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私道かぴ「伊豆稲取、外からの風が心地よく吹く場所(滞在まとめ)」

〇滞在の目的


今回『マイクロ・アート・ワーケーション(MAW)』に参加した理由は、「静岡の文化状況について知りたい」という思いからだった。私は演劇という表現方法を選択していることもあり、静岡といえば「SPAC(Shizuoka Performing Arts Center)」がある県という認識で、学生や地域の方々への演劇文化が盛んな場所という印象を持っていた。今年のGWに行われた「ストレンジシード静岡」に自劇団が参加した際、駿府城公園周辺で目にした風景が今でも忘れられない。各エリアで演劇、ダンス、参加型パフォーマンスなどバラエティ豊かな演目が同時多発的に上演される。観客は自由にエリアを行き来し、時には見るつもりのなかった演目を目撃することになる。中でも驚いたのは、「ただふらっと駿府城公園に遊びに来ただけ」のお客さんたちが、意図せずパフォーミングアーツの「観客」になっていることだった。ただ散歩に来て、落ち着く場所を探している人々の目にパフォーマンスがふいに入ってくる。はじめは離れた所で見ていた人々も、「これって観られるんですか?」とスタッフに話しかけて、やがて観客になっていく。
その光景を見て、パフォーミングアーツを生活の一部として享受できる人がなんて多いんだ、と思った。それはSPACが長年の活動が培ってきた成果なのだろうと感じた。初めて訪れた静岡にそういった光景が広がっていたことに、大きな感動と驚きがあった。

しかし、静岡は広い。一部分だけ見て「静岡は演劇が盛んで、それを受容する人も多い」という印象を勝手に持ってしまうのはよくないと思った。だから今回は、中心として取り上げられる静岡市や浜松市ではなく、熱海市でもなく、少し距離を置いた伊豆に興味を持ち、滞在を希望した。

〇伊豆稲取の文化&観光について


伊豆稲取のホストである合同会社so-anの荒武さんによると、「伊豆稲取は観光と産業で栄えてきた町」だという。金目鯛やみかんなどの食に、温泉や高原などの観光地。確かに関東圏の都市からふらっと訪れるのによい場所だと思う。


最初に伊豆稲取駅に降り立った際の感想は「思ったよりコンパクト」そして「思ったよりも駅に人が多い」だった。
待合室で列車を待っているお年寄りが多いほか、他の事業でワーケーションをしに来られている方もいらっしゃるそうで、改札前にはにぎわいがあった。
ただ、駅にはエレベーターがなく、改札も自動ではないなど、歴史を感じさせる部分もある。駅前には石切り場の展示や、地元の小さな売店などがあるが、「さあここから観光が始まるぞ!」というわくわく感はあまりない。むしろまったり過ごす人に向いている雰囲気があった。列車の到着時刻に合わせて、各宿の送迎の運転手が改札前で看板を持って立っている。観光客が案内されるまま車に乗って宿に直行する姿を見ながら、「そもそもあまり駅前や街中をぷらぷら散策する想定ではないのかもしれないな」などと思った。
別の日、駅に寄ったら窓口で年配夫婦(おそらく旅行者)が「何もない所だなあとは思ってきたけど、こんなに何もないとは思わなかった」と窓口の人に言っている現場に遭遇した。係の方は「まあ、駅の周りは特になにもないかもしれませんねえ…ちょっと行けばね、まだあるんですけど」と言う。
この「なんにもない」という言葉をその後も度々思い出していた。「なんにもない」と言っても、よくよく歩いていくうちに、駅前には様々なおもしろいスポットがある。

駅からすぐの和菓子屋さんには、「キンメプリン」と言って、プリンの上に魚型に切り取られた赤色のゼリーのようなものが乗っている商品がある。どちらというと金魚なのだけど、その風貌がかわいらしい。お店を切り盛りしているおじいさんとおばあさんが愛想よく接客して下さり、一言二言交わせばきっと旅の思い出になると思う。少し行けば「かやの寺」もあるし、金目鯛を食べられるお料理屋さんも、吊るし雛の工房もある。坂を下っていくと、目の前いっぱいに美しい港がどーんと広がる。
「なんにもない」という言葉が出る時は、おそらく「観光客が期待しているもの」と「地域の楽しみ方」の需要と供給がマッチしていない時なのではないか。駅の係の人が「ちょっと行けばね、まだあるんですけど」という言葉と一緒に差し出せる何かがあれば、また変わってくるのではと感じた(こうした面でMAWの滞在記などを利用できればいいのかもしれない…)。

また、別の場面で荒武さんから聞いた「温泉とか港の景色などが売りだけど、伊豆稲取でないと!という決め手に欠ける」(言い方はもっと違っていたと思う)という点についても、巡っている間に色々と考えた。
温泉療養や余暇を過ごす場所がたくさんある静岡においては、確かに「稲取ならではだよね!」とか「他には絶対にないこの売り!」という稲取に限ったアピールポイントはあまり多くないのかもしれない。そういった売りを前面に出して、旅行自体をエスコートしてほしい観光客には物足りなく感じるだろう。ただ、考えてみると、「これが売り!」というものを押し付けられないということは、自分で自由に選べるということでもある。
伊豆稲取の観光は、「稲取のおもしろいところ/変わったところ」を積極的に探していく観光スタイルが合っているのではないかと思った。「自分が求めているものをすべて向こうから提示してもらう」という観光には飽きている方に、うまく訴求していければいいなと感じた。

