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中島響 「歴史を知り、未来を考える」 龍山町滞在5日目

龍山秘密村の木の下で読書、「青山宏」、龍山町の歴史を知る、秋葉ダム工事期間に人口増加、峰之沢鉱山閉山、締め縄作りをレクチャーしてもらう、最後の晩酌


この日は秘密村のキャンプ場にて初日に借りた本をゆっくり読むことに。
「ある山村の革命 -龍山村森林組合の記録-」というこの龍山町の歴史を簡単にまとめた上で、林業がどのように発展してどのようにして今の形になっていったかが垣間見える本。この本の著者は龍山の白倉というエリア出身の青山宏という人で、当時の龍山村森林組合に新しい風を吹き込ませ、全国的にも最先端の取り組みを実施した人のよう。具体的には、龍山の林業にて労働条件や保険等の整備をし、補助金等の活用により設備の拡充を促したりと当時の林業の改革をしていったと記録されている。この功績は全国にも轟き、各地からこの取り組みを持ち帰ろうと参考に訪れるようになる程であったよう。それ程までに龍山の林業というのは栄えていたけれども、安価な外材の普及が予想以上に大きな影響を与え、このまちの林業は陰りを見せているのが現状である。
これ以外でも、龍山の歴史を語る上で「秋葉ダムの建設」と「峰之沢鉱山」は避けて通れない。どちらについてもこのまちの繁栄に大きく寄与していて、最も人口が多かった時は昭和30年頃の12,345人だと本には記されている。秋葉ダムの建設期間が昭和29-33年であり、この工事のために外部から来た人が大変多く、昭和25年の5,632人から比べると5年間で6,500人ほどと人口が倍増しているのが分かる。その当時の話を地域の人に聞くとやはり当時はかなり栄えていて、映画館もあったらしい。ただ秋葉ダムの建設が33年で終わり、昭和44年に峰之沢鉱山が閉山となったことで急激に人口が減少してしまった(昭和35年 5,929人、40年 4,288人、45年 2,808人、現在500人弱)。

その後は数少ない「締め縄」の先生(通称ヒデサさん)のもとで締め縄の作り方をレクチャーしてもらうことに。
これがやってみるとなかなか難しくて、先生はやはり流石の手捌きだった。話を聞くと、神事や正月の御飾り等で使う締め縄を龍山はもちろん全国各地から依頼されて作っているということだった。(しかもそれが無償であるということが驚き..。)

そしてこの日は自分以外の旅人の最終夜ということで最後の晩酌をした。
振り返ると断片的にしか覚えてないくらいかなりお酒を楽しんだみたいだけど、自分語りを少しし過ぎてしまって少し反省。
龍山に住む人もそうだし、今回の滞在でかなりの時間を共に過ごしたホストの皆さんや同じタイミングで来た旅人の皆さんはどなたも気持ちの良い人達であった。残り2日あるけど、この2日はより地元に溶け込むような動きをしていこう。

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