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柴田まお「7日間の出来事」【河津町滞在まとめ】

活動拠点に戻り、早二週間。
滞在期間よりも長く、こっちに戻って過ごしていたと思うと、時間の尊さが、じわりと体に染み込んでくる。
 


「静岡のワーケーション参加してたらしいね、どうだった?」
 


少しづつまとめていた今回の滞在日記。時間が経った今、自分が何をまとめるのか、少し喋ろうと思う。
 


「河津ではこうゆうことがあってね…

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●拠点地東京 台風が去った後。
 


今回の旅、
旅人に課せられたスケジュールは二つ。
1、 毎日noteの更新をすること。
2、 最終日から14日内に3000文字のまとめを投稿すること。
 
その二つ目の課題を、今、書いているところだ。ちょうど二週間前、私はのんびりと河津町に足を踏み入れたのだった。
 
 
 
初めに、

私が普段、研究、制作で行っている内容を説明しようと思う。

「情報化社会における人と人とのつながり。そして物理的、或いは精神的な距離感と、その中で生まれるコミュニケーション。」

堅苦しくまとめるとこう言ったもので、簡単に説明すると

今我々が経験している環境から感じることができる、モノとの距離、そしてココロとの距離。常に変化させるそれらを「コミュニケーション」とし、カタチとして可視化させ発表を行っている。 

(あれ、同じこと言ってるな。)


そのきっかけは、Covid-19 のパンデミックからだった。

激しく変化した私たちの環境は、直接的なコミュニケーションに制限を課せられ、オンラインを 介した間接的なデジタル社会へと大きく変化した。
対面する行為が難しくなったことで生じたある種の身体的な不自由さは、 物理的な距離感だけでなく、精神的な距離感も混乱させると同時に、現実と非現実、存在と不在を行き来している。
このフィジカルとデジタルの間で発生する、「実像」「虚像」の違和感を感じながらも、そんな現代だからこそ生まれる、新たな関係性や表現をカタチにしていくのが目的だ。
滞在という、体験を実像とし、そこかれ見えてくる、または隠れている虚像を掘り出していく。

そんな目的を探るのが私たち、表現者であると考えている。


今回参加することになった、私を含めた3人。
演者である俳優。作家である彫刻家。そして私。

”それぞれ”のテーマで、”それぞれ”の目的で、この一週間を探っていたのだ。

これがこのワーケーションの面白いところ。いくら同じ場所に居たとは言えど、感じたこと、気になったこと、そしてnoteの書き方から、個々に違うのだ。

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改めて、今回参加した経緯を振り返る。


今回、「河津町」という街を選んだのは、(6日目に少しまとめたが)静岡マイクロ・アート・ワーケーション地域紹介文にある「自然があり自由な時間」。その紹介文を魅力的に感じた私は、正直細かい場所調べも儘ならないまま第一希望として提出をした。
それがかなり良かったのかもしれない。


物語のように、長いトンネルを抜けた先に現れた「河津町」。

(トンネル内が分岐点と聞いて、なんだか面白い) 

森、森、道、森。はしゃぐ私。行き合ったりばったりの旅にしよう。出会ってそうゆうもんっっ

鼻を鳴らしながら、特に細かなスケジュールは決めずにスタートした。しかし6泊7日。長いようで短く、短いようで長いのである。どうしよっか

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 成果物、作品自体を残すわけではなかった今回の一週間。

今まで、他の地域の滞在制作やレジデンスに参加して来た中では、その地域で直接触れた経験や、コミュニケーションから、その場でしか作れない作品を発表してきた。そして、地域とアートの関わり合いを意識して、今だからこそ作ることができる表現を模索してきた。

作品というモノを通して発表してきた私が、コミュニケーション、リサーチと言っても、この小さな町で何ができるのか、少し戸惑っていたのかもしれない。

7日間、滞在先の方々と交流をしながら、その地域の歴史や建築、場所や文化など、情報リサーチに力を入れる。スケジュールは決めなかったが、のんびりする時間も短く、色んなところへ動き回っていた。


彫刻という専門分野を研究している私は、

それは彫刻家の井原さんに。


地域密着型でコミュニケーションをしたい私は、

それは俳優の高野さんに。


私にとって贅沢すぎる旅だったのだ。ほとんどの場所へご一緒させてもらい、先輩たちの動きや研究姿勢、何から何まで勉強になることばかりで、拾い集めれる情報は全て吸収してやろうと必死についていった。

