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新造真人「知らない住所(2日目)」

朝は5時55分。目が覚めた。宿を出て熱海の海を散策してきた。海辺には、意図的に置き捨てられたタバコの吸殻や空き缶が多く、悲しい気持ちになる。天気は曇り。少しの晴れ間が見える。今朝見た夢では、連絡の取れなくなった友人を尋ねに港区を歩いていた。彼女のマンションの近くの飲食店で食事を取り、いざお会計をする。店員の不誠実な態度に怒りを露わにしている自分がいた。激昂していた。会いたかった友人の家に訪れることなく、夢から醒めた。

普段の自分は怒る方ではない。怒りを感じても、それを伝えることはほとんどなく、その場から早く立ち去りたいと思っている。だから、夢の中で自分の怒り方に驚いた。自分は、本当は、怒りたいのかもしれない。昨日も、残念なことがあった。本当は怒っていたのかもしれない。それを相手に伝えたところで、と思うから、伝えなかった。昨日の件は、自分の胸の中だけでに秘めている方がいい案件ではあるが。もちろん、喜びも日々の中にある。総数で言えば、そういったことの方が多いと思う。同時に世界では、凄惨なことが沢山起きている。どのように統計処理を行うかでしかない。

楽しい話をしようと思う。正確に言えば、楽しみにしていた話と、その準備にまつわる話だ。

今回、静岡は函南エリアを1週間滞在する。移動手段として、自転車を選んだ。積極的に言えば、ぼくは自転車に乗ることが好きだ。旅先に自分の普段から乗り慣れている自転車を運んで、それに乗りながら地域を巡ることを楽しみにしていた。

しかし、自転車で旅行はしたことがない。パンクも一人では直せない。普段からお世話になっている自転車屋さんや、自転車で旅行をしている友人たちに話を聞き、必要なものを揃えた。自転車を袋に入れれば鉄道などを移動できることは知っていた。その為の袋を輪行袋というらしい。その袋に入れる際に、自転車のタイヤなどを外してなるべくコンパクトにするのだが、タイヤやブレーキが有った箇所に空白ができる。移動中にそこに力が加わって走行に不具合が出ないように、そこに専用の金具を嵌め込む。

小さい頃から自転車には乗っているが、自分でタイヤを外す体験は初めてだ。いざ練習をしてみると、自転車の構造を前よりも把握できる。どのような部品が組み合わさって、自転車という装置が成り立っているのか。これまでの人生で何度も何百回、何千回と自転車に乗り、その単語を唱え、その姿を見てきたが、構造のことは全く知らなかった。

今回の滞在用に、自転車のことを多少なりとも調べ、そして、自分なりの細やかなアレンジを加えた。道で見つけた自転車をよく観察するようになって、どのようなカスタマイズがされているのか勉強した。どのような目的、用途かによって、自転車の選択やカスタマイズは変化することが分かったのだが、果たして、自分は何を求めているのだろう。

例えば、砂浜を走れるような自転車はタイヤが太い。荷物を沢山自転車に積む事はできるが、走りが重くなる。どれくらいのスピードを出したいのか。長距離を走るのか。舗装されていないような道も走るのか。自転車が好きといっても、そこには多くの喜び方がある。

ぼくは景色のいい場所を、スイスイと泳ぐように、自転車を走らせたい。荷物は最小限。水、財布、携帯、後はパンク修理用のキット。

函南は、事前情報だと、坂が多い。盆地なので、周りを山に囲まれていて、ぼくが行きたい場所に行くためにはちょっと大変な道を進む必要がある。今日は、そういった辺りを少しばかり探検してくる。知らないところに行くと、知らない風景がある。本当は、毎日知らない風景なのに、見たことがあるかのように見過ごしている。だから、知らない風景だ、と思わせてくれる風景は貴重だ。

夢の中でぼくは、行ったこともない、住所も知らない彼女の家を、明確にここだ、と確信を持って、目指し、向かっていた。夢の中では彼女の居場所を知っていた。夢は、そういった現実離れして事実や確信によって構成されている。夢の中の自分にとっては、それが当たり前で「なぜ、僕は住所を知っている?」と疑うようなことはない。それは決まっていて、ぼくは真面目にそこに向かっていた。知らないのに、確信していた。