見出し画像

新造真人「函南探訪まとめ」

函南での滞在を終えて2週間が経った。時間はあっという間に経つ。時間が経てば、言葉が自然と出て来ると思ったが、そんなことはない。この、胸のなかにあるわからなさを、書きたいという気持ちはあるのに、一向に書き始められないのはなんなのだろう。こうやって、今打ち込んでいるように、まずは、このわからなさから文字にしてみよう。


画像1

そもそも

静岡に1週間行くことになりました。そもそもは、知り合いのお髭を生やした歯医者さんから連絡があったのが始まりです。彼がラジオで聞いたのは、四国のアーティストインレジデンスです。それを聞いてすぐにぼくのことを思い出して「新造くん、応募したら!」と久々の連絡をくれました。普段連絡をなかなか取らない人からメッセージが来ると嬉しいです。さらに、その内容もとても嬉しいです。ぼくはすぐさま応募しました。そして、応募したら楽しくなってしまって、他にも楽しそうな企画を探して、応募しました。1週間に一つくらいは何かに応募する。そんな風に数ヶ月を、精力的に過ごしていました。でも、実際はどれくらい応募したのでしょうか。数ヶ月前の記憶はおぼろげです。でも、確かなことは、アーツカウンシルしずおかさんが実施する「マイクロ・アート・ワーケーション(MAW)2021」に合格しました。そう、それは去年のことです。去年の12月に、伊豆半島に1週間滞在しました。とってもよかったです。それで、今年も参加したいと思いました。なぜなら、前回、とってもよかったんですね。

画像2

エリア選択:函南?下田?松崎町?

このMAW、ありがたいことに、静岡県から、好きな場所を選んで、そこに滞在できます。第3候補まで提出できます。ぼくは確か、函南、下田、松崎町をその候補地に選びました。理由は、伊豆半島に興味があるからです。半島って、なんかワクワクします。海にドカンと突き出ていて。

それもそのはず、伊豆半島は、遠い海の向こうから運ばれてきて、どかんと本州にぶち当たりました。この話を、修善寺にあるジオリア(※G)で、かっこいい施設で学んできました。

※G 伊豆のジオを中心としたことをまるっと理解できる超かっこいい施設!

ここは、伊豆旅行をするなら、いろんな人にオススメしたい施設です。修善寺という温泉街は、ぱきっとしていて、ゆっくりするのにとてもいい。秋には紅葉も見頃らしいので、また行きたいです。ジオリアの映像資料で学んだのだけど、伊豆は遠い海から運ばれてきました。よっこらしょー、どんぶらっこーって。さっきも話しましたね。でも、それを映像でみるとびっくり(!)しました。

画像3

超大陸パンゲア

そもそも日本、というか世界は、超大陸パンゲアといって、ひとつの巨大な大陸だったそうです。ギリシア語で「すべての大陸」という意味がパンゲア。約3億年から2億年前の古生代石炭紀後期から中生代三畳紀にかけて存在していたらしい。約2500万年前頃になると、プレートの沈み込みとかの影響で火山噴火などの活動が激しくなって、大陸の縁が割れはじめる。割れたところに海が入り込んで(それがのちの日本海)、大陸から親離れする形で形成されたのが、日本列島。一部の人には常識かもしれないけど、ぼくにはとても驚きでした。

そう、忘れていました!伊豆半島!伊豆半島の歴史は地層などの証拠を調べたら、約2000万年前までたどれたそうです!Facebookの友人は誰も生まれてないですね!長いので、ちょっとズルします。コピペです。comand +C とcomand + Vを使いました。

約2000万年前、伊豆は本州から数百km南、現在の硫黄島付近の緯度にありました。この頃の伊豆は深い海の底で活動する火山の集合体(海底火山群)でした。2011年3月の東日本大震災の原因となった「太平洋プレート」。この巨大なプレートは、伊豆半島が乗っている「フィリピン海プレート」の下にも沈み込んでいて、将来、伊豆半島になる大地の源、マグマを供給していました。一方、フィリピン海プレートは、本州がのっている「ユーラシアプレート」の下に沈み込みます。フィリピン海プレートの上にできた海底火山や火山島はプレートとともに北に移動しました。100万年ほど前に本州に衝突。陸地同士が海を埋め、現在のような半島の形になりました。これが約60 万年前のできごとです。半島となってから約20万年前までは、陸上のあちらこちらで噴火が起き、天城山や達磨山といった現在の伊豆の骨格を形づくる大型の火山ができました。

伊豆半島ジオパーク 大陸からの分離-日本列島の形成-https://izugeopark.org/about-izugeo/intro/

函南の滞在の話を書こうとしたのに、ここまで、随分長くなってしまいました。でも、今回1週間滞在してみて、一番すごい!と思ったのは、今まで長々と説明してきた地球の生産活動についてです。

地球の生産活動ってなんじゃらほい、って思ったはずなので、また喋ります。ぼくが1週間かけてぐるぐるした函南というエリア、その中心部?である丹那(たんな)はきれ〜な盆地になっています。盆地というのは山に囲まれています。京都は盆地と言いますが、巨大すぎてよくわからなかったけど、丹那に足を運んで、初めて「これが盆地か!」となりました。盆地好きにはたまらないと思います。

