野口竜平「30年前の富士市を上演する(6日目)」

吉原での滞在は早くも6日目。今日が終わり、明日になったらそのまま東京へ向かうことになっている。一瞬だった。
夕方に滞在発表会がある。ゲストハウスで一人、この数日の自分の様子を振り返ってみると、なんとなく肩の力が抜けた感じの身のこなしだったな、というようなことを思った。特に力んだりするところがなかった。運び力がこなれてきている?と表現するのか。とにかく、猛烈ながんばりをしなかった。そしてそれは、なんとなく良いことのように感じた。

普段の発表が求めれられる滞在制作では、常にタイムリミットを逆算しながら、題材や素材を探しながらあるき、歩きながら何かが起こる場を興そうとし、起きたことを作品に巻き込んでなんとか形にしていく、というようなことをやっている。
それは、準備が苦手で、そのぶん現場が得意というか、常に偶然であり続けたい、イメージ通りのことが起きたとしても、それも偶然であると言っていたい、というような気持ちからきている。つまり、散歩も旅もリサーチも協働も制作も発表も、全部、遭遇の名のもと平等という思いの具現化として、〈タイヤひっぱり〉や〈蛸みこし〉とかがあるとも言えるかもしれない。

今回の滞在は、制作発表が求めらない少し珍しい状況である。
ということは発表を抜きにした時に、一番やりたいことをやる、ということなのだが、この状況で俺がやりたいと思ったのは、とにかくリキまずに、しかし芸術探検家として過ごす、ということだったのかもしれない。

「遭遇の方法をつくる」芸術探検家としての私は、
・自らの能動的な行為を起点に遭遇していく
・目の前の状況に運ばれるように遭遇する
のざっくりと2つの態度があって、それをブレンドしながら活動している。
運び力がこなれてきている、というのは、後者の「運ばれるように遭遇」のことであり、いい感じに運ばれることを「事の運び」と呼んでいる。つまりそれが運び力なのであり、タイヤやみこしを運ぶことで日々それを鍛えている、のか?(自分でもわけわからんくなってきた...)

目の前で起きる小さなゆらぎに乗っかり、波乗りをするように運ばれていく。
波はリキむとうまく乗れない。涼しく楽しく遠くまで、を心がける。


滞在発表会は、イッペイさんに30年前の富士市になりきってもらい、彼のお悩みを聞き、そこで出てきた要素を、会場内の人で演じてみるというものをやってみることにした。
30年前の富士市であるイッペイさんにヒアリングをしていくと、なかなか激動のハイテンション状態のようで、

・富士山
・豊富な湧水
・製紙工場
・効率化
・パチンコ
・お金
・土木工事

などの要素が熱く絡まりあって猛烈な今がある、とのこと。

30年前の富士市であるイッペイさんの現在を再演するように、それぞれが役割を演じる。瀧瀬さんは富士山として激動するみんなを動じずに見下ろし、俺は湧水として製紙工場に行ったり、海に流れて蒸発してまた富士山に降り注いだりしていたが、効率化をしていた久保田さんに、「製紙工場を通過した水はドロドロのヘドロになるから、もっとドロドロを表現しなさい」と言われて目から鱗。

身体を動かしながら、それぞれの要素が互いに関連しあいながら、身体的に街の成り立ちをイメージしてゆく。それがきっかけで多くの気づきが誘発されて、新たなコミュニケーションが生まれてくる。
ここに集まったバラバラな8人と、30年前の富士市が遭遇しあい、まとまりきれない感じを体感しあうような良い場になったような気がする。

次回は、「富士市の今」「富士市の30年後」をやってみたい。