また彼らの、この河津を探る姿勢に触れることができた。


行く先々で、河津の方は、一つ一つを丁寧に説明してくれた。椅子に腰をかけ、時間を作ってもらう。 

ねーちゃんどうしたんだい。



小さな町は、中での情報が早い。ホストの和田さんに紹介されて、と伝えるとすぐに、あーあのnoteを書いてくれる人たちねと受け入れてくれる。(noteを書く人たちってイメージなのか)

情報が早いと言っても、私の住む東京、田舎とは少し違う考える。

「隣の家の〇〇さんがね」「〇〇さんは明日からお休みだって」「あそことあそこは兄弟で経営しているの」「私は元々違う場所から来ていて、」

言葉だけだとどこでも聞くかもしれない、会話の一つ一つには、小さ町ならではのリアルタイムで、なおかつ長く、ゆっくりと続く「生活」が覗いていた。



外から来た我々「表現者」としてその地域をリサーチして、気付いたことをカタチにすることは、滞在先の文化を尊重するとともに、その土地に根付く良い部分を再確認する行為だと考えている。
今回この「河津町」ではこうした発見と、交流を通したことをきっかけになればと思う。


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4日目、意見交換会。

町庁にて意見交換会をした際に、
「若い世代にもっと伝えたい」の一言。

その場では、その言葉が広がることはなかったが、私の中でとても気に留まる言葉だったのだ。
 一つの町に滞在した中で、特化した若い世代をあまり見なかったのだ。(9月という夏休暇を終えた時期だかかもしれない)
 
ホストの和田さんに問う、

「普段、小中高生が集まるようなところはあるんですか?」 

答えはあまり返ってこなかった。聞くと、小学校の生徒の人数も少なく、合併する校舎が現れるほどだと。子供人数が少ないのか、少し不思議な感覚に陥る私。

まだ言葉にならないこの感覚はきっと、私の中で大きな課題となった。

 例えば、「若い世代」というのが、どこまで指すのか、それは地域によって違うと考える。特に「河津」という地域の「若い世代」というと年齢層も高くなるのかもしれない。その中での私はきっと、ど真ん中にいて、THE若い人である、今は。

自分がここに生まれていたら、どういった生活になっていたのだろう、もしかしたら美術をやっていないのか、それともこの町のように根強く制作していたのだろうか。そんなことを考える。

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旅人として参加した私は、一つテーマとして「分野、世代を超えたコミュニケーション」を立てていた。
 
それは同業者、いわゆる「美術」と離れた人。違う感覚を持ったひと。
どの世界も、同じ交流関係は非常に狭い。東京にいても、どこかの美術館、ギャラリーへ行けば誰かしらに会う。
 
普段、都内の大学という施設にいる私は、そういった自然を通した交流を欲していた。決められた時間に、いつも同じ場所で、常にいる人間と。どこにでも行けて、交通手段もたくさんある。

あまりにも情報が多すぎる。


私にとって、この機会は、そのまま過ごしてたらわからなかった絶妙な距離感を教えてくれた。目まぐるしく変化が繰り返される東京という地域で過ごす私には、経験することとない 、貴重な時間だったのだ。



若い世代、今回の滞在では特に世代を関係なくして、交流をしていた。その中で、この町では誰もが何かを残そうとする、一人一人の「表現者」であったのだ。お話をすれば、ここではねと私たちに、この地域を教えてくれる。

作家である私は、少しでも多くの人の目に、耳に届けられるよう、発信を続けなければならない。それと同時に、彼らも伝え続けている。

それは私という、まだ始まったばかりの作家人生においても「制作し続ける」が一番の目標なのだ。


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この建物も、この森も、この道にだって
道路工事が多く、もしかしたら数年後は別の話題になっているかもしれない。
彼らにとってのあのお話は、今しか聞くことができない。それと同時に、今回出会ったこの3人、そして受け入れてくれやホストの和田さん。こんなに貴重な機会をいただけたこと、誠にありがとうございました。


この大事な出会い、関係性を、きっかけを崩さず、我々ができる「カタチ」を表現していきたい。
また次出会う時に、同じように語り合いたいのだ。何かを残す。
 


そしてまたご飯を囲い、おしゃべりをする。 さあこれからだと。



柴田まお