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額田大志「芸術のある生活」滞在レポートまとめ

御前崎の滞在が終わり、およそ1週間が過ぎました。東京に戻ってくると、再び慌ただしい日々がはじまり、時間の流れ方が違うな、と当たり前のようなことを思います。御前崎の日々は、ちょうど11月なのに暑い日が続いていた時期で、まるで南国に来たみたいで、海から見える景色に身を委ねて過ごしていました。

もっとこの場所にいたいな、と思いながら、名残惜しく御前崎をあとにしたのですが、東京は東京のよさもやはりあって、東京出身としては自分の街として東京を感じるにはどうしたら良いのだろうと思ったりもしました。

御前崎の人たちは、見えている部分は限られているかもしれませんが、とても明るく優しくて、むしろ東京よりも温かく迎えてくれる場所であり、土地であり、そんな開かれ方をしている街でした。アーティストはやはり少し警戒されたり、なんかわからない奴だな、という感じも受けたりするのですが、そんなことは一切なくて、それは貴重な場所だとも思いました。

生活に芸術が必要かは、常に議論される問題です。当然、アーティストは「生活に芸術が必要だ」と言うのが職業的な正しさではありますが、一個人としては2019年当時あいちトリエンナーレ2019に音楽家として参加した経験から、いや、ほとんどの人は芸術を必要としていないんじゃないかと思うこともあります。

そんなこともあって、ここ数年は、芸術でできることを、ものすごく単純に考えることと、極端に遠回りすることの両方をやりはじめました。単純に考えるのは、音楽を聴いて楽しかったり、舞台に上がって嬉しい、といった、作品のクオリティを考える以前の芸術によってもたらされる基本的な体験の部分です。歌を歌ったらストレス解消になる、というのは、多くの人が経験していることなので、やっぱり歌うのは楽しいよね、といった単純なことですが、この単純さには敵わないことも、芸術活動にはたくさんあると身に染みて思います。

遠回りは、そうした明瞭な楽しさや快楽を求めずに、10年前と10年後を見据えて作品をつくること、でしょうか。やはり、今が楽しい、というのは大事だし、芸術にとっても一要素ではあるけれど、わざわざ作品をつくるからには、今、よりも未来のことを考えた方が、面白いと思うこともあります。今は、勝手にみんなが楽しんでくれるし、その辺りは他のコンテンツに任せられるというか。遠回りをした結果、あるとき作品を通じて過去と未来をつなぐ、と書くとカッコいいですが、本質体にはそういうことが起こったらいいなと思っています。

御前崎の浜辺のゴミたち(浜辺で拾ったゴミを、一時的に一箇所に集めた場所の写真です)
遠目ではわからないですが、集めてみるとこんなにもたくさんのゴミが廃棄されていました

御前崎の浜辺はウミガメの産卵地でもあり、ゴミ捨ての問題が大きな課題になっていました。「旅人」の市川さんは、御前崎に滞在したアーティストがゴミ拾いをして、それを元に作品をつくるような仕組みはどうか、といったお話もされていました。そうした仕組みが可能かどうかは置いておいて、芸術にとって必要なのは、そうした遠回りの過程でもあると思います。わざわざゴミを拾ったり、ゴミを拾うこと、最終的にはウミガメがよりよい環境で暮らせること。そこに対して作品ができること、はあくまで一つの結果であって、その作品ができるまでの過程こそが、芸術にとっては大事な場合もあります。

音楽も同じで、結果的にできるのは多くの場合、曲になります。でも、その「曲自体」に価値がつくよりも、その曲によって社会や人に対してどのような影響が与えられるか、そうした考えや、曲によってもたらされる大小の変化を捉えること、それが現代の作曲家が作曲家として生きていくためには必要な思考だと思っています。

御前崎の夕日

御前崎にどんな芸術があるべきか、という話をホストの方や「旅人」とたくさん話しました。作品によって生活が変化していくこと、それよって街や土地が変わっていくことが「芸術のある生活」と、ひとまず言えるのかと思いました。今すぐ絵を描いたり、曲を作ったりすることもできますが、その場所にとって10年後、または100年後にどんな変化が起きるとよいのか、それこそが芸術活動と呼ばれるものたちの一つの本質であると思います。

芸術でなくてもできることはあり、芸術は、あくまで社会の中の一要素である、というのも忘れてはいけないと、今回の滞在で強く思いました。作品をつくるよりも、ただ、友達と飲んで騒ぐことで解決できる問題や悩みもたくさんあります。芸術は、どうしても抽象的な表現も多いので言葉にし辛いですが、芸術で解決できないこと、無理なことも多々あり、「芸術だから」と良くも悪くも少し距離を置いてしまう人たちに対して、まずはアーティストも市民の一人であり、生活をよりよくしたいという思いは変わらないこと、それは必ずしも芸術に限らないことを伝えていかないといけないのかな、とも、思ったりしました。

御前崎の海

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