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東弘一郎「よそ者と地元民と地域愛」滞在まとめ

マイクロアートワーケーションに参加するまで、伊東市についてほとんど知識がなかった。いや、伊東市というより伊豆半島そのものをあまり知らなかったのが正しいかもしれない。

伊東市では薄羽さんという方がホストとなり、旅人のアーティストの案内をしてくださった。地域愛の強い方だと感じた。伊東市に数年前に移住してきたばかりだというのに、地域に相当詳しい。この場所にこだわりを持って住んでいるのだなと感じた。地域愛が故に、おすすめされるスポットも多かった。出会った初日に十数冊の地域観光冊子を手渡された。全く地域の知識もなく来たのに、一瞬で膨大な資料を手にしてしまった。
地域愛が溢れ出し、旅人に対して、ここに行くと良い、この人にぜひ会ってほしい、そんな話をたくさん聞いた。地域を盛り上げようとしている方々同士の多くのコネクションも持っていた。


しかし、薄羽さんはよそ者として地域にやってきて、まだ数年だという。人口の少ない田舎に移住してきて、短期間でよくこれだけの人間関係を築き上げたと感心する。私自身、今住んでいる家の隣人がどんな人なのか全く知らないが、薄羽さんはもしかすると隣人だけでなく、その数軒隣まで人間関係を気付き上げているかもしれない、とさえ思わせるコミュニケーション能力の高さと、よそ者でありながら地域のコミュニティに入り込める人柄の良さを感じた。

そういえば薄羽さんは相当クルマ好きだった。僕が茨城に引っ越したときに、茨城に住んだな、と実感したのは車のナンバーだ。実家の地域のナンバーではない、茨城の土浦ナンバーを取得した時に、初めて自分がその地に住んでいるのだと実感した。ダサいと悪評の土浦ナンバーを掲げて全国を走り回ることに誇りさえ感じた。薄羽さんは20年前のビンテージBMWとプラド、どちらも25万キロ越え。丁寧に乗っていた。狭い道が多いので、軽自動車の多い伊豆半島ではさぞ目立つことだろう。東京でも仕事をされている薄羽さんには、ぜひご当地ナンバーである伊豆ナンバーを取得して、東京の一等地で伊豆の風を吹かせてほしいとさえ思う。

伊東市は良くも悪くも廃れた観光地だ。
ヘンテコなB級スポットがたくさんある印象。「〜美術館」や「〜博物館」が乱立している。そのほとんどが東京のファインアートの美術館とは違うもので、B級の骨董品を詰め込んだ観光客向けの施設であることがほとんどだ。営業しているところもあれば、廃業して看板だけが残っている場所もある。例えば、通り沿いに巨大なゴリラのオブジェが残されていたが、これも「野生の王国」という剥製を売るお店だったらしい。(栃木県の那須にある、バブル期に乱立したB級アミューズメントパークや観光施設とどことなく雰囲気が似ているような気がする)
B級スポットは正直よくわからなかったが、ジオパークは本当に面白かった。見応えもあった。

訪問初日に伊豆半島全体が岩でできているという話を聞いたが、全くピンと来なかった。伊豆半島自体が毎年4センチ、本州を押しているという話。スケールが大きすぎてなんのことだかよくわからなかった。しかし、海岸線沿いを歩いてみて、そして伊豆半島全体を車で走ってみて、地球スケールを感じることができた。


伊豆半島に関する知識が全くなかったので、適当なスニーカーで来てしまったことを心から後悔した。登山靴で来ればもっと楽しかったかもしれない。
彫刻作品を作る人間としては、自然が作る地球の造形ではない、人の手によって作られた史跡にも非常に興味がある。伊豆半島で気になったのは「石切場」と「戦争基地」だ。

石切場の跡地は伊豆半島の各地にあった。伊東市内だと宇佐美に、大きいところだと西伊豆の室岩洞、そのほかにも道路沿いに野生の石切場も発見した。南伊豆の千畳敷の一部も石切場として使われていた痕跡があった。やはり地盤全体が大きな岩であるからこそ、石を使った産業が栄えるのは必然なのだろうが、そのスケールの大きさにはとても驚かされる。

