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成清北斗「焼津旅人(タビビト)成清北斗」(まとめ)

 このnoteは、いったい誰に向けて書くものなのでしょうか。この事業自体がアーティストである旅人と地域住民との出会いや交流を目的としていることから、少しでも旅人の理解につながるようなことを書くことができればいいなと思います。

成清縦細身


焼津旅人(タビビト)

氏名:成清 北斗 Hokuto NARIKIYO
  


1.出身:大阪府大阪市
2.肩書き:自称アーティスト(ふつうの給与所得者)
3.一緒に住んでいる人:家族
4.趣味:なし(断酒中)
5.最近うれしかったこと:日が長くなってきたこと
6.将来の夢:今より幸せに暮らすこと
7.好きな言葉:まあいいや
8.焼津と関わるきっかけ:マイクロ・アートワーケーションの参加で
9.焼津の好きな場所:焼津駅前(よくいたので親しみがわいた)
10.焼津の好きなところ:穏やかな空気感
11.焼津をひとことで:いい感じの田舎
12.焼津を振り返って:偶然の出会い
13.焼津の未来に:未来づくりに関われればいいなと思う
14.焼津のみなさんにひとこと:「ぜひまた焼津に来る理由をつくってください」

焼津人(ビト)を通じて

 これまでの日々の記録となる表現として、noteに焼津で出会った人々を「焼津人(ビト)」として紹介してきましたが、いったいどこから、いつから焼津人(ビト)になるのだろうかということをふと思いました。
 今回出会った焼津人(ビト)のうち、幼少期から焼津に関わりを持っていた人がいる一方で、いつかの時点で接点を持つことになり気がつけば焼津人(ビト)になっていた人もいました。そう考えると、今後の関わり方によっては、私も焼津人(ビト)になる可能性があるだろうし、今回の滞在によって、もう片足を突っ込んでしまっているといえるかもしれません。
 などと、一週間前とは行き先が違う新幹線に乗り、静岡の名品を詰め合わせたお弁当と静岡麦酒を口にしながら思ったりしました。

 今回の滞在が私に与えたものは、よそものとして接する焼津の日常だったのかもしれません。生活に追われていると、視野がせまくなり時々ものごとを見失ってしまいますが、ふと視点をかえるだけで改めて色々なことが見えてくることがあります。そのように新鮮な感覚でものごとを見つめることによって、表現は生まれてくるのではないでしょうか。
 つまり、日々の暮らしがあるという、ごくごく当たり前のことを改めて見つめ、その意味を感じることができたということは、自分の日常を改めてとらえなおすことにもつながりました。
 そのことは、日常の中から生まれる表現を大切にする自身にとって、とても貴重な経験になったに違いありません。

次はこの企画への参加のきっかけなどを振り返ってみたいと思います。

参加のきっかけ
 私はふだん、社会における「アートの場づくり」を新たな表現として、アートプロジェクトや造形ワークショップに取り組んでいます。それは、「絵画」や「彫刻」といったように具体的な作品として存在するような表現方法ではありません。
 そのため、様々な表現の可能性に対して、常にアンテナを張っておきたいという思いがあります。特に、すでにある表現やアートとよばれていること以外に。
 そこで、具体的な成果を目的としないこの事業の仕組みに興味を持ち、どのように運営されているのかということについて、参加を通じて旅人と運営側の両方の視点から見てみたいと思いました。
 もうひとつは、自分自身を見つめ直す機会としたかったことです。こちらのほうがメインの目的だったかもしれません。このコロナ禍で、否応なく限られた暮らしをせざるをえなくなったこともあり、私にとってアートとの関わり方や自身の日々の暮らしの意味を見つめることが難しくなっていきました。
 コロナに限らず、私自身が悩めるお年頃なのか、自らのアートへの向き合い方にも懐疑的になっていき、このまま宙ぶらりんで関わり続ける理由はなんだろうと考えることが多くなってきました。
 そこで、この事業に集う旅人がどのようなバランスでアートと日常に向き合っているのかということについて知ることで、自分にとってよりよいアートとのバランスを見つけるきっかけにできないかと思ったことです。
 ありていにいえば、仕事(日常)を休んでこの企画に参加する人ってどんな人たちなんだろう、どうやって食ってる人たちなんだろうという俗っぽい興味関心です。

参加を経て
 滞在中、ある方から「アート続けていてえらいですね」と声をかけてもらった。アート関係者あるあるの謎あいさつだが、翻訳すると「お金にも成果にもなりづらいことによく耐えて生きていますね。あるいは、それでこそ仲間。傷を舐め合おう」といった具合になるでしょうか。
 残念ながら、参加を通じてもそれぞれの具体的な暮らしぶりについて話をするということはプライベートに突っ込むことなので難しい側面もあり、わからずじまいとなりました。
 ただ、改めて思ったこととして、多くの文化芸術事業は、奉仕者としてのアーティストやボランティアのやりがいに支えられている節があり、この事業もそういえるということです。
 具体的な話に移ります。職業に貴賎はありませんが、人間の労働には対価が支払われます。現在の日本であれば、最低賃金がいくらといったように。しかし、アートにはその考え方が適用されないことが多くあります。
 今回の事例だと、活動費・宿泊費として1日15,000円が旅人に支払われます。しかし、それは当然日当ではなく、その他交通費(現地までを含む)や食費、交流会イベントとして設定されている飲み会の会費もその中から賄うことになります。
 遊びにきているだけであればタダ飯ラッキーとなるかもしれないが、マイクロではありながらもバケーションにアートもワークもくっついてきているよくばりな内容であることを考えるとそうもいえません。
 さらに「新たなプロジェクトの創出をはじめとするコミュニティの未来づくり」という壮大な目的を課せられているのです。その本気度合いは未知数ですが、少なくともアートやワークの要素にその対価が支払われることが、好ましい状況であるはずです。
 旅人はプロなのかアマなのか、なんなのか。少なくとも企画への参加が仕事として成立しているとはいいがたい現状があるでしょう。
 では、どうすればよいのでしょうか。旅人におこづかいをあげるために、肩たたきやペンキ塗り(あくまで例です)をさせたりすればよいのでしょうか。そうではなく、アートだからこその意味や価値について様々な立場の人が理解しようとすること、またそのためにはアーティスト自ら説明と証明をすることが求められるでしょう。
 文化芸術事業は、制度といった大きなことばで語られることが多いのですが、それぞれのアーティストの暮らしについて具体的に語られることは多くありません。
 制度に携わる人間はあえて見ようとしませんし、市民はそもそも知らないことが多いでしょう。そしてアーティストは我慢をあきらめや美徳としてしまいます。しかし、そのような状況が続いてしまうと、皺寄せの大抵はやりがい純度の高い作り手に行き疲弊してしまいます。そうならないように、アートと社会の健全な関係が生まれないかということをこれからも考えていきたいと思っています。

 滞在を通じて日常を垣間見させてもらったお礼として、アートに携わる人間の現状をお裾分けして終わりとしたいと思います。

 決してネガティブにものごとをとらえたいわけではないことを伝えておきます。
ただ、よかったよかっただけでは、体験者がものをいう必要はないと思ったため、今後につながるきっかけとなる内容を意識して記しました。

ホストや地域のみなさま、旅人のみなさま、アーツカウンシルしずおかのみなさま、どうもありがとうございました。また焼津かどこかでお会いできることを楽しみにしています。

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