見出し画像

町田有理「模範村をこえて(滞在まとめ)」

滞在1日目の日記に、稲取は風穴のような場所なのではないか、と書いた。
最終7日目には、ラムネの中に居たのだ、と書いた。

そして東京に戻ってから稲取のまちづくりの歴史、「模範村」について調べ始めたことで、稲取の新旧のまちづくりを半透明のレイヤーを重ねるように眼差すことができるようになった。私は街を擬人化してその街のイメージを捉えるのだが、東京に戻って1週間しないうちにプロットが生まれた。それは今後のために、大切に育てるつもりだ。

稲取は現在、絶賛アイデンティティを模索している街だ。正確にはし直している、と表現するのが正しいかもしれないが、明治〜大正期の稲取と現在との間には大きな分断があり、ともすると記憶喪失に陥っているようにも見える。今回の滞在では特に、まちづくりやそのスタイルについて、様々なQ、問いを預かった。

少々ハードかもしれないので、まずは簡単なところから書き始める。

旅に必要なかったもの3選から見るMAW

「とったか見たかのスサビ暮らし(5日目)」 素戔嗚神社から島々を望む

まず今回、旅人として参加させていただいたMAW(マイクロ・アート・ワーケーション)自体が、なかなか珍しい試みだ。この事業の旅人のスタイルを私の感覚を通して説明するために「MAWの旅に必要なかったもの」を記す。

・滞在中の交流会のために準備した約7kgのポートフォリオ
これは本当に必要なかった。けれども、自分のプロジェクトはやはり、言葉で説明するのではなく写真で見ていただきかった。いずれ。

・本
稲取の本屋さん「山田書店」で、気になった本を買ってしまった。さらに「ダイロクキッチン」の古本市にあったTake Free ボックスから、かねてより読みたいと思っていた泉鏡花の研究書と安部公房『内なる辺境』をいただいてしまうという幸運に恵まれた。その時々、その街で、本命と言えるような本に出会うと信じて、既に手にしている本は家に置いてきた方がいい。

・ワークショップの道具
念のためと思って用意したものの、やはり自発的に何かを企画するより、つるし飾りを学ぶなど、インプットに専念するほうが断然、予想通りに有意義だった。

次にメモ。

ーーーーーーーーーーーーーーー
次に滞在するときにやりたいこと

「やわらかいまま(3日目)」 稲取漁港の朝市

・Kさんのお話しを聞く
・朝市で金目鯛の釜飯を食べる
・人を集めて漁船クルージングする(最小催行人数:2名)
・稲取港から大島に渡る
・細野高原の頂上まで上がる
・夏祭りで椿と竹の門飾りを見る
・「ラムネ」する
・満月の晴れた晩に北川のムーンロードを見る
・細野高原でクリスマスに上がる花火を観る
・みかんの種類がたくさんある時期に「ふたつぼり」でみかん狩りをする
ーーーーーーーーーーーーーーー

結構ある。

so-anについて:荒武さん界隈

「is 稲取(1日目)」 ご近所犬にすり寄られる荒武さんとKちゃんを抱っこする藤坊さん

稲取においては、「アーツカウンシルしずおか」のフレームを、「荒武さん関係の人」というフレームが包含してしまっているのが面白かった。荒武さんは今回のMAWの伊豆稲取地域のホストだ。合同会社so-anの代表で、宿を経営されている。
稲取にポッと現れた私が「アーツカウンシルしずおかの事業で稲取に来ました」というと、「旅人とは何か」「何のアーティストなのか」ということを説明するのに、どうしても時間を要する。しかも、説明しても結局は謎、ということになってしまって、聴き手に不親切極まりない。
けれども稲取においては、そんなもどかしさを越えるパワーワードが存在する。それは「荒武さんのところに泊まっています」と言うことだ。するとみなさん電光石火で「あぁ、荒武君のとこ…!」続けて、「藤坊(新井さん)には会った?」である。