丹那の東は熱海、西は三島です。そんで、熱海駅から函南駅に抜ける時には丹那トンネルっていうのを通るんだけど、これがとっても長い。JRの普通列車で通り過ぎると4分30秒くらいトンネルを通ります。これがかなり印象的です。ぼくはジョンケージの4分33秒を思い出しました。で、このながーいトンネルは7,804mあって、開通した1934年(昭和9年)12月1日当時は、日本で2番目に長いトンネルだったそう。(ちなみに、日本一長いトンネルはあなたが暮らしてた北海道と青森をつなぐ青函トンネルの53.85kmだそうです)。

こんだけ長いトンネルを作るのはめちゃくちゃ大変だったそうです。元々は7年で作る予定だったものが、16年かかるし、総工費も当初の3.4倍。犠牲者が67名も出た難工事だったそうです。この工事の特に大変だったことのひとつに、大量の湧き水があります。この水が本当に大量だったそうで、工事の進捗につれて地下水が抜けて、水不足となり、灌漑用水が確保できず深刻な飢饉に陥ります。丹那盆地ではもともと、稲作が主な産業で、清水を使ったワサビ栽培、副業で酪農を行っていたみたいです。でも、水が抜けてしまったので、酪農でいこう!となったそうです。そして、今回の函南での1週間のホストは、函南にある酪農王国オラッチェさんでした。(お世話になりました!)

そして、また函南で大事なのが、1930年(昭和5年)にあった北伊豆地震。日本といえば地震大国ですが、この地震によってできた断層を観察できる場所がいくつかあります。丹那断層公園や火雷神社。地面が何メートルにもわたり、がっつり横ずれしているのがわかりますよ。

まあ、こんな感じで、伊豆と丹那の地理のお勉強はこれくらいにしましょう。

画像4

1週間過ごしてみて

今回、函南で1週間過ごすことになって、事前調査をしました。知ったのは、車がないと大変そうだなということです。函南駅から丹那盆地までは山を越える必要があって、公共交通機関はない。ぼくは車が運転できないので、すごく頑張ってみるか、ヒッチハイクなどで他のひとに頼る、です。

今回の滞在中は、同じく旅人の西松さんにとってもお世話になりました。丹那に行くときはいつも彼の車に乗せてもらいました。結果的にこれはとてもよくて、自分にできないことがあるので、他の人に頼る。そこでコミュニケーションが生まれる。3年前に移住してきた小田原の米神もそうです。ここも公共交通機関がないので、いつも移動はすっごく頑張るか、ご近所さんに連絡して車にのっけてもらう、です。できないことをOPENにして、どうやったらいいかな?を考えると、時々、できなかったことを起点に楽しい時間が生まれます。

旅人との交流、増える視点

今回は同じ期間(9/12-9/18)に同じエリアでぼくを含めた3人の旅人がいました。上であげた西松さん、そして伊藤さん。伊藤さんはいった場所をちょくちょくTwitterに乗っけていたので、気になった場所を調べたり、実際にいってみたりと伊藤さん滞在の聖地巡礼をしました。

ほかにも、滞在初日に三島ロケットでは、他のエリアを旅する方々にもおあいしました。特に坂井存(さかいぞん)さんの作品が気になった。「老人性美術症候群」という作品(名称も)が面白い。

彼はゴムチューブによる作品を背負って歩いたりしながら、エリアを探索しているようだった。ぼくも以前、ユースケやタイガ、ダイキ、マサル、ユータといった仲間たちの協力をへて、おっきな自画像を持って街を歩いたことがあった。その時に、いろんな人に話しかけられたり、困難があったり、面白い風景があった。それを1週間、知らない街でやるのは、骨が折れるけど、爽快だろうな〜と想像した。

出会った旅人さんたちが、同時期に別の場所を歩いている。そんなことを考えると、視点が増えて、とても楽しい。他の人ならこうするかな、は、自分ならこうする。自分だからこそは、どうなるか?そんな発想につながっていった。

画像5

MAWを終えて

今回の体験を、まとめるのは難しい。これ!という一つだけの、ピカピカのいちばん星があったわけでもなく、前回の伊豆での滞在のように1週間が物語になっていたわけでもない。今回は、どうなるかわからない、小さな断片を拾ってきた感じがたくさんする。

ああ、これは修学旅行と言えるかもしれない。今回は、事前学習と称して地学温泉研究所に行ったり、十国峠に登山に行った。そして興味を持った、地下水(温泉や湧き水)と地球の生産活動によってできた地形(断層、海岸、川etc)に、実際にいって、見てみる。そして、学んだこと、感じたことなどを、noteに残す。

少し、時間が経って見返してみれば、自分が今回の滞在でなにを得ていたのかがわかるかもしれない。まだ、表層しかみれていない。地下水は、何十年、とくには何百年も地下を巡り、湧き水として地表に湧き出てくることがあるらしい。断層や地震だって、日々のちょっとした力の蓄積が、ある日どかーんと現れたものである。湧き水と地震、その構造とその現れ方。それを1週間、文字どおり地に足つけて考えたのだから、どんな風にか、ぼくの人生の中にも、湧き水的なことや、地震的なことが起きるように、楽しく、活発に、動き回っていかないと。





#アーツカウンシルしずおか
#マイクロアートワーケーション
#函南町
#滞在まとめ
#MAW新造真人