを発見しに…笑」と言うしかないこの事業は、人生という旅は自由で気ままで、答えはたくさんあって良い、理由などつけなくても本当は良いんだということを、全国から集まった私たちが出会った人たちと共有する時間にもなったのではないでしょうか。

アートワーケーション、めっちゃ良い。全国で真似したら良いのに!と心から思う、素晴らしい旅になりました。

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