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西松秀祐「函南探訪(4日目)」

今日はジオガイドの池谷さんと断層公園、そして火雷神社をまわる。朝10時に断層公園に集合して基本的なプレートと断層のメカニズムを図を使っていただきながら教えてもらう。

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1930年(昭和5年)11月26日に起きた北伊豆地震の震源であった丹那では建物の被害者はあったが人的被害は少なかった。その理由に瓦屋根でなく、藁葺き屋根だったこと。そして余震が大きな揺れがある前からあり、藁を家周りに積み、屋根を落ちないように守ったり、大黒柱付近で皆んなで寝るようにした等の対策を丹那の人はしていたということを聞いた。

北伊豆地震によって施行中だった丹那トンネルは、大きく地中の中でずれてしまった。そのため北伊豆地震よってずれた本線を繋げるため一部ゆったりとS字に少し曲がっているそうだ。今でも電車にのり最後尾から前を見ていると、電車がS字に沿って動いているのが分かるのかもしれない。

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火雷神社の管理は田代村の人たちで行われているそうだ。災害の記憶を残すため、柵をするなど保護はするが、基本的に手を加えず保存をしてきている。地震によってずれた鳥居と階段の位置、そして台風によって流れ出し埋まった鳥居の被害が見れる。街の人たち主導で保護してるのが素晴らしい実際にユネスコ世界ジオパークに認定されるときも、そのことが視察員に評価されたそうだ。

そして田代、丹那はもともと山地に囲まれた湿地帯で、地面を掘ると神代杉が埋没しているそうだ。昔はその発掘された神代杉を展示している家があったそうだ。

ジオガイドの池谷さんと話を聞いていると、自分の興味が人がどのように生きてきたか?とかそういったものなような気がした。池谷さんと話していて地質学の含む大きな時間であったり、自然という大きな力みたいなものの中で、どのように人がふるまったか?そんなことが考えられ、知れる機会になったことはとても良かった。

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そのあと休憩に丹那そばを食べ、仏の里美術館へ。そこでもボランティアガイドさんに案内してもらうことができた。話を聞いていて、この函南町桑原という場所にすごいたくさんの仏像が揃っていることを知った。仏の里美術館へ向かう道中、なんとなく駅裏で未開発な感じがする場所だったが、おそらく旧道によって栄えてたような気がする。旧道のルートも知りたいなと美術館へ来て思った。

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(仏の里美術館がある函南町桑原地域)

そして仏の里美術館を出て、横穴古墳群を見に行く。

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(上:柏谷横穴群 下:古墳がある丘から見た風景)

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柏谷横穴群は大きな公園のような感じになっていて、ゆっくり散策できたが、もう一つGoogle Mapで記載されていた八重窪横穴古墳群は発見できなかった。丘に登って風景を見ながら、昔の海岸線の位置が気になった。

キャンプ場へ戻ると地域の方がキャンプ場のオーナーに会いに来ていた。みんなで焚き火をしながら話しているのに混ぜてもらった。焚き火を囲みながら函南町や丹那のことなどの話ができた。本当に心地よい時間だった。