戦争基地についても、そこらじゅうにたくさんあった。多かったのは海沿いの特攻基地跡。帰ってから調べたところ、戦時中太平洋側から日本を攻めるときは富士山を目標にやってくるため、初めにたどり着く場所が伊豆半島であることが多いんだとか。海防の要所だったからこそ、下田を中心に伊豆半島には多くの海上特攻基地が建設されていたのだということがわかった。とはいえ、その跡地は観光地や史跡として管理されているわけでもないので、現在は個人宅の倉庫や駐車場などで使われていることがほとんどだった。戦時中はここまでが海岸線だったのだな、という時間の変化も感じられる。
どちらも、歴史的な史跡でありながらも何も管理もされず、地域住民の日常の風景の一つとして受け入れられている(数メートルの大型の壕であったとしても!)。この楽観的な住民の視点はとても面白い。地域で何かイベントが起こる時には、地元の人主体ではなく外部の人たちによって地域資源を見出されることが多いというが、まさにこれも地域の隠された魅力の一つだろう。

伊豆半島では現在ジオパークを用いた地域づくりを行おうとしているが、それだけではない魅力も地域に眠っている。誰かがそれを掘り起こして、大きな出来事として発信したときにそこが新たな観光地となるのかもしれない。


私は現在茨城県内で作家活動をしているが、茨城に住んでまだ数年しか経っていない、よそ者である。茨城県日立市で始めた「星と海の芸術祭」は、初めて日立を訪れてから1年程度で実現した。その間に地域に非常に詳しくなって、まるで地元の人に説明できるまでになった。
茨城県日立市はものづくりの町として栄えた地域である。観光客はほとんど来ない、産業の街だ。私がこのイベントを作り上げるときに大変だったのは、この町のこの部分が、面白い、という点を地域の人々に自覚してもらうことだ。地元の人たちにとっては当たり前の風景や出来事が、はたから見たら面白い、という感覚は意外と伝わらない。
難しいのは、きっかけを作り出すのは「よそ者」であることは間違いないが、それを運用していくのは地元の人々である。本当にそこでおこった新しい出来事を運用し続けるためには、よそ者が地元民にならないといけない。地元民になって、 それを地域の声として発信していかなければならない。(お金がたくさんあればまた違うのかもしれないが、)今の所、僕の目に見えている範囲では、遠隔で地域に変化をもたらすのは非常に難易度が高そうだ。
私はフットワークは軽い人間だ。日本全国から様々な美術展示の仕事が来て、そのほとんどを車で移動している。お金もそんなにないので、高速道路に乗る場合は深夜割引を狙って、遠いところだと、茨城から熊本県、北海道など。深夜何時間も車移動をしてきた。
しかし、この拠点移動というのは、フットワークの軽さとはまた違う。どんなにその地域を調べて知っても、住もうという気持ちになるハードルはとても高い。そこに拠点を移して、そこで仕事が成立するのか?これまで作り上げてきた人間関係や土地勘を失ってでも、新しい地域でよそ者として生きていくことができるか…、色々なところに行きたいし、どこでどんな出会いがあるかわからない。

そういう点で、マイクロアートワーケーションというこの、よそ者でありながらも、何のアウトプットも求めない、この自由な企画は新しい入り口であるなと感じた。その地域に興味を持ち、それ以上深入りせずに済む、絶妙な距離感での人間関係の形成が、人間関係の一番最初には最適だ。観光地をただ眺めるだけの旅人では体験できないような、薄羽さんのような拠点移動して数年でコアな人間関係を構築した凄すぎる人々との出会い、そこからのネットワークで出会う地域を盛り上げようとする人々との出会い。
出会うほとんどの人々が、それぞれ地域で相当コアな活動をされていて、地域愛のある方でないと本来であれば出会うはずがなかったのに、我々が旅人であるが故に、私たちには何も求めてこない、この気さくな感じが、とても新鮮だった。