つまり、稲取の方々の中に既に「荒武君の知り合いというと、建築関係か、大学生か、研究者か、町役場か、若い起業家か、移住希望者か、なんかそんな感じの人」というシソーラスができているということだ。

荒武さんは過去に地元の方々から「何をやっているのかわからない」と言われて落ち込んだことがあったのだと、何かの記事で読んだ。
けれど考えてみてほしい。ある決まった職種や素性、わかりやすいアイデンティティを持っている人しか存在できない場所というのは、変化も成長も許さない場所のことを指すのではないのか。

「なんとなくその界隈のひと」という、ゾルのような柔軟な「界隈」を形成していられていることは、それこそかけがえのない資産だと思う。私は滞在中、幾度も「荒武さん界隈のひと」という緩やかなゾーンを自由遊泳させていただいた。荒武さんのほうはといえば、稲取の方々から、「なんか変な質問をしてきた奴(私のことだ)がいるぞ」と報告を受けて、溜息をついたかもしれないけれど。
とにかく、素性を説明するほど謎めく旅人の私にとって、稲取の方々から必要以上に構えられることのない「界隈」に在れたことは、僥倖だった。

so-an 錆御納戸

そうそう、滞在中は「so-an錆御納戸」と、「so-an赤橙」の2つの宿に3泊ずつ宿泊した。いずれの宿も、稲取への移住を検討する人にとって、移住後の暮らしを想像しやすい。もし将来、家を借りるなら、駐車場とスーパーは家からどのくらいの距離にあり、駅からのアクセスは○分くらいで、年をとったときのためには階段の少ない家の方がいいだろうか、などなど。細かなディティールまで妄想することができる。赤橙では夜になると、目の前の柿の木をよじ登って遊ぶ無邪気な子猫たちの姿が見られて和む。

観光と移住のグラデーションづくり

道路に描かれた 稲取金目(鯛)のイラスト

そんなso-anの唯一の欠点。それは「so-anに宿泊すると、東伊豆町フォトコンテストに参加できない」ことだ。あえてドキッとするような書き出しをしたが、もちろんこれはso-anの欠点とはいえない。

「ラムネ(最終日)」はさみ石の下から空と石を見上げる

so-anに宿泊する人は、カメラマンであったり、旅慣れた人であったり、また私は違うが、(というふうに言い切るのもどうかと思うが、)ある程度ワーケーションのインフルエンサー的な役割を果たしている人だと思う。
その人々の目で選びとった景色が、フォトコンテストの選考の机上に載らない仕組みになっているのはなんだか残念だ。実際、私が稲取で撮影して、友人達の興味を引いたのは、はさみ石の写真、折口信夫の著書に登場する八百比丘尼の写真、漁港で少年が釣っていた20匹の鯖の写真だった。

「やわらかいまま(3日目)」稲取漁港にてひとり漁船の天才つり少年現る

温泉旅館に宿泊しているお客さんはおそらく、はさみ石までは行かないだろう。でも、はさみ石の写真がきっかけで、稲取に興味を持つ人だっているかもしれない。大人の事情があるのだから仕方がない、ということはわかっているけれど、応募条件は「東伊豆町内に1泊し、その証人が居る人」くらいの括りになったらいいのに。もっと言うと、住民の応募もOKにしたほうが、地元と旅行者のコミュニケーションの契機にもなり、関係人口を増やす面での効果は高いような気もする。観光と移住のグラデーションは、もっと豊かであれると思う。

「あるもの探し(6日目)」 椿の花を手花に持つ全国でも唯一の八百比丘尼像

地元の課題を旅人に伝えるべきか?

