戸井田雄「まちの静寂を徘徊する(2日目)」
朝の4時半に起きて、日の出前の稲取を歩く。
目的は徒歩40分の場所にある展望テラスからの朝日だけれど、昨晩に続いてもう一度、静かな稲取を歩きたいという思いがあった。
心なしか昨晩より音のある早朝のまちを、少しだけ不思議な風景をまた記録しながら、展望テラスを目指して歩く。
Googleマップに従い、展望テラスまでの登り坂をひたすら歩き、「こんなに足が疲れて息が切れるのはいつ以来だろう、、、」などど思いながら、あと少しと思った時、ふとマップの違和感に気づく。
、、、Googleさん、そこには道も階段も何もないよ。ただの茂みだよ。
日出までの時間もなく、体力の限界の中で望みを託してその先の駐車場まで歩くと、無事に展望テラスの看板を見つけて、稲取のまちと日出を眺める。
ただ、次の問題として、展望テラスのお手洗いが閉まっており、その先のお手洗いを目指すと、2つのルートが目の前に出てくる。
急で長そうな階段と、子供用の「長いすべり台」。
周りに誰も見ていないし、楽しそうでラクそうだと思いすべり台を選択して乗り始めるも、体重のせいかどうにも滑らない。
ただ、立って戻ろうとすると、靴底はみごとに滑る。
今日はそういう日かと受け入れ、ゆっくりと手すりで身体を前に押し出しながら、恥ずかしさにまみれながら下まで降りる。
次の目的地として、仕事で最近まで地元の伊豆山神社のリサーチをしていたこともあり、「熊沢権現神社」が気になりながらも、何となく「はさみ石」に向かう。
はさみ石の入り口が分からず、少しふざけた感じもあるトンネルに入ると、なぜか位置情報が実家の近くに飛んで行ったが、それよりも熱海でたまに歩道のないトンネルや、変な場所を歩いている人を見ると、「この人何だろ・・・??」と訝しげに見ていたが、自分が完全にその変な人になっていることに気付き、これからは暖かく見守ろうと思う。
迷いながら辿り着いた「はさみ石」までの入口は、ただの廃墟に続くとしか思えない脇道で、その道中は崩れそうな頼りない階段だったり、崖に付けられた梯子だったり、気軽に行ける場所ではなかったけど、着いたその場所は不思議な魅了のある空間だった。
大きめの岩の上で海を眺めてぼやっとしてると、次第に後ろの山の方から水の音が大きくなり、気づけば後ろの岩肌に水が流れ滝が出来ていた。
この時点でまだ朝の10時だけれど、昨日の夜からの短い時間で、とても多くのことを思い出していた。
それは、稲取の景色もそうだけれど、稲取の静かさと余白が自分の引き出しを開けてくれた感覚もある。
最近は旅とは「自分の中に何かを取り込む」時間という感覚が強くなっていたが、「何かを思い出す」時間としても大事だということを、今更ながら思い出した。
ただ、もし「静寂が魅力のまち」を案内しようと思ったとき、自分だったらどんな風にまちを案内するのだろうか?
今年、熱海では未来音楽祭の巻上さんが、集音マイクを使った「音を集めるまちあるき」をしていたが、【音のないまちあるき】とは可能なのだろうか?
そもそも、今まで当たり前のように行っていた「話すことを前提としたまちあるき」自体が、何か大事な余白を見落としてないだろうか?
そんなことを思いながら、稲取のまちまで歩いて戻り、肉チャーハンと温泉で歩き続けた身体を癒やして明日に備えることにした。
最後に、今回の機会と稲取に感謝を込めて。