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さとうなつみ 入り口(六日目)

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しいたけハウス裏にあった祠
後にこれらはあのMさんが作ったものだとわかる

気付けば今日は最終日。秋葉神社へSさんを訪ねた。その後はいつもと同じように日が暮れて辺りがよく見えなくなるまで下平山周辺の石像や八幡神社を探した。

秋葉神社は龍山より南、気多川と天竜川の間の山頂に位置する。社務所の前は遠くの青い山々見渡すことができる見晴らしのいい場所。
そこで小一時間ほどSさんのお話をお伺いすることができた。

Sさんは秋葉神社へお勤めされる傍ら白山神社の歴史を調べ直しより良い状態で残そうと尽力されているところだった。平安時代頃からの神仏の歴史に加え、神仏習合の影響等丁寧に教えて下さった。しかしそれでも白山神社自体の歴史はそこまで詳しく分かっていないようだ。印象的だった言葉がある。
「興味本位ではいけませんからね。(特に神道では)なんでも暴こうとするのはよしとされませんから。」
確かに鶴の恩返しのように覗いてはいけないと言われた部屋を見てしまった昔話がいくつかあるのを思い出した。
神主さんでさえお祀りしている祠の中は見てはいけない。中に何があるのかは言い伝えによって受け継がれていくものである。そこに真偽を問うものではないのだ。
いま自分が彼方此方の神社仏閣や石碑をみつけてスケッチしてまわっていることについて少し襟元が正されるような思いだった。

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通行止めで天竜川が渡れず
いつもと違う道を登っていたら見つかった地蔵様

最後の親睦会では協働センター館長をはじめ理事長、総代、宮大工さん達と一緒にすき焼き鍋を囲みながら龍山の今昔が語られた。
スケッチや写真で行ってきた場所を見せると、これは昔どこにあったか、誰が作ったのか、何が祀られているのか、今は誰が世話をしているのかと次々とお話ししてくださった。

のぞみさんが始めたしいたけ畑に連れて行ってもらった時はハウスの裏に五体程の像と山神様が祀られているのを見つけた。
ここでは腰ほどの高さの木で簡素に作られた祠が祀られているのをよく見かける。Oさんによるとこれは山神様といい特に林業の方々は仕事の安全を祈ってお祀りしていると聞いていた。
けれどもSさんによるとこれは山神様ではなく昔その上にあった街道で行き倒れた人をお祀りしているのだという。そしてその祠は昨日お会いした猟師のMさんが作ったものだった。
また小仏様の昔話に出てくる小仏様を川から拾った末裔であるMさんもそのお話の輪の中にいて峰之沢鉱山のこと、白山神社へ初詣にいく人々の大晦日のことなど話は尽きなかった。そしてまだ来て間もない外の人間の私がこんな風に龍山のことについて語られる方々の輪の中にいられることがなんともうれしかった。

ここへ来る前に本で読んだ頭の中の昔話がスケッチしたりこうしてお話を聞いていくうちに目の前で立体的になっていくのを感じた。昔話はまだ龍山の人々の中に残っていて、民話は今も紡がれている途中だった。
こうして町民の方々が集まって昔話が語られる時、私たち程の年齢の若者がそこに加われば、いつでもまた民話を紡ぎ直して残せるのだ。

その時一緒にお話させていただいた方々はおそらく平均して70歳程だっただろうか。本当にいい夜だった。これで滞在が終わることに、未だに実感が湧かないのだった。