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癸生川栄(eitoeiko)「静岡県松崎町における文化資源の活用と観光産業化についての提言」(松崎町滞在まとめ)

はじめに

 前回のしずおかマイクロアートワーケーションでは、下田市に滞在した。今回は賀茂地区についてより知見を得るため、松崎町に赴き現地の史跡や景勝地を中心に巡った。松崎町でもアートをイベントとして活用したいという思いがあり、滞在中にはワーケーションの担当者に現地を隅々まで案内していただき、解説までしていただいたことに深謝するとともに、松崎町の抱える問題とその解決策、アートイベントの可能性などをまとめとしてここに提言する。

松崎町の現状

 令和4年の現在、松崎町は人口6千人と、静岡県内で最も人口の少ない町である。さらに65歳以上の高齢者率が49.5%と県内で3番目に高い。1位は西伊豆町の51.8%、5位に南伊豆町と、5位以内に賀茂地区から3つの町が入る。全国の割合では28.9%であることからも、賀茂地区の高齢化は深刻である。
 松崎町は大まかに言って、町内を流れる2つの河川、那賀川流域と岩科川流域の平野部と、三浦地区と呼ばれる岩地、石部、雲見のリアス式海岸の漁村部で構成される。いずれの地域でも温泉とマリンスポーツが観光を支えてきた。岩科川は古くは河口が現在よりも広く、内陸部まで海水が入り込んでいたようである。縄文時代の遺跡も発見され、人の営みの歴史は古い。
 史跡に関しては、先史時代のものから、室町・鎌倉期の北条氏の足跡、江戸期に天領となり、安政の大地震による津波の被害からナマコ壁の特徴的な街並みが生まれ、明治期の養蚕業による隆盛など、時代毎に様々な歴史遺産が残る。

豊富な歴史を抱えて

 松崎町にはその多数の現存する史跡を包括して管理・紹介する歴史資料館がない。下田市には道の駅に下田ビジターセンターがあり、伊豆半島の地理や下田市の歴史を効率的に知ることができる。松崎町は中心部に観光協会をはじめ無料で開放される価値ある建造物が多く、それらを現在よりもさらに活用していく方法もあるが、人口的には人材不足の面は否めないので、町役場のHPなどの電子空間を利用して詳細に伝えていく手段もあるのかもしれない。だが、いざ町に到着すれば、目の前にそのままの歴史が残っているという事実があるため、それも歯痒い。圧倒的体験があればインターネットの事前情報などは不要なのかもしれないからだ。いずれにしろ一か所で総合的に閲覧できる場所があると良いのではないだろうか。
 松崎町に限らず、賀茂地区成立の経緯として、農村部、漁村部、貿易港、伊豆石の産地、木炭の生産地など、各集落が独立した生活圏を形成しているので、それぞれが発展し長い時間をかけて少しずつ合併していった現在の行政の枠組みには、以前として見えない壁が存在しているように思われる。言い換えればそれも歴史遺産であるので、文化に関しては行政は緩やかで包括的な連携を組み、地域横断的な研究がなされるよう支援していく方法が有効的といえる。伊豆半島南部がひろく解明されていくことは、歴史研究者にとっても観光で訪れる者にとっても有益だろう。

文化の香り

 滞在時、松崎町では「松崎まちかど花飾り」の準備が進められていた。こののち、地域住民の協働によって町内各所に大型のフラワーアレンジメントを設置するそうである。自然を活かし愛でる楽しいイベントとなっているようだ。松崎町内を歩いて感じたことに、街並みが美しく保たれていることがある。ナマコ壁の建物など文化財が立ち並ぶなかで、高い美意識が生まれているのかもしれない。建物の内部にも、地元が生んだ希代の鏝絵師、伊豆の長八の作品や、川本月下の襖絵など見事な装飾がある。工芸に関しては親しみのある地域なのだろう。松崎町は映画のロケ地としてもこれまで何本もの撮影に利用され、その小道具や出演者のサインなどを見ることができたが、そのことも景観保持の高さを思わせる。
 アートは人を楽しい気分にさせるものでもあるが、視覚やその他の感覚を通じて、歴史や個人や社会などの「見えないものを見せる」手段でもある。既存の歴史や文化に別の角度を当てることで、鑑賞者を招きつつ、過疎や高齢化などの問題を共有し協働して解決する方法としたい。
 
