野口竜平「チャプチャプの土地(2日目)」


6時ごろ起床。肌寒さで起きてしまった。
豊岡で3日間のテント暮らしがあったおかげで、ここ2週間は6時台には目が覚めるようになった。
窓の外に目をやるとドカンとおっきい富士山。まだ白い雪が積もっておらず、ついこの間まで夏だったことに気付かされる。
昨日のチェックインのタイミングで300円の朝食を追加したので、一体それは何時から食べられるのだろうと考えながら、メールを返したりした。6時45分ごろ食堂に行ってみると、東南アジア系(?)の女性が一人せかせかと働いておりまだ準備中な雰囲気だったが、中に入れてくれた。
食堂の壁は一面、色とりどりのフリスビーとうちわで埋め尽くされている。普通ならとても異様な光景なのだろうが、この宿にあるとそこまで気にならない。むしろ、こういう異質なものたちが一つのロジックに統一されずめいめいに存在できることこそ、この不思議な宿の魅力なのかもしれない。

味噌汁、目玉焼き、ハム、きんぴらごぼう、海苔、ごはん、などを食べる。


その後はきのうの日記を書いたりして、昼過ぎに商店街のコミュニティセンターへ向かう。
地域の物知りの久保田さんに、街のことを教えてもらうのだ。

コミュニティセンターは、多種多様な人たちがワークショップなり勉強会?なりの集まりをしていて、学生も多く活気に満ちていていい感じ。入るなり、アーティストの野口さんですか?と話しかけてくれる方もおり、準備して宣伝してくださっているんだなあ、というありがたさに染み入る。
みひとつで現地入りし、大荷物を抱えながら竹取り交渉、宿交渉、現地協力者探しに奔走した豊岡での初日とのギャップに可笑しくなってしまう。

13時ちょうどにやってきた久保田さんと軽めに自己紹介をすると、早速手書きの地図を広げて、この街のことについて解説を始めてくれた。

この土地は、駿河湾から富士山をつなぐ平野であり、富士川と富士山からの湧水によって基本的にチャプチャプとしている。
江戸時代までの富士川は、この平野にいくつもの支流をつくり、西側の広大な範囲で人がすめない湿地帯をつくっていたよう。
また、末端崖(まったんがい)という富士噴火の溶岩でできた層の断面からは、富士山に染み込んだ湧水がドバドバと溢れ出して、街を水浸しにし、低地に沼をつくる。高潮の被害も受けやすく複数回宿場町が壊滅した記録がある。
しかし、江戸時代では、治水事業の成功により不毛の湿地帯が加嶋五千石の土地に変貌し、明治時代からは、豊富な水を活かした製紙工場群がうまれ巨額の富を生み出すとというように、富士市は豊富すぎる水に頭を悩ませ、その処理から新たな産業を生み出してきた土地でもある。

またこの土地は、東と西をつなぐ交通の要所でもある。
江戸時代には14番目の宿場町として活躍し、宿場町や街道の整備、運送業などが主な産業だった模様。富士山を挟んで甲府に抜ける街道もあり、富士川も山梨から流れ込んでいる。駿河湾の海運、富士川の水運、東海道の陸運により、この土地の人が食いっぱぐれることが滅多になかったよう。

他にも、お祭り、信仰、妖怪の話も多くきかせてもらい(この辺はもう少しディグってから記述します)、
その後は自転車に乗って末端崖、お祭りで使う屋台、竹に色を染める工場、地獄絵図とかを案内してもらった。

全体的な印象として、この土地の文化や精神性として特別つよく主張するものがない感じがした。
そしてそのことに、まったくネガティブさを感じない。屋台のギャルや宿の態度をみても、やっぱりそう思う。適当でよくて、適当でも安心して堂々と生きていける土地・・?

富士山が堂々としている。右肩がぽこっとしている。