〇移住者と地元の方の交流について


滞在中に楽しかったことはこれまでの滞在記録に書いたのでそちらでいいとして、書いていない中で最も印象に残っている(というか、色々考えてすんなりとその日に書けなかった)のはやはり「東伊豆町長と焚火を囲む会」だった。
東伊豆町長と移住者の方々が、焚火を囲んで東伊豆の将来についてあれこれ語り合うという場に、荒武さんのご厚意で滞在アーティストである私たちも混ぜてもらったのだった。そこで出た意見としては、「何かをやろうとした時に、達成できる確率は都会と比べて抜群に高い」「ただ、役所のどこに行けばいいのかがわかりにくいなど、手続きの上でまだまだ課題が多い」という問題点が多かった。中には「東伊豆って言ったらもっとたくさん地域があるのに、話題にのぼるのは稲取が多い」という意見もあり、これはこういった機会に聞かなければ気づかなかった視点で驚いた。東伊豆の中で、稲取に特に新しい取り組みがたくさん起こり始めているのを、象徴するような言葉だった。
このような具体的な指摘があった一方で「東伊豆の好き所と嫌いな所はどこですか」など、普段思っていてもなかなか言語化しないのではないか、という質問も出た。複数人の前で言いにくい部分もあったと思う。役所や企業、移住者など色々な立場からの思惑が焚火の火とともにしずかに燃え上がっている感じがした。印象的だったのは、東伊豆出身の方がその場に一人しかいなかったという事実だ。
聞けば、移住してきた人々が企画する場に、なかなか地元の方が参加できていないのが目下の課題だという。それを聞いて、これまで滞在してきた様々な場所のことを思った。「地域を盛り上げたいと思っている外から来た人」と「その地域にもともといる人」の間の溝は、どこにおいても最初は大きい。その間を繋ぐ突破口は、「地域にずっと住んでいる、その土地を盛り上げたいと思っている人」なのではないかと思う。間を取り持つことができるし、双方の本音を引き出せる可能性がある。また、アーティストのような他から来た人がこの役役割を担える場合もある。地域おこしに取り組む人々も、日々活動する中でどうしても手一杯になってしまう。このような「すきま」がある人の存在が、今後の流れを変える助けになるのではないか。

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〇よそ者が風を連れてくる場所


その後の交流会で、静岡大学で地域創造を学んでいるという学生さんたちと話をした。毎年稲取に来て地域と連携した活動をしているそうで、今年は港の朝市会場の外壁のパネルアートを塗りなおしているという。将来は「文化を使った地域おこしの道に進みたい」ということで、頼もしいなあと思った。5人程と話したのだけれど、全員静岡県内出身だったにも関わらずSPACのお芝居を観たことがあるのは一人のみで、そもそも演劇自体もほとんど観たことがないらしく、やはり静岡の中でも文化をいかに受容できるかにはばらつきがあるのだなあと感じた。
ダイロクキッチンの代表の方がやってきて、一年生の二人と挨拶をしていた。どうやら日中、その方の娘さんが二人と一緒にパネルアートの色塗りをしたのだそうだ。娘さんは数年前からこの静岡大学のプログラムに参加しているそうで、「またあのお兄さんお姉さんたちが来る」と楽しみにしているのだという。
その方に、「こうして稲取に外から人がやってき
て、色々な催しをすることに対してどう思っていますか?」と聞いてみた。すると、「東伊豆には大学がないから、こうして外から学生さんが定期的に来てくれることで、子どもたちに今後の生き方を示すことができる。実際、子どもはいま、将来はいま来てくれている学生さんたちと同じ道に進みたいなあと言っている」と話して下さった。
それを聞いて、ああ、そうかと思った。外から人が来るということは、ここにはない生き方がやってくるということでもある。
「仕事に疲れて」とか「日本中を旅していてたまたま」とか様々な理由で、昔であれば流罪になった人が流れ着いた場所、伊豆。それは単に「人が来た」ということではなくて、違う生き方が丸ごとその地域の人の前に立ち上がったということだ。

そこでふと、高校時代に神戸の劇場で初めて演劇に触れた時のことを思い出した。夏休みを利用して高校生たちがプロのスタッフ・俳優陣と共に演劇を一本作るプロジェクトだった。当時のことで真っ先に思い返すのは、演技の技術とか芝居の極意なんかではなく、自分たちに真剣に向き合ってくれた大人たちの態度だった。こんな人たちがいるんだ、こういう生き方をしている人がこの社会にいるんだ、と思った。それは学校や塾では決して出会うことのできない、新しい生き方の発見だった。
あの夏に出会ったすべての人の生き方をなぞることはできないのだけれど、でも「未来は明るいよ」とだけ言い添えられる毎日に、「本当に明るいのかも」と思わせてくれたあの人たちのことだけは、今でもずっと、心の中に残っている。

「演劇を知らない」というのは、単なる教育不足という捉え方で終わってしまいがちだけども、実際はそうではない。「演劇を選択した人生のサンプル」に若いうちに触れられないということだ。これはスポーツでも音楽でもそうで、厳しい言い方をすれば可能性がそもそも開かれていないということだと思う。たとえ将来その道を選ばなくてもいい。「選ばなかった」という経験が、やっぱり人々には大切なのだ。
外から様々な人が来て、新しい風を起こすことで、「この地域の外にもたくさんの生き方がある」「きっとこの先も楽しいことが舞っている」と思える。伊豆稲取に来て、その鱗片が立ち上がっているのを感じ、もっともっとこの場所に新しい風が吹いてほしいと願った。
そして、今回自分も「よそ者」としての一旦を担ったことで、もっとできることがあるのではないかと改めて感じた。

改めて今回お世話になりました合同会社so-anの皆さま、伊豆稲取でお話ししてくださった皆さま、一緒に滞在時間を過ごして下さった町田さん、菅原さん、戸井田さん、アーツカウンシルしずおかの皆さま、ありがとうございました。今後もこのご縁が続いていきますよう、頑張りたいと思います。