「椿と人魚と死なない私(4日目)」 日曜日のどんつく通り

初日の夜に、「アーツカウンシルが何を意図して、私を稲取に派遣したのか気になっている」という話をした。というのも、これは前職病のせいかもしれないけれど、私はアーツカウンシルやホストが、稲取(東伊豆町)の何を育てたいと思っているのかを知り、自分の興味関心と並行して、検証しながら滞在したいと思っていたからだ。
すると荒武さんから、「地元の課題を旅人に伝えるべきでしょうか?」という質問をいただいた。「べき」という考えはまったくなかったけれど、瞬時に答えが返せなかったため、その問いを抱えながら滞在した。

「ラムネ(最終日)」 街灯のデザインが可愛い

結論としてはまず、課題が伏せられた状態で、旅人が独自に課題というか謎を発見し、それについて地元の方々やホストと話すことは、この旅の醍醐味だろうと思う。けれども一方で、地元の課題について吐露されたり、愚痴られてもいい。そこは地元やホストに任される部分だと思う。
そう言うとたまに「予め課題を提示されると、思考が引きずられてしまうので嫌だ」という人がいる。しかし、少々乱暴かもしれないけれど、何もかもを同時並行で考えていくことで生じる創造性に気づいている身としては、どのアーティストも一生に一度は、取捨選択できないほどの問いを抱え、取りこぼしながら作るようなことがあっていいと思うので、問題ないと考えている。もっと言えば、さまざまなことを同時並行で考えていくことが旅人で、生活で、人生だとすら思う。

ただし例えば、「地元やホストが課題だと感じていることに必ず何らかのアイデアをもって応じる」というような暗黙のルールが付加されてしまうと、地元やホストが提示した課題自体を検証することができなくなるため、それは避けたい。

そんなことから、滞在中や滞在後に旅人側から「地元やホストの課題意識が本当に課題なのかどうか」という問いを投げかけると有意義だと考えた。というのも、たまに地域や街づくりに限らず、「課題意識の立て方がそもそもずれているのではないか?」と感じる話し合いや会議に遭遇するからだ。旅人(よそ者)から見ると、問題はもっと別のところにあるように思っても、地元やホストがそのように悩むことも理解できるので、つい寄り添うように話を聞くことを優先し過ぎてしまい、もちろんそれも大切なことだけれど、後で反省することもある。畏まった場においては特に、場で共有されている課題意識が異なると自分の意見を言っていいものか測りかねるし、そもそもここに来たのは場違いだったかな? などと考えかねず、せっかくの機会がもったいない。

「やわらかいまま(3日目)」東伊豆町長と焚き火を囲む会

今回、MAWの旅人(よそ者)としては、地域の意見を尊重するために距離をとるのではなく、むしろいろんな物差しを差し出して当てることで、地域の方々の発言を促すことにあると思った。そのため、東伊豆町の町長と町のイベントの主催者の方々の焚き火を囲む会で、参加者の方から「さっきから『稲取が、稲取が』って言いますけど、東伊豆には稲取や熱川だけでなく、大川も北川もあるんですよ」とお叱りを受けた時、「そんなツッコミをさせてしまって申し訳ない」と思う反面、発言して良かった、とも思った。

「あるもの探し(6日目)」 伊豆北川の黒根岩風呂は荘厳で今度はムーンロードが観たい

というのも、その「大川も北川も東伊豆だ」という発言を、町長は頷きながらメモされていたから。ポジティブ過ぎるかもしれないけれど、オブザーバーとして参加して「ためになるアイデアを出す」とか「ノウハウをシェアする」というようなことの前の核となる部分、本音を引き出す触媒のひとつになれて嬉しかった。もっともそれは、単純に私がMAWで稲取に滞在していて、大川と北川にはまだ行っていなかったから、東伊豆町の括りで語ることができずに、稲取の話をした、というだけなのだけれど。

ないものねだりではなく、あるもの探し

「is 稲取(1日目)」 展望台にあった消火栓の蓋

そう。その焚き火会で、東伊豆の良いところと悪いところを挙げるワークがあった。私はまず、その二項対立で考えるのはいかがなものか、ということを考えてしまったのだが、それは「東伊豆全部いい!」みたいな楽観主義に依るものではなく、そもそも良いも悪いもない、その言い切れなさや、たくさんの顔があることこそが街の真骨頂だ、という考えに基づいている。それでも、何かの火種になればと、焚き火会の場では以下のように発言した。