脅威としての自然

 一方で自然に目を向けると、松崎町、賀茂地区は一見すると美しい海と山の自然に囲まれた風光明媚な地域なのだが、近年は台風による洪水の被害など、災害と隣り合わせにもなっている。かつては林業が盛んで、周囲の森は人の手が入ることによって管理されてきたという。木炭の利用がなくなり伸びすぎた森林で、狩猟が廃れたことで増えた野生動物が下草を食べきったため、保水力が落ちた山は洪水をもたらす原因となった。海は水温の上昇により磯焼けをおこして漁獲高が減少した。これには山から少しずつ海に降りていく冷たい地下水が足りないこともあるのかもしれない。しかし産業の変化や、森に携わる人々の高齢化、人口減少によって自然を食い止めることができない現状である。
 これは松崎町に限らず日本各地で同様の問題があると思われる。解決することは一筋縄ではいかないが、この人の手の離れてしまった自然のサイクルが20年後、30年後に「どこかで何かが」破綻する恐れもある。喫緊の課題であると言っていい。あまりに大きな問題で途方に暮れてしまうが、どんな生活を送っていても、常に片隅で意識しなければならない問題として考え続けたい。

松崎町から交通を考える

 松崎町は西伊豆エリアの南端に位置する町である。そのため東京方面から目指す場合は、鉄道の伊豆急行線を利用して東伊豆沿岸を南下し、終点の下田駅から東海バスに乗って1時間弱の峠越えをする必要がある。レンタカーを利用すれば、南伊豆町のマーガレットラインを通ることもできる。ほかに、修善寺のある中伊豆からの自動車道もある。もしくは、静岡市清水区から駿河湾フェリーを利用し、土肥町経由で西伊豆を海岸に沿って南に下る方法の、大きく3つのルートに分かれている。もちろん最初から自動車で向かうことも可能で、松崎町では中心部に無料あるいは安価な駐車場が多い。逆に少し離れたエリアでは、駐車台数は限られている印象だ。
 アートイベントを開催する場合、地域住民の移動は近所であっても自動車に限られるだろう。その台数を考えると、観光客にはできる限りバスなどの公共交通機関を推奨していただくのが現状ではないだろうか。
 下田市からのバス路線を考えると、下田市側は稲梓地区の里山風景を眺めながらゆるやかに峠を目指していく。そしてバサラ峠を越えると、こんどは那賀川流域の清流と並走して桜並木を中心部に向かっていく、穏やかな景観を堪能できる。今回、地域住民はあまり価値を感じてないように思ったのだが、この日本の原風景といっていい場所を再認識させるような地域協働型のイベントができると良いのではないだろうか。そのためには下田市と松崎町の緩やかな連携が必要である。
 歴史を調べると、この静岡県道15号線が開通する以前は南側に別の街道があり、馬車道が残っているということである。古道が新しい街道にアップデートされていくダイナミックな交通の変化のように、新しい視点から松崎町を含めた賀茂地区のロードマップを導き出す必要がある。
 
おわりに

 松崎町と下田市を知ることによって、その点と点を結ぶ線にも興味を持った。線は歴史とともにその軌跡を変化させている。陸路があり、海路がある自然豊かな地域だが、そのバランスが人間によって保たれてきて、破綻寸前であることも知った。アートは地域の暮らしに介入するのではなく、地域の暮らしに併走するべきだ。文人墨客が逗留した形跡も色濃く残る松崎町に滞在し、国のあり方まで見通せるような気もした。できれば海外から多くのアーティストを招聘して、伊豆の歴史と自然と地域の暮らしを世界と共有できたらと思う。