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丹治りえ「この感情に名前をつけたい」(7日目)

MAW7日目

今日が最終日。目覚まし時計をかけ忘れて9時くらいに飛び起きる。旅人の國吉さんが10時くらいに出ると言っていたのでお見送りをしたかったからだ。

朝ごはんを食べていたら國吉さんがお部屋から出てきて、ソファに座った。ちょっとしたら関野さんも出てきて、カウンターで日記を書き始めた。朝に旅人3人がみんな揃ってエントランスにいるのは初めてかもしれない。

わたしたちはなんか不思議な関係で仲良くつるむわけでもなく、たくさん話すわけでもなく、気を使うわけでもなく、かといって昔から知ってる人のような感じ、というわけでもない。何が言いたいかというと居心地がすごくいい。(そう思ってるのは私だけかもそれないけど)

11時半頃、國吉さんが駅に向かうというので勝呂さん、関野さんと3人でお見送りをする。関野さんが昨日のカンダさんみたいに見送りしようと言って國吉さんが見えなくなるまで立っていたが、國吉さんは曲がり角でひょいっと消えていった。多分お見送りの視線を背中で感じていたのだろう。ほんとにささっと舞台の終わりのようにはけて行った。とても國吉さんらしかった。

豆粒の國吉さん

その後、展示をしているgotenba apartment storeに行く前に御殿場駅に立ち寄った。来る時は高速バスだったし、車や徒歩移動だったから実はまだ駅を使用していないのだ。

御殿場駅西口に「晴れの笠雲」をイメージしたモニュメントがあった。制作者の名前が記載されていなかったことが残念だった。東口には観光案内所があり、高速バスのチケット販売機があるので人はそれなりにいたが、その他はパンフレットが置いてあるだけだった。御殿場の歴史や文化の情報にアクセスしたいのだが出来ない不便さを滞在前から感じていた。現地に来ても資料館のようなものもなかったので、せめて観光案内所に少しでもあったらいいのかなと思った。初めて来る土地の歴史を知ることで見え方も違ってくると思うから。

gotenba apartment storeに着いて、カフェオーナーの森谷さんと福島の話をちょっとする。森谷さんとわたしは同じ福島県の出身なのだ。話しているうちにちょっと訛りが出てくる。懐かしい。そういえば御殿場の人はあまり訛っていなかったことに気づいた。

13時半、御殿場での旅が終わったら山梨と東京に寄って沖縄に帰る。次の移動先山梨の友達家族が御殿場に迎えに来てくれた。展示を見てもらって、マウント劇場を案内する(まるで従業員のよう)。子どもはポケモンを見て大満足。初めての映画館だったようで、彼の初映画館が御殿場のマウント劇場になった。映画が大好きな友達家族は今度泊まりに来たいと言っていた。というか、明日の子どもの学習発表会がなかったらきっと泊まっていただろう。少しづつつながるといいな。

15時、マウント劇場を後にする。これで私の御殿場での旅人は終わる。少し寂しい気もするが、またいつでも来れそうな気がする。
関野さんと勝呂さんが外まで出てお見送りをしてくれた。勝呂さんはいつでも来てねと言ってくれた。車に乗って商店街を走り、後ろを振り向くと関野さんがまだ立っていた。彼はいまカンダさん(高嶺の森のコテージ)になっているのかな、きっとそうだ。どんな気持ちなんだろう。

雨、最終日富士山は見れなかったけど、3日目に富士山濃度について考え、4日目に快晴の富士山を見てから不思議と富士山を追わなくなった気がする。でもやっぱり富士山ってなんだろう。数年後、また御殿場にきて富士山について感じたい。

今日は最終日でうまくいえない感情がたくさん出てきて、私の語彙力、持っている言葉が少ないせいか文章にすることがむずかしい。この感情に言葉をつけて胸にストンと落としたいけれど‥‥そうしたら終わってしまいそうが気もするからこのままでいいのかもしれない。そうか、だからわたしは美術をやっているのだ。


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