戸井田雄「静寂の裏の喧騒を楽しむ/松山千春と坊主のサックス(6日目)」
本来は昨日のうちに書くべきだったが、情報量が多すぎがので翌朝になってからまとめている。
時系列を逆に書く形になるが、昨日の稲取の夜は本当に賑やかだった。
昨日は朝から今までで一番強く風が吹いていたが、宿の近くでのおばあちゃんたちが「これからこの風が増えるね」と話していたので、稲取ではよくある風なのだと思う。
昨日の夜の帰り道は、風の音、港で波が防波堤や船に当たる音、揺れる船からかすかに漏れ出る音、建物に風が当たる音、どこかの隙間に風が入りか細い汽笛のように「ポー」っとなる音、猫の首輪の鈴の音など、多くの音が混在していた。
その前まで参加していたのが、近くのお寺で開催されていたサックスのライブで、あまり事前知識もなく少し遅れて参加すると、お寺の本堂の中、お仏壇をバックにお坊さんが松山千春をサックスで熱奏していた。
お仏壇には御位牌があるようにも見え、頭の整理がつく前に法話が始まり、ものを見るときの「肉眼(にくがん)」は実は仏教用語で、もとは「肉眼(にくげん)」といい、 仏教ではものを見る能力を5段階あるとし、人間肉体の肉眼はもっとも下とされているとお話をされていた。
まちの歴史を「見よう」としていた自分に深く刺さる言葉を咀嚼している間にライブはアンコールを迎え、Beatlesの「let it be」を演奏するというアナウンスと法話が始まる。
「let it beはポールマッカートニーが苦難の時に作ったと言われ、マリアさまに従い、あるがままを受け入れなさいという歌です。これを私たちなりに解釈すると、仏様に従いなさいということです。・・・」
・・・神様を読み変えて大丈夫?? そんな心の疑問をよそに、バックミュージックのテープが流れサックスの演奏が始まったが、どうにも自分が知っている「let it be」とは違っており、お坊さんの演奏も「let it be」っぽいが何かが違う。
2コーラス目が終わるころに演奏が急に終わり、演奏者のお坊さんが「すみません、オケを間違えました。」とまさかのミスで演奏が中止。あるがまま受け入れる難しさを体現してくれる本当に貴重なご縁を味わいながら、ライブは追加アンコールの松山千春で締め括られた。
ふざけた書き方になってしまったが、法話の肉眼のお話も、「let it be」のなるがままにならない感じも、自分にとっては貴重な体験であり、法話と音楽の組み合わせを続けるお寺に敬意を持ちつつ、2019年のライブ映像がyoutubeにあったので、参考資料としてリンクを添付する。
お寺のライブの前は、2日前に飲みに行った際に多くの地元の資料を貸してくださいr、「稲取の資料が市役所にないか、聞いといてやるから、明後日来いよ」と言ってくださった居酒屋さんに食事に行った。
資料をお返ししてお話をするが、市役所からの資料のお話がなかなか出ず、しかも少し話が噛み合わない。
(・・・さては大将、話した後で飲み過ぎで忘れた(記憶から飛ばした)な。)そんなことを思いながらも、指摘しても仕方もないし野暮なので、サメの皮揚げとビールを楽しみながら、稲取の話をまたお伺いする。
印象的だったお話は下記の通り。
・2日前の食べた「ウツボの唐揚げ」は大将がウツボを捌いてる
・漁師の数を確保するのに、千葉から子どもを買っていた
(人身売買ではなく、丁稚奉公の要素が強いと推測している)
・漁師が船の故障などでお金が必要になることが多いので、稲取には質屋が多かった
・海沿いに温泉街が開発出来たのは、漁師が借金のカタに土地を取られていたので、用地取得が容易だったから
・げんなりや祝い餅など、稲取のご飯の量が多いのは、作るのが面倒だから
飲み屋のお話なので、どこまで本当かは分からないが、完全な創作という訳もないので、これが大将の目から見た事実なのだと思う。
その前日に地元の方にお伺いした、
・稲取は昔、他の地域から「稲」を「取り上げて」いたから稲取と呼ばれていた
というお話も、稲取風土記の内容とは異なるが、一つの事実なのだと思う。
4日目に紹介した「とうさんばらい」もそうだが、まちの史実と事実と真実に頭を揺らされた後が、お寺でのライブだったので、余計に頭を揺らされ、楽しみにしていたスナックは次回にお預けにして、宿に戻った。
この日は朝から食堂に行き、お昼にお腹が空かなかったので、熱川から移転したかき氷屋さんに行ったところ、男子は自分だけでキャイキャイした雰囲気の中、おじさん1人でおしゃれなかき氷を食べたのは遠い記憶になっていた。