良いところ:「つるし飾り」などのフラジャイルなものをそのままに伝えることができること。
悪いところ:「げんなりずし」の反語に込められた照れ隠しが伝わっていないこと。

「やわらかいまま(3日目)」雛の館にある鯛の鯛(金目鯛の骨)によって作られたつるし飾り

ひと通り話し終えると町長から、「東伊豆にはアートが足りないと感じますか?」という質問があった。
私は自発的なアートがやがて街の個性になっていくことには賛成だけれど、経済力や政治力として新興されるアートイベントには、慎重になった方がいいと考えている。
稲取には既に、現代アートに匹敵する風習や文化がある。その丁寧なあり方の稀有さをよく理解しないままに、規模や波及力のあるイベントを企画するへ向かってしまうのはもったいない。

「げんなり(2日目)」たけやおにぎりの金目鯛のそぼろで作られた「げんなり寿司」

焚き火会では、参加者からの物申す的発言も多々あったが、自然と「今後どうあって欲しいのか」ということ、東伊豆町の「本来」や「将来」の話に流れていったことが興味深かった。参加者からは「いい街だけれど個性がない」という趣旨の発言が2〜3あったけれど、「焚き火を囲んで真剣に話をする人々がこれだけいる」ということも、東伊豆の個性のひとつとして数えられると思う。

模範村をこえて

「とったか見たかのスサビ暮らし(5日目)」 雛の館にあった「いなとり」の文字のある大漁旗

前置きが長くなったけれど、つまり何が言いたいのかというと、稲取のまちづくりに必要なことはまず、振興や新興ではなく、今までの歴史や文化の再考だろう、ということだ。

というのも、冒頭で触れた「模範村」とは、明治から大正にかけての地方改良運動の流れの中で、当時の村長である田村又吉の目覚ましい農漁村改革により、稲取村が「明治三大模範村」に定められた歴史のことを指している。

これは、様々な事情で経済的に窮地に陥った稲取村の人々を救うための良心に基づく地域による地域のための改革であった一方、日本が軍事国家を形成するためのモデル、礎にもされてしまったようだ。戦前のまち作りは、全体主義と紙一重だった。

街で賑やかかつ豊かに暮らすために。
されど大きな何かに踊らされないために。

この「模範村」とは一体何だったのかを紐解けば、地元と移住者との間に「稲取のまちづくりの歴史」という共通認識ができる。
そしてそこから、各々が感じたことをもとに「これからの稲取はどうしていきたいか?」という話し合いをすると、ただ感想を交わし合うだけでも様々な価値観を包含する「稲取界隈」が醸成されていきそうな予感がした。

だから私自身も、次に稲取を訪れるときは、「模範村」や、あるいは高度経済成長期の頃の記憶を思い出し、それをこえていく過渡期の稲取界隈の中で、泳ぐように、ラムネするように旅したいと思う。

と、旅の1日目とはすっかり異なる稲取のイメージが形成され、ところどころゴツくて痺れた。もはや旅の前に今回の旅はこんな感じかな、と漠然と予想していたところとは別の場所に着地した。望んでいた以上に、セレンディップな旅だった。この放り出された感覚を、どんな言葉で綴ろうか。記事の最後の言葉を探して、旅に出る前のメモを開く。すると、こんなことが書いてあった。

ーーーーーーーーーー

「地域おこし」という名称にはもしかすると、
「地域はまだ眠っている」
 という前提が含まれているのかもしれない。

ーーーーーーーーーー

なるほど、稲取のまちづくりはまだ起こされたばかり、と考えることもできるか。一瞬、私は寝ぼけていたのだろうかと思ったけれど、じわじわとそんな気がしてきた。

模範村をこえていくべく、ゆっくり起き上がろうよ。

おはよう、伊豆稲取。

「ラムネ(最終日)」 半島から出た半島の伊豆稲取

同じ期間に滞在されていた、私道さん、菅原さん、戸井田さん。ホストの皆さん。稲取で地域の見どころを教えてくれた皆さん。アーツカウンシルの若菜さん。ありがとうございました。皆さんとまた、お